いぬぶし秀一の激辛活動日誌

おかしな議員[わんちゃん]の激辛日誌です。日々感じたこと、活動報告、行政への提言など、本音で書き込む人気ブログです。

気仙沼支援三日目

2011-06-02 | Weblog
 気仙沼医療救護班での活動も本日で3日目となった。今日も朝7時にホテルから救護班本部のある気仙沼市の施設まで都職員3名、医師1名、看護師2名を送ることから始まった。

 片道50キロの一般道を1時間20分程度で走る。本部に到着後は昨日と同様に朝のミイーテイングのマイク係などを務め、避難所まわりに出かける。

 午前中は気仙沼市立鹿折中学校の体育館に設けられている避難所だ。ここで、毎週月曜と木曜日に巡回診療所を開設しているのだ。都立墨東病院の医師、看護師さんを運ぶ。

 10時の診療開始から11時半の終了まで私は仕事がない。少し車内で睡眠をとった後、給食センターからの昼食運びとお手伝いした。被災地においては「手の空いている人間がやる」ということが重要だ。東京都から来た、とか医療救護班だから、というセクショナリズムは無用だ。ちなみに、この避難所の運営は広島県が主体で行っている。

 体育館の掲示板に見覚えのある名前を見つけた。大田区内にある牧田総合病院医療救護班が残していったものらしい。「」頑張って下さい。応援しています」とあった。普段なら同じ大田区の掲示があってもさほど気にならないが、被災地で見る同郷の名前は妙に嬉しいものだ。



 昼食をはさんで、午後からは高台にある公民館の避難所に向かう。この高台に向かうには、気仙沼漁港など被害が激しかった地区を通らなければならない。道路幅も狭く、舗装もされていない。悲惨な景色のなか、途中でうれしい光景にもであった。

街中に打ち上げられた大型船(ここは港ではない。船の手前を通るとファミマだ、とカーナビがしゃべる)

 小さな漁港の脇を通り過ぎようとすると、漁師らしき人々が漁船を囲んで拍手をしている。どうやら、漁船の修理が終わったお祝いのようだ。周辺には、焼け焦げたり打ち上げられた漁船があるのに、ここだけは笑い声が響く。頑張って!!思わず車窓から手を振った。

 公民館には、医療救護班の到着を心待ちにしている高齢のご婦人が集まっていた。バスが不通のため持病の薬をもらいに行けない、というご婦人は、1週間ぶりの医師の来訪に、生活苦や避難生活のグチを話し始めた。イケメンのお医者さんは嫌がる顔もせず、うなずいたり相槌をいれていた。看護師さんたちの満面の笑顔も、被災者の方々の励ましになるだろう。



 診療途中で、薬と湿布薬が不足していることが発覚。「取りに行ってきます!」と、診療中は何もできない私が本部へ戻ることになった。アスファルトが剥げた道を往復40分。高台で孤立している高齢者の辛苦を思えばなんということはない。薬を持って戻った時の皆さんの笑顔は忘れられない。

 夕方本部に戻ると、医師から「左のタイヤのエアが少ないようだ」との指摘があった。確かに減っている。ガソリンの給油ついでにガソリンスタンドで見てもらおうとすると、なんと給油以外は何もできないスタンドだそうで、お隣の自動車整備工場を紹介された。

 社長と思われるご夫妻が出てきた丁寧に応対されたが、パンクに違いないがu今日は技術者がいないので治せない、エアだけ充填してあげるから、この先にあるスタンドまで頑張っていけ、と教えていただいた。「医療救護班」の看板をみて「ありがとう」と。たかだかのことだが、嬉しくなる。

 パンク修理をしてれたスタンドの店長さんは、奥様が看護師で、震災当日は病院勤務で「津波から逃れて上層階にあがったが周辺が火事」とのメールを最後に連絡が途絶え、一時はあきらめたそうだ。翌日遅くに奥様の携帯の着信記録がご主人の携帯にあり、折り返したが通信回線がうまくつながらなかったが、お子さんたちと電話番号を確認して「ママは生きている」と歓喜したそうだ。

 被災地には、こんな多くの人生模様が広がっている。不幸にもお身内が亡くなられた方々も、そうでない方も一日も早い生活再建を願わずにはいられない。 

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