いぬぶし秀一の激辛活動日誌

おかしな議員[わんちゃん]の激辛日誌です。日々感じたこと、活動報告、行政への提言など、本音で書き込む人気ブログです。

中山恭子議員と走る!走る!ご縁に感謝の新潟県訪問

2013-06-17 | Weblog
 しかし、凄い体力である。私のことではない。中山恭子参議院議員である。参議院議員選挙まで残すところ17日に迫ったが、とにかく東京に居ることがない。日本中からの講演依頼で早朝から深夜まで活動をしている。今日も朝7時の新幹線で待ち合わせて、新潟へ出発したが男性の私でも5時起床だから、女性であれば4時すぎには身支度を始めるのではないだろうか。

 今日の訪問先は新潟県だ。最初の訪問地は、佐渡である。拉致被害者だった曽我ひとみさん、ジェンキンスさんご夫妻に会うために向かう。行程によれば新潟駅から新潟港出港まで1時間の余裕があることになっている。私的には「もったいない時間」だ。

 新幹線の中で、新潟県の「政治的友人」を想い浮かべると、いるではないか!JTB代理店を経営していた時代、えらくウマがあうJTB管理職のKさんがいた。その彼が、JTB新潟支店長から、新潟県観光監をへて、新潟県議会議員になっている。さっそく電話をした。「もうすぐ新潟に着くのだが、港で会えないか」突然のアポに、彼は相変わらずだな、という感じで応えながら快諾をしてくれた。仕事の出来る人間は、突然にも即応してくれるのが常だ。出来ないヤツほど、理由をつける。

 いざ、新潟駅到着。なんと、中山議員の後ろから、たまげる人が降りてくるではないか。放送大学大学院で私の指導教員を務めて下さった「鬼の」T先生だ。現在は、新潟県立大学の准教授に異動されている。偶然ではない。必然である。だから人生は面白い。T先生は「もっと早く言って下されば学生を集めたのに。僕の講義を聴きにくる市会議員に連絡しておきます。戻りの船を教えて」と。

 不思議な再会に驚きながら新潟港に向かう。新潟港での、K県議との突然の面談。JTB時代に北朝鮮に何度もチャーター便を出しツアーを企画した彼の平壌裏話には、中山議員も興味をもって応じていた。さらにタマげたのは、6年前の参議院選挙で新潟駅前で宣伝車の上で中山議員の演説の司会を務めたのがK県議で、その時新潟県中越沖地震が発生したのだそうだ。ご縁である。

 静かな凪の日本海を滑るように進むジェットホイルの旅は快適だった。佐渡の港まで約1時間。港には、前の佐渡市長さん、市役所の拉致問題担当係長(兼職)、曽我ひとみさんが出迎えてくれた。それから、曽我さんの勤務先、御主人ジェンキンスさん、お二人の娘さんの勤務先などを訪問。日本での生活再建が順調であることが確認できた。



 曽我ご夫妻との昼食で、ジェンキンスさんがほとんど話されない。ひとみさんにうかがうと、英語がしゃべりたくて仕方なにのだが、話せる人が佐渡には少ない、とのこと。え~い、では下手くそ英語で行くか!

 ジェンキンスさんは、自書の印税などが入ってきたが、余りに高い日本の所得税と、貰える可能性がない年金保険料に苛立っていると語り始めた。それからは、川の堰が壊れたように、機関銃のように英語で話しかけられた。ただ、強い南部訛りの早口の英語にはまいったが…元気に、おみやげもの屋さんで、看板おじさんになっている。



 訪問を終わり、佐渡港に向かうが出発10分前になっても車窓から港が見えない。心穏やかでないが、市役所の係長さんも前市長さんも焦る様子がない。港に到着は出港3分前。桟橋まで中山議員と、走る!走る!

 朝、新潟駅で出あったT先生が、教え子であるF新潟市会議員に連絡を取って頂き、新潟港に迎えの車を手配して下さった。なんと、F議員も日本維新の会で、以前から中山恭子議員の応援団だったというではないか。これも不思議なご縁だ。



 地元の有志の方のミニ集会に参加した後、F議員と参議院新潟地方区出馬の候補予定者の街宣カーで、にわか街頭演説を行った。凄いのは、トラックを改造して作った看板車。石原・橋下両代表の顔と「志」の文字が大書されている。資金潤沢な選対なのだな、と羨ましかった。



 すでに時間は、午後6時を過ぎている。次なる訪問地は、長岡だ。長岡駅構内の喫茶店に、旧知の市会議員らが集まり、中山恭子議員のミニ選対会議を開いている。そこに合流し、1時間余り懇談した。

 さあ、帰京だ。腹がへっては戦が出来ぬ。駅弁屋に走る!な、な~にーーー!!!!「本日は完売しました」嗚呼、長い一日お疲れ様でした!

 

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