いぬぶし秀一の激辛活動日誌

おかしな議員[わんちゃん]の激辛日誌です。日々感じたこと、活動報告、行政への提言など、本音で書き込む人気ブログです。

維新は本当に負けたのか?@都議会議員選挙

2013-06-23 | Weblog
 都議会議員選挙が終わった。日本維新の会は散々な結果だった。当選したのは20年間稲城市長を務めた石川さん、現職の柳ケ瀬さんの二名のみだった。選挙前の3議席も確保できなかった。

 しかし、これは単に橋下共同代表の発言のせいだけだろうか、と候補者の得票などを見て疑問に思ってしまう。確かに、惜敗の仲間も多い。なぜ、彼を落とすかな、という元職もいる。が、現職だった一人は、千代田区で当選し、今回北区に「お国替え」での出馬で落選した。国会議員ならまだしも、地元密着の地方議員が「お国替え」とは、私には理解できない。落選は必然ではないだろうか。

 さらに、34名の候補者中、1万票以下が17名、うち7名が公費負担も受けれず、供託金没収という得票である。いかに政党の風にのろうが、都議会議員選挙で一万票以下、なかには3000票以下という候補もいるのは問題だ。地道な努力を積み上げて一万票以下などということは、いかに「逆風」でも努力不足だと思う。

 そして、こういう候補者に限って、落選を党や代表のせいにして、落選後離党していく可能性が高いのは、過去の事例が物語っている。また、残念だったのは、、みんなの党と協力していれば、7議席がどちらかの党で確保できたこと、維新から二人出したことにより、共倒れが2選挙区あったことだ。

 どうか、今回落選された、32名の候補者の皆さんには、捲土重来、御一緒に「日本再生」のため、雪辱を果たす戦いをすすめていこうではないか。ドンマイ、ドンマイ!

東京都議会議員選挙最終日

2013-06-22 | Weblog
人の選挙は、なんて早いのだろうか。自分の選挙は、長~く感じられるのに。もう最終日である。

 今日は、朝10時に日本維新の会女性部が管理している党の街宣車が蒲田駅西口に来る、との連絡が昨晩入った。既存政党のように、事前に詳細な遊説計画を立案して選挙に臨んでいる訳ではないので、だいたい前日か当日に、党幹部や宣伝車の日程が伝えられる。

 10時前に蒲田駅西口に到着すると元気のいい女性議員の声が聞こえてきた。衆議院議員の三木圭恵さんだ。彼女は、兵庫県三田市議を務めていたが、たちあがれ日本から参議院議員に立候補、落選。その後3年近く支部長として活動し、昨年衆議院議員に初当選をした。

 たちあがれ日本時代から、衆議院選挙を見据えて長く活動していた同志は、ほとんどが昨年の総選挙で議席を得ている。私のように選挙1ケ月前に決断した組や、他党から移ってきた新参に落選が多いには、アリさんとキリギリスさんの好例だろうか。

 三木さんと共に、党の政策を訴え終わると、彼女から「相変わらず口が悪いね」と、お褒めの言葉を頂いた。

 さらに、12時からは中田宏衆議院議員(元横浜市長)が、都議候補の応援に蒲田東口に入るとの連絡。やっと維新も組織選挙の体をなしてきた。昨年の総選挙とは大違いで、党が育ってきたと感じる。

 そして、最終日の大ニュースは、橋下徹共同代表の蒲田入りである。16時に蒲田駅東口に入るとの連絡に、場所の確保のため、各陣営との調整などドタバタだったが、なんとか格好をつけた。街宣車の場所確認やタイムスケジュールを確認し、しばし蒲田を離れて、都内中心部へ向かう。ある団体が主催して下さった中山恭子講演会の事前調整のためだ。

 熱烈恭子ファンのこの団体さん、今回は石原慎太郎共同代表、中山なりあき代議士も応援講師として会場に入る。橋下共同代表が蒲田入りしなければ、こちらに張り付きたいところだが、二足の草鞋ゆえそうもいかない。事前調整の内容を主催者と確認して、蒲田へトンボ帰り。

 15時30分から、私の前座、二人の都議会議員候補の演説を行い橋下代表の到着を待った。すでに蒲田駅前は、歩く隙間もない状態だ。すると、見知らぬ女性がタスキをかけて到着した。日本維新の会参議院全国比例候補予定者だという。名刺を拝見すると政治経験はなし。橋下共同代表と高校時代からの知り合いとか。聴衆に紹介して1分だけ演説をお願いした。

 私の経験から、無名の新人が全国比例に挑戦する場合、舞台を全国に拡げると失敗すケースが多い。地元だけをまわって全国比例に当選した無名の新人を何人も知っているし、大した知名度もない新人が全国をまわって落選した例も多すぎるほど知っている。私の経験則通りにならないよう、彼女の勝利を祈っている。

 聴衆の期待も最高潮に盛り上がった16時ピッタリに橋下代表が到着した。当初予定を超えるあつい演説に聴衆は魅了されたが、この場所の確保に協力をしてくれた他陣営からは、宣伝車を叩かれて抗議されてしまった。すまんな~

 橋下代表の演説が終わり、また都内中心部の講演会場へ戻り、中山恭子議員の講演を聴き、会場の後始末などのお手伝い。時間は街頭演説終了時刻でる20時少し前。首都高の出口に近い都議候補の事務所に顔を出すと「候補者は街頭演説を終わりウグイスを蒲田駅まで送ってから戻る」とのこと。あらあら!

 街頭演説は、本日20時で終わるが選挙選は本日の23時59分まで行える。勝利を勝ち取る候補者は、まだ駅前にいるはずだ。もう一人の我が党の候補の事務所に向かう。もうとうに20時は過ぎている。やはりいた。小さな地元の私鉄駅前に彼はタスキをして立っていた。「おかえりなさい」と、降車する人々に声をかけていた。もはや必死の形相だが、戦う男の雄姿が見える。

 自分の事務所で夕食をすませ、夜10時前。誰が残っているだろうか、と蒲田駅東口に行ってみた。やはりいるではないか。区議会議員の後輩である、民主党の若い候補者が、やはり「おかえりなさい」コールを行っている。彼は、選挙前からず~と駅前演説を続けてきた。他党ではあるが、きっとこの努力は報われるだろうと思う。

 民主党や日本維新の会には「逆風」だと言われえいる都議会議員選挙だが、党の「風」で受かろうとしている候補者には、「突風の逆風」だろう。しかし、日頃から政治活動に精を出し、地に足のついた活動をしていれば、「逆風」の影響は受けないだろう。

 どんな大物が応援演説をするよりも、本人の努力に勝る王道がないのが「選挙」という試練である。「私の不徳の致す…」という敗戦の弁をよく聞くが、その通りである。負けたのは、候補者、あなたの自己責任である。決して党の責任ではない。党の責任だ、風のせいた、等と言っている輩には、選挙に出る資格はない。安定した公務員にでもなればよろしい。

 いずれにしても、必死に戦ったであろう、すべての候補者の皆さん、支援者。選対のみんさん、お疲れ様!!勝利の女神が全員に微笑みますよう!

 



辛坊さん「すばらしい国に生まれた」海自への感謝

2013-06-21 | Weblog
 どしゃぶりの雨の中、昼は参議院会館会議室で、新潟県の中山恭子応援団の皆さまと昼食会。終了後、ペットボトルの後始末、キーの返却を会館サービスセンターに行う。(初めていった!)秘書業務完璧!(残り1ケ月だが…蒲田駅前で日本維新の会松井一郎幹事長(大阪府知事)を迎え、都議候補の応援弁士にたち、夕方からは中山恭子議員と共に品川区大井町駅、さらに東村山駅に出向いて都議候補の応援演説を行った。

 自宅着は午後10時前。妻と娘は義父の納骨で不在。義父の納骨にも参列できない「ヤクザな稼業」である。

 自宅に戻り、お嫁さん(息子の)から父の日に頂いた特製ビールを呑んでいると、辛坊さん遭難のニュースが流れた。全盲のセーラーと共に、太平洋横断に挑んでいた、辛坊治郎さんが遭難し、海上自衛隊の救難飛行艇に救助されたとのこと。

 記者会見で辛坊さんは、多額の税金を使って救助されたことに感謝と反省の言葉を述べた後、次のように荒海に飛行艇を着水させた海上自衛隊を褒め称えた。

普通のパイロットだたら、あの海には降りない。僕は本当にすばらしい国に生まれたと思った。

 そう、日本は過去も現在も未来も、ずっと素晴らしい国なんだ。日本が嫌いな諸君!この海自の勇気に「憲法9条はんた~い」とでも叫んでみろ!

 そして、もっともっといい国に、誇りある国にしていこうではないか。


カメレオンいぬぶし!いったい何屋さん

2013-06-19 | Weblog
 今朝は、10時から党の東京都総支部の選対会議が開催された。党幹部の応援状況、各都議候補の戦い具合などについて報告され、残り3日の戦術が議論された。

 特に、都議候補については客観的に勝てそうな候補、今一歩の候補、ちょっと無理な候補と色分けをさせて頂いた。その結果は、今は書けないが私の当落予想と一人も違わなかった。

 選対会議での立場は、選対幹事(衆議院東京都第四選挙区支部長)である。ところが、選対会議の合間をぬって、中山恭子参議院議員の選挙立候補手続きを、同じフロアの党担当者と行った。この立場は、中山恭子選対事務局長である。

 さらに、総務省選挙部に出向いて、立候補書類の「事前審査」を受けに霞が関へ。これは、立候補当日に、間違いの修正など、ドタバタしないために、書類を事前に確認して、公示当日は単に書類の受け取りだけのセレモニーにする、という制度である。

 二人の担当者が審査して、無事終了。これで、あとは選挙公示を待つばかりである。総務省での、私の立場は、「選挙責任者「である。

 事務所に戻ると、会社経営者の顔が待っていた。あるテレビ番組の担当者からの相談ごと。普通の会社では出来なだろう案件だ。「出来ないこと」を「やる」ことが、私の最も喜びとするところである。

 ひと段落していると、党幹部から「都議選最終日に大物が蒲田に入るから準備せよ」との指示が入る。さっそく、二人の陣営に連絡し、所轄警察署へ報告。他の政党と調整を始めた。

 すると所轄署が困惑していることが電話口からも伝わってくる。な、なんと6月22日16時から、蒲田駅西口には安倍総理が入るのだそうだ。西口は安倍総理、東口は橋下徹日本維新の会共同代表。なぜ、蒲田。それも同時刻。大田区が注目を浴びることはいいことだが…

 いずれにしても都議選最終日に、蒲田の地で大舌戦バトルが展開される。いや~なんとも楽しみではないか。


連呼はうるさいだけ!マイナスでっせ!@都議会選挙

2013-06-18 | Weblog
 はたして、選挙戦の王道はあるのだろうか?どうしたら票が取れるか…これは、各級選挙での候補者の命題である。過去に東京都選挙管理委員会が、「なぜ投票したのか」というアンケート調査をしたことがある。その結果は、「ウグイスさん」には申し訳ないものだった。

 宣伝カーの連呼により投票:0.1%という結果だ。先日、ある吞み会で都議候補の知人が「今朝8時すぎから、知り合いの都議候補が名前を連呼していた。嫌がらせにしか思えない。絶対、投票しない」と怒っていた。

 自分が候補者ではない選挙は客観的に見ることができる。街は、都議会選挙に実に無関心である。必死なのは陣営と候補者だけ。冷静に有権者の投票行動を見極める努力が必要だ。

 では、選管の調査で投票理由のトップは何か。それは「知人、友人に頼まれたから」というものだ。いかにも、日本人らしい主体性のない判断基準だが、多分、事実はそうなのだろう。主権者意識の欠落を嘆いたところで始まらない。

 各候補者の皆さん!僭越ながら、いまからでも遅くない!意味のない連呼はやめて、直接有権者に訴えられる方法と、知人、友人のネットワークを駆使した票固めに尽力されたい。

 ところで、最近は週1回は飛行機に搭乗している。私は、上空の景色が大好きだ。雲海を見ると、天国があるような気になるし、眼下の小さな家々を見ると、日々の悩みがなんて小さなことなのか、と思える。

 先日、広島からの帰路の写真。I-phoneで撮影した素人写真にしては、我ながらいい感じだと思う。(中央に小さく富士山が見える)







 票の多寡、支持率の上下などに惑わされない、大自然の摂理、宇宙の法則に則った生き方をしたいものである。

中山恭子議員と走る!走る!ご縁に感謝の新潟県訪問

2013-06-17 | Weblog
 しかし、凄い体力である。私のことではない。中山恭子参議院議員である。参議院議員選挙まで残すところ17日に迫ったが、とにかく東京に居ることがない。日本中からの講演依頼で早朝から深夜まで活動をしている。今日も朝7時の新幹線で待ち合わせて、新潟へ出発したが男性の私でも5時起床だから、女性であれば4時すぎには身支度を始めるのではないだろうか。

 今日の訪問先は新潟県だ。最初の訪問地は、佐渡である。拉致被害者だった曽我ひとみさん、ジェンキンスさんご夫妻に会うために向かう。行程によれば新潟駅から新潟港出港まで1時間の余裕があることになっている。私的には「もったいない時間」だ。

 新幹線の中で、新潟県の「政治的友人」を想い浮かべると、いるではないか!JTB代理店を経営していた時代、えらくウマがあうJTB管理職のKさんがいた。その彼が、JTB新潟支店長から、新潟県観光監をへて、新潟県議会議員になっている。さっそく電話をした。「もうすぐ新潟に着くのだが、港で会えないか」突然のアポに、彼は相変わらずだな、という感じで応えながら快諾をしてくれた。仕事の出来る人間は、突然にも即応してくれるのが常だ。出来ないヤツほど、理由をつける。

 いざ、新潟駅到着。なんと、中山議員の後ろから、たまげる人が降りてくるではないか。放送大学大学院で私の指導教員を務めて下さった「鬼の」T先生だ。現在は、新潟県立大学の准教授に異動されている。偶然ではない。必然である。だから人生は面白い。T先生は「もっと早く言って下されば学生を集めたのに。僕の講義を聴きにくる市会議員に連絡しておきます。戻りの船を教えて」と。

 不思議な再会に驚きながら新潟港に向かう。新潟港での、K県議との突然の面談。JTB時代に北朝鮮に何度もチャーター便を出しツアーを企画した彼の平壌裏話には、中山議員も興味をもって応じていた。さらにタマげたのは、6年前の参議院選挙で新潟駅前で宣伝車の上で中山議員の演説の司会を務めたのがK県議で、その時新潟県中越沖地震が発生したのだそうだ。ご縁である。

 静かな凪の日本海を滑るように進むジェットホイルの旅は快適だった。佐渡の港まで約1時間。港には、前の佐渡市長さん、市役所の拉致問題担当係長(兼職)、曽我ひとみさんが出迎えてくれた。それから、曽我さんの勤務先、御主人ジェンキンスさん、お二人の娘さんの勤務先などを訪問。日本での生活再建が順調であることが確認できた。



 曽我ご夫妻との昼食で、ジェンキンスさんがほとんど話されない。ひとみさんにうかがうと、英語がしゃべりたくて仕方なにのだが、話せる人が佐渡には少ない、とのこと。え~い、では下手くそ英語で行くか!

 ジェンキンスさんは、自書の印税などが入ってきたが、余りに高い日本の所得税と、貰える可能性がない年金保険料に苛立っていると語り始めた。それからは、川の堰が壊れたように、機関銃のように英語で話しかけられた。ただ、強い南部訛りの早口の英語にはまいったが…元気に、おみやげもの屋さんで、看板おじさんになっている。



 訪問を終わり、佐渡港に向かうが出発10分前になっても車窓から港が見えない。心穏やかでないが、市役所の係長さんも前市長さんも焦る様子がない。港に到着は出港3分前。桟橋まで中山議員と、走る!走る!

 朝、新潟駅で出あったT先生が、教え子であるF新潟市会議員に連絡を取って頂き、新潟港に迎えの車を手配して下さった。なんと、F議員も日本維新の会で、以前から中山恭子議員の応援団だったというではないか。これも不思議なご縁だ。



 地元の有志の方のミニ集会に参加した後、F議員と参議院新潟地方区出馬の候補予定者の街宣カーで、にわか街頭演説を行った。凄いのは、トラックを改造して作った看板車。石原・橋下両代表の顔と「志」の文字が大書されている。資金潤沢な選対なのだな、と羨ましかった。



 すでに時間は、午後6時を過ぎている。次なる訪問地は、長岡だ。長岡駅構内の喫茶店に、旧知の市会議員らが集まり、中山恭子議員のミニ選対会議を開いている。そこに合流し、1時間余り懇談した。

 さあ、帰京だ。腹がへっては戦が出来ぬ。駅弁屋に走る!な、な~にーーー!!!!「本日は完売しました」嗚呼、長い一日お疲れ様でした!