いぬぶし秀一の激辛活動日誌

おかしな議員[わんちゃん]の激辛日誌です。日々感じたこと、活動報告、行政への提言など、本音で書き込む人気ブログです。

いぬぶし最後の債務処理が終わった…残り1億円余り!

2013-11-20 | Weblog
 議員や候補者は、マイナスイメージを与えるような情報は隠したがる傾向にある。確かに人気商売(?)だから、そうなるのかもしれないが、反面、自分という「商品」を買って下さるお客様(有権者)に、誤認を与えないように、少しでも商品内容を開示する責任もあるだろうと思っている。したがって、支援者から「そこまで言わなくてもいいだろう」という情報も開示してきた。

 きょうは、地元のある信用金庫で「最後の債務処理」を行ってきた。平成13年9月11日、同時多発テロが起こった。この日まで、私は年商20億円、6店舗、JTBという世界第一位の旅行会社の看板を掲げた(代理店)旅行会社の経営者だった。

 ところが、この日を境に、1億総キャンセル騒動が始まった。航空機利用は無論のこと、それこそ熱海温泉までキャンセルである。結果、会社は廃業。会社の債務について個人保証などしたものが3億円残ってしまった。友人の弁護士からは「自己破産」をすすめられたが、借りたお金を返さないという選択は嫌で、長期弁済で交渉を始めた。

 その過程では、議員歳費差し押さえ、自宅差し押さえ、ガス、電気供給停止等、様々な辛苦も経験した。ただ、そのなかで「明るさ」だけは忘れないように過ごしてきた。「明るさ」と「立ち向かう勇気」さえなくさなければなんとかなる、と信じてきたからだ。ただ、その結果、周囲からは「計画倒産ではないか」とか、「オヤジが金持ちだから」などという根も葉もないウワサも流されてしまった。

 事情を知らない自民党のトンマな区議さんにいたっては「いぬぶしは、借金を踏み倒している。議員の資格はない」などという文書を区民に送る始末である。

 あれから、すでに12年が経過して、債務の減額交渉、長期弁済など、ほとんどの債権者と交渉が成立し、返済もすすみ3億円の債務も1億数数千万まで半減をした。残る大口債権者である信用金庫と本日残る債務処理について合意にいたった。

 この信用金庫の店舗には「おかげさまで開店30周年」とあった。この支店がオープンして以来、歴代支店長や次長などと親しくお付き合いをしてきた「メインバンク」だった。もう、あれから30年もたったのか…感無量である。

 今回の交渉の前段として、地元に残っていた旅行会社の本社(当時)だったビルの土地建物をすべて売却しえ返済に充てた。さらに残った債務元本と延滞利息については、信用金庫側がサービサー(債権買い取り会社)に債権譲渡することで処理が終わる。

 これで債務が無くなる訳ではないが、今後はサービサーとの間で弁済を開始することになる。まだまだ、債務弁済の日々は続くが、必ず完済する決意で臨んでいきたい。そして、この経験を国政の中で、経験者しかわからない中小企業支援策という形で具現化していく。

 以上、いぬぶし秀一という商品に隠された「瑕疵?」「デメリット表示」である。ご理解のうえ「お買い求め」頂きたい。


保守系愛知県稲沢市議、中国で拘束!冤罪か?

2013-11-16 | Weblog
 まずは、以下の読売ONLINEの記事をご覧いただきたい。

 愛知県稲沢市の桜木琢磨市議(70)が、中国広東省の空港で、覚醒剤とみられる違法薬物を所持していた疑いが持たれて身柄を拘束されていることが15日、外務省などへの取材で分かった。
 同省海外邦人安全課や稲沢市によると、桜木市議は10月31日、広東省の広州白雲国際空港で覚醒剤とみられる違法薬物約3キロを所持していたとして、中国公安当局に身柄を拘束された。同日、中国側から連絡を受けた現地の日本総領事館職員が広州市内の拘置所で桜木市議と面会したところ、「何も知らなかった」と容疑を否認したという。その後も面会を続けており、健康面は問題ないという。
 稲沢市議会の野村英治議長(60)の説明では、桜木市議は自身が経営する貿易会社「スカイウェイ産業インターナショナル」(稲沢市)の仕事で、10月29日から31日までの予定で中国へ行っていた(以上、転載)

 次にご覧頂きたいのは、逮捕された桜木市議の、平成19年8月30日に行われた稲沢市議会における一般質問の一部である。(以下、市議会議事録より転載)

 次に歴史教育に移らせていただきます。
 私は、昨年6月議会からこの問題をいろいろな角度で教育長にお尋ねして、これまでの歴史教育を取り組める方法で見直しを図りましたが、学習指導要領に項目がなく、積極的な見直し論は起こっておりません。児童・生徒に自信を持たせる歴史教育が大切だと訴えても、「偏りがあっては」などとの所見がありました。私からは史実に基づいた点ばかりでして、今議会でも発言の時間をいただきましたので、お聞きいたします。
 (1) さきの大東亜戦争の当初、韓国の映画館で日本のニュース映画がありますと、日本の前線、頑張っている、勝っている前線でございますが、これに拍手をしたという事実があります。向こうではまだ日本の統治時代でしたから、日本を応援するのはごく自然だったんですね。つまり心は一つでした。
 (2) でございますが、終戦までのマスコミは、戦争をあおった事実が、新聞・ラジオの時代でしたけれども、あおった事実があります。これも見逃してはいけません。時代がとうに過ぎて、我々が当時のことを間違っていた、ひどい戦争だったと非難してどうなりますか。その反省は大いに結構でございますが、何が日本をそこまでさせたか。冷静になれなかったのはアメリカか日本か。アメリカは、日本の真珠湾奇襲を責め立てるが、アメリカはどうやって西部遠征したのか。アメリカの映画「西部開拓史」の日本語題名は単に米国史のようですが、原語の題は「How the West Was Won」といい、西部占領の物語です。つまり、ヨーロッパの国々は世界に植民地を持っていたが、すべて武力で手に入れたものだろう。植民地となった国々は、何十年、何百年も占領されたままで、国家の体をなさなかった。しかし、これはなぜか。新大陸に無理やり連れてこられて、人身売買の末、過酷な運命となった黒人たちの処遇と比較すれば、日本の韓国や満州への対応実態、結果はどうだったか、明らかであります。
 (3) 靖国神社しかり、原子力爆弾しかり、我々の反省は戦後60年以上過ぎても今なお続き、中国、韓国に謝罪をさせられているが、なぜこれをやめないのか。戦後の歴史教育、マスコミ報道、世論形成に誤りはなかったのか。私は、関連の書物、研究書、新聞に載る小さな逆発想
の記事があれば、これを見逃さず読むようにしておりますが、マスコミの偏向記事にあきれるばかりです。再教育を求めたいくらいです。このことは、豊川市に住む医師 大島信雄先生が、平成7年9月14日、東海日々新聞に寄稿された「過剰反省の反省」という記事にこうあります。原爆投下の国アメリカに対して過ちを繰り返しませんからと謝り、時の首相に、あの戦争は侵略戦争でしたと明言せしめ、国会が謝罪決議までする。過日、だれか偉い人の反省の弁に「我が国は戦前、政策を誤り云々」とありましたが、戦後の政策に誤りはなかったのか。陛下の赤子として、子供心に大東亜戦争遂行の一翼を担っていたつもりでした。今になって侵略戦争に加担したなどという罪の意識はみじんだにありませんでした。
 皆さん、いよいよ我々の知らない歴史教育が中国、韓国で今なお続けられております。政府はもちろん、国民からこれらに反論が声高に上がったことは記憶にありません。時間の関係で、それぞれ一つずつ例を挙げて参考に供する次第で、日本の中学校の歴史教育と比較していただきたい。
 (a) 中国といえば「南京虐殺」という言葉を新聞などで見られているでしょう。その人数は、中国から30万人などと言われる。明星大学戦後教育史研究センターの勝岡寛次先生の著書「韓国・中国の歴史教科書を徹底批判する-歪曲された対日関係史」によると、南京大虐殺の項でこう書いています。「日本軍は、南京占領後、南京人民に対し、血生臭い大虐殺を行い、驚くべき大罪を犯した。南京で平和に暮らしていた市民は、ある者は射撃の的にされ、ある者は銃剣の対象となり云々。戦後の極東国際軍事裁判によれば、南京占領後、中国の国民30万人以上を虐殺したということである」と、こういうふうに教科書に書いてあるんですね。ところが、東京裁判の判決は30万人と言っていない。当時の南京市民の人口は20万人とされ、30万人以上とは荒唐無稽でありまして、仮に一人残らず殺したとした阿鼻叫喚の後、なお10万人はどこから。しかし、南京陥落の2ヵ月後の昭和13年1月末25万人、8月には31万人、同年末には44万人と激増するんです。市民ゼロだったまちが1年間に44万人になりますか。これはふざけた教科書の内容かと、私は個人で思います。また当時、世界の報道には大虐殺などないとされております。
 こういう歴史教科書の学習指導書には、中国の指導書ですが、こうあります。「南京大虐殺では、血に満ち満ちた事実により日本帝国主義の中国侵略戦争での残虐性、野蛮性を暴露せよ。日本帝国主義への深い恨みと激しい怒りを生徒の胸に刻ませよ」。私は、この学習指導書の一部に触れて唖然、呆然としました。
 1938年、台湾生まれの黄文雄先生の著書「日中戦争真実の歴史」によると、「中国とは圧倒的に優位に立つか、あるいは今日のように卑屈の姿勢をとるかでしか友好は築けないのである」と断言しておられます。中国での人間関係は、上か下か、勝つか負けるかで決定されるものであり、対等・平等という対人観念は希薄だとあります。(以上、転載)

 世の中には、様々な出来事があり、必ずしもすべてが一般論で語れないのは理解している。犯罪が発覚すると「まさか、あの人が?」との声がマスコミで流される。したがって、具体的な事件の事象を詳細に知り得ていない私がコメントすることは、どうかと思うが、こと相手は中国であることを考慮して、あえて私見をお示しする。

 上記質問文を読むと、桜木市議の歴史観、対中国、対韓国に対する認識は、私達保守系と呼ばれている議員と、まったく同様のものであることがわかる。

 反面、中国政府にとっては正しいことを言い張る「迷惑な地方議員」であろう。中国政府が、一地方議員の6年も前の発言をチェックしているとは思えないが、中国内滞在中、または商談相手の中国人に対して、同様の発言を繰り返したのではないだろうか。

 その結果、中国公安当局の尾行、思想調査を受け、国家組織あげての「冤罪逮捕」に落としめられたと推測するのだ。ご存じの方も多いだろうが、中国には「表現の自由」や「民主主義」、「公平な司法制度」は存在しない。北朝鮮と同様、共産党一党独裁の、恐怖政治と賄賂国家である。

 日本を愛する保守系議員諸兄には、くれぐれも中国等というヤクザ国家に渡航されませんよう。また、保守本流だと信じている安倍政権には、この問題の本質を是非とも調査して頂きたいものである。
 


いぬぶし秀一送別会開催by中山恭子事務所

2013-11-15 | Weblog
 衆議院選挙落選後の今年2月頃から、中山恭子参議院議員のお手伝いをさせて頂いた。さらに4月からは、公設第一秘書の肩書きで、参議院選挙の事務方責任者として、全国を回る機会も頂き、普通の暮らしをしていては到底同席すらできない方々とも親しく出来たことは、大変よい経験であった。

 しかしながら、参議院選挙が終わり、もはや私のミッションは終了である。他の事務所に比べて多忙を極めている中山恭子事務所で、1日のうち半分位しか参議院議員会館にいない私のような公設秘書は、他のスタッフにとっても迷惑にしかなるまい。そこで、名残は惜しかったのだが、先月末日で公設秘書を辞めることにした。

 区議会議員と差ほど変わらない国家公務員としての秘書給与は、魅力ではあったが、「武士は食わねど高楊枝」である。来るべく戦いに備えなければならない。




 そして、ありがたいことに、昨日、事務所の皆さんで私の送別会を企画してくださったのだ。事務方スタッフのみの送別会かと思っていたら、中山恭子議員も最初から最後まで。さらにさらに、途中からは夫君である中山成彬代議士も合流。大いに盛り上がった会になった。

 宴も盛り上がってくると、中山ご夫妻によるデユエットまで飛びだした。いやはや、二人の元大臣に送られる送別会。恐縮至極である。ありがとうございました!


(なかなかない貴重な画像ではないだろうか)

 すみません!ソルマック(液状胃腸薬)下さい…(また、反省!)

共産党の地方議員ってかわいそうだな!生活苦で離党?

2013-11-14 | Weblog
 いやビックリした。その中身は別にして、思想的にも、行動も、理念も同一の方々が集っている強固な組織政党だと思っていた日本共産党の相模原市議会議員が「党への寄付金が大変」と離党届を出したというのだ。以下、読売新聞ネット版からの引用をお読み頂きたい。 

日本共産党相模原市議団(4人)の大田浩氏(37)が、党への多額の寄付やカンパを事実上強制され、生活に支障をきたしているとして、離党、離団届を出したことが13日、分かった。取材に対し大田氏は「年間約300万円も上納させられ、公認時にそんな話は聞いていない」と主張。党神奈川北部地区委員会は「詳細を説明している。党公認で当選した以上、役目を果たすべきだ」としている。(中略)大田氏によると、納付金は、月約48万円(税引き後)の市議報酬のうち、党費と党への寄付金として毎月約16万円。8月と12月には「夏季・冬季カンパ」として各約17万円、年2回の期末手当(ボーナス)時にも各約40万円を納めており、年間総額は約306万円に上る。大田氏は、国政選挙などの際にも臨時のカンパを求められるとし、これらの納付が「事実上の強制」と訴えている。離党、離団については、「昨年11月に結婚し、子供ができれば生活できなくなるので決断した」と話し、無所属の1人会派で活動していく考えを示した。(後略)(2013年11月14日11時26分 読売新聞)

 共産党や公明党、さらに地域政党である生活者ネットワークなどは、選挙に際して組織をあげての応援体制を構築することで知られている。反面、自民や維新、みんなの党などは自助努力で「当選」を勝ち取らなくてはならない。だから「同じ政党の候補者同士」が「一番のライバル」になることすら、よくある話なのだ。

 このような組織政党の候補者は、当然のことながら、当選後は公認を受けた政党の政策に極めて忠実に政治活動を行うのが常である。ところが、自民党などは「自分党」と揶揄されるように、結構「勝手気ままに」政治活動やら発言をすることが多い。

 今回は、その組織政党である共産党の市議さん、それも県議に近い権能を持っている政令指定都市の市議が「生活苦」から離団するというのだから、前代未聞の出来事である。

 相模原市議会議員の月額報酬は67万円、賞与などを含めると年収1090万円である。税引き後は多分900万弱だろう。そこから306万円の党へのカンパを差し引いても、手許には600万円近いお金が残るだろう。37歳で手取り600万で生活できない?貴党の支持者には年収200万以下の方が山jほどいらっしゃるではないか。

 組織政党の候補が離党して選挙を戦うのは並大抵のことではない。あと2年、「ピンハネ」されるよりマシと判断されたとすれば、マルクスさんも、さぞお嘆きになることだろう。裏切り者は気にせず、頑張れシーラkンス時代の革命家たちよ!



各選挙落選候補者たちのその後@大田区

2013-11-12 | Weblog
 ここ1年で3つの大きな選挙があった。その中でも衆議院選挙と都議会議員選挙には自身を含め大きく関わってきたので、落選候補のその後が些か気になるところだ。今現在知りうる動向を一覧にする。(敬称略)

衆議院選挙東京4区から出馬し落選した候補者

犬伏秀一:日本維新の会衆議院東京都第4選挙区支部長として再任(支部交付金月25万円)。次期衆議院公認候補予定者として次回選挙を目指す。

藤田憲彦(民主党前衆議院議員):8月末をもって選挙区暫定総支部長解任(支部交付金月50万円がゼロに)。その後の次期衆議院選挙一次公認候補予定者には入らず。二次公認を目指し精力的に活動中。

広瀬雅志(みんなの党):政治の道は断念し、柳瀬都議候補と共に品川駅前のバーチャルオフイスを借り、起業準備中。←私に「衆議院は降りて都議選に行って欲しい」と懇願してきた男である。

都議会議員落選または公認モレ候補者

湯本良太郎(元自民党区議・みんなの党都議公認モレ):平成27年の区議会議員選挙に出馬(無所属)すべく、サラリーマンをしながら準備中。

柳瀬吉助(前みんなの党区議):捲土重来(都議)を考慮しつつも広瀬氏と起業準備中。

奈須りえ(前ネット区議):環境総合研究所非常勤職員として様々な市民運動に参画。次回については不明。

永井敬臣(元自民党区議・区長落選・維新都議候補):落選後親しい支援者にも連絡がなく、地元にて町会活動や飲食店経営に専念している模様。奥方によれば「もう政治には関わらない」そうだ。

 選挙の落選というのは、私を含め大きくライフスタイルが変わる。その大きなリスクを候補者が背負う(勝手にではあるが…)割には、残念ながら有権者の関心はそれほど高くない。



11月11日(月)のつぶやき

2013-11-12 | Weblog

いってらっしゃい!大田区議会海外旅行団第二陣 blog.goo.ne.jp/inuhide/e/e972…

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「民商まつり」を区立学校校庭で開催!いいんかい? goo.gl/zFX1sn

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