いぬぶし秀一の激辛活動日誌

おかしな議員[わんちゃん]の激辛日誌です。日々感じたこと、活動報告、行政への提言など、本音で書き込む人気ブログです。

これでいいのか大田区政?by第一回定例会一般質問

2009-02-27 | Weblog
改革110番の犬伏秀一でございます。

 昨日、自民党の高瀬三徳議員から池藤元収入役への追悼の言葉がございましたが、私からも、謹んで哀悼の意をお示したたいと思います。享年60歳、ついこの間まで議会事務局長としてこの後ろのお席にお座りになっていた元気なお姿を思うと、あまりに早い旅立ちに、ご本人はもとより、ご遺族はさぞかし無念であったろうとお悔やみ申し上げます。
 人の命の儚さ、無常さを思わずにはおられません。いかに現世において栄華を極めようが、その命や立場は永遠ではありません。権力の座にあったり、その座が近づいてくると、時として人は大きな勘違いをしてしまいがちであります。最近の国政でのドタバタを見ていると、どっちもどっち、という気がしてならないのは私だけではないはずです。国家の理念、あるべき姿、安全保障政策などを置き去りにして、小手先のバラマキや、審議拒否、さらには人事案件不同意など、子供の遊び以下の行動には、益々政治不信が募ってしまうことでありましょう。

 さて、政治不信とともに根強いものが公務員に対する不信感であります。国政では高級官僚の「ワタリ」が話題になっておりますが、一般職の公務員それも最も多い、地方公務員の定年退職後の「再雇用・再任用」が話題にされることは、あまりありません。お一人お一人の金額が、ワタリに比べ少額であること、また多くの国民が地方自治にはあまり関心を寄せない、ことなどが原因であろうと思われます。しかし、400万人はいるであろう地方公務員のうち毎年5%程度が定年を迎えており、かなり荒い計算でも年額5000億円もの税金が60歳を超えた再雇用・再任用の地方公務員に支払われていることになります。勿論、地方公務員の方にも老後があり、年金受給年齢までの5年間も生活をしなければならないことは理解できます。しかし、そのために無用の仕事、または現職の職員だけで足りる仕事をあえて再雇用、再任用の職員にさせていないでしょうか。
 
 大田区の職員さんは、新人から定年間際の全職員の平均年収が843万円、部長級である参事であれば年収1200万から1300万円、統括課長でも1100万から1200万円、さらには勧奨退職を含めた平均退職金2530万円、管理職では平均退職金2953万円もの厚遇をもって定年を迎えられます。
 
 個人的には、あまり好きな報道ではありませんが、派遣切りやホ-ムレスの方々から見たら、別の国の話ではないかとおも思われる姿です。そのうえで、定年後は、在職中の職階により5年間の仕事が用意されているのですからたまりません。
 
 平成15年度末から昨年度末までの5年間に大田区を定年でお辞めになった方々の総数は584名であります。そして、この5年間に再任用された方々は371名、再雇用は101名で、合計472名の職員さんが再雇用、再任用されたのです。さらに、この数字以外に、大田区体育協会に18名、池上長寿園に9名、文化振興協会に7名など外郭団体、関連社会福祉法人に46名が現在在職されています。これだけではありません。大田工業連合会事務局長、蒲田開発株式会社事業部長、アロマスクエア株式会社部長代理、など民間法人のポストも大田区管理職の定年後の指定席であります。これらわかっている部分だけを合計しても5年間の総数は521名で定年退職者数の89%にも上る方々が、大田区又は区に関係した団体、企業に「再就職」されているのです。
 
 特においしいのは、再雇用や再任用ではありません。外郭団体などに再就職された方々であります。大田区が補助金を支払ったり、その運営費の相当額を負担している10団体に再就職した区OB46名に支払われた給与総額は年間1億8千200万円あまりであり、一人当たりでは396万円余となります。これは給与額ですので、これに雇用者負担の社会保険料などが加わった結果、400万円を楽に越える額となり、区内中小企業を定年退職した方々にとっては、正に夢の世界が退職後も公務現場には存在していることを物語っております。
 
 この雇用を確保するためには、新たな職を作る努力もされています。蒲田駅前で自転車駐輪指導にあたっている指導員は、そもそも国の緊急雇用対策事業の補助金で民間企業に「失職中の人限定」で始めたものでありますが、いつの間にか週3日間は大田区の技能系職員、すなわち用務主事や給食調理員さんの定年後の職場にとってかわられてしまいました。さらにすばらしいのは、土曜日、日曜日などの週休日には「長年の習慣」でしょうか、区OBは駅頭にはたたないで、民間警備会社の職員が指導にあたっているのです。
そこでお尋ねいたします。大田区職員を再任用、再雇用しなければいけない法的な根拠は何でありましょうか。また、区OBが社会福祉法人や外郭団体に採用されている根拠もお教えください。自分のかっての上司や先輩が勤務する外郭団体や、社会福祉法人に、はたして所管課の区職員が指導など出来るのか懸念されるところであります。
 
 今年度末には、例年より50名ほど多い定年退職者が区役所を去ることになり、今頃は大慌てでこの新たな50名の「職作り」に励まれていることと推察いたします。心配されるのは、その結果、いままで民間企業やシルバ-人材センタ-に委託していた仕事を取り上げることになりはしないか、ということです。ワ-クシェアリングが民間大手企業においても実施されようとしております。区のOBが仕事を独占しているとの指摘も聞こえてまいります。再雇用、再任用職員に対する給与総額、特に再任用職員の部分を減額し、その分で新たな民間高齢者の雇用を考えるべきが、昨今の危急的課題であろうかと思われますが、ご所見をうかがいいたします。
 
 再三申し上げておりますが、松原区長は「民間出身」をキャッチフレ-ズに見事当選をされました。代議士秘書、区議、都議のご経験を通じ、お役人の「いい訳」や「厚遇」には時として私と同じ感想を持たれたのではないかと思っております。お役人だらけの庁内で大変でしょうが、どうか「民間の苦しさ」をわかる区政、民間の常識が通じるお役人の育成に努めていただきたいと思うのであります。

 次に、迷走する大田区の教育についておうかがいをいたします。これは当初、瞑想すなわち目を閉じて深く考えていらっしゃる、というつもりで質問通告をしたのですが、いつの間にか迷い走ることになってしまいました。
 
 以前から、大田区の教育にはビジョンがないと言われ続けてまいりましたが、これは大田区だけの責任ではなく、文部科学省のダッチロ-ル的な政策転換や、区立中学に在籍しながら、東京都職員である教員の身分なども大いに関係するところであり、国家的議論を深めるべき課題でもありましょう。そもそも、国家がその目指すべき姿、国家観を示せない国、やたら自らの国の歴史を貶めるマスコミが蔓延する状況のなか、教育現場だけが迷走するな、と言われても、教育委員会が目を閉じて瞑想したくなる気持ちも理解できないものではありません。
 
 さて、そのような状態のなか期待をもってお待ちしていた「おおた未来プラン10年」であります。未来を拓き地域を担う子供、みんなで育むまちにします、との目標のもと策定された施策をみて驚愕、いや落胆してしまいました。なんと、[10年後のめざす姿]のモノサシ(指標)と目標値として示されたのは、

大田区学習効果測定で期待正答率を超えた生徒の割合を現状の58.3%から5年後には60%、10年後には62%へとする、不登校生徒の出現率を現状3.73%であるものを5年後3.43%、10年後には3.23%とするというなんとも細かなものであります。さらには、体力調査で小学校6年生の50m走の平均を男子8.96秒を8.86秒にするという、まことにお役人らしい数字の羅列が無意味に踊っているのです。

 もっと大きな驚きは、このプラン策定にあたり[素案]を各学校に配布し意見を聞いたのか、との所管委員会での私の質問には「配布していない」との答弁が平然となされたことであります。現場に知らせない、現場の意見を聞かない、ただ数字あわせの「作ることが仕事」の夢プランであると申し上げておきます。笑い話は、10年後の不登校出現率を小数点以下第2位まで記載し、現状より0.5%下げるとの根拠は、なんと「東京都の平均値」だそうであります。
 
 大田区の教育は、10年かかって夢をもってあたったところ、やっと東京都の平均値に手が届く、それが指標であり目標だというのですから、橋下知事の言葉をお借りすれば「クサレ教育委員会」と言われかねないのであります。この結果、各学校では不登校の生徒が、全校で2~3人減ることになります。本来「未来プラン」などと銘打っているのであれば、10年後には不登校をゼロにします!大田区の学力を23区一にします!ぐらいの力強い決意こそ望まれる姿であります。なんとか達成できそうな低い売り上げ目標を書いてくるような営業マンは民間ではバカにされます。なんとも夢のあるすばらしい10年の計画を作られた教育委員会には敬意を表したいと思います。

 さて、大田区は再三の私の開示請求にも「全国学力検査の学校別結果」を公表してくださらない。だいたい、区議会議員が区政に対する資料を請求するのに、公文書開示請求制度を使わなければ資料が出ないということ自体なんなのでありましょうか。区当局は執行機関、われわれは議決機関で、区の意思決定機関であるはずです。会社の内部資料を取締役が見せろ、と言ったら「拒否」するような官僚的いや「愚民行政的」体質はもはや過去の遺物であります。その意味からも大田区および大田区教育委員会の体質はあまりにも閉鎖的である、と指摘しておきます。

 そこで、アイも変わらず学校別結果公開をされない理由を具体的かつ理論的にお答えください。多分、ご答弁には「学校間にいたずらに競争をあおることになる」という理由をいつもながらお示しになろうかと思いますが、ではなぜ学校は競争してはいけないのでしょうか。学校の中で平等を叫んだところで、生徒たちは2月になれば、それぞれの成績と試験という「競争の結果」、それぞれの進路に向かって歩みださねばならないのです。

 学校で「あなたらしければいいのよ」などと目標も示されず、規則を守ったり、時間を守ることすらも教えられなかった子供たち、フリ-タ-などという選択ではなく、最初から正規雇用を選ぶべきと説得する高校の進路指導の教員に「束縛されないで自分の道を探したい」と言っていたい人々が、今、街で自暴自棄になって苦しんでいます。

 学力検査の結果を公表し、授業改善や学力向上に地域ぐるみで取り組む姿勢こそ求められる姿であります。すべての競争を悪と断じる教員やお役人の理論にはあまりにも無理があると思われます。子どもたちは学校を卒業した瞬間に否応もなしに競争の社会に放り出されます。学校時代だけ平等、平等と叫んでいたのでは、社会に出た途端に戸惑ってしまうでしょう。このような公教育の姿は、子供たちに対する犯罪行為ともいえるものであります。そこでうかがいます。なぜ学校間で競争をしてはいけないのでしょうか。
 
 ここに、区内大手進学塾が中学校に入学する保護者説明用に作成した資料がございます。それによれば、区立中学校選びの第一は「学校の成績がとりやすいか」であると述べています。なんのことか調べてみますと、すごい資料が出てまいりました。東京都教育庁が作成した「中学校別評定割合」というものであります。これは都内すべての中学校における5段階評価のパ-センテ-ジを調べ一覧にしたものでございます。相対評価に時代には、5は全体の7%、4は24%と決まっていましたが、絶対評価に変わった結果、学校によりこの5段階の割合に大きな差が生じてしまっているのです。

 そこで、大田区立中学校28校の学校名を表示した評定割合の一覧表を公文書開示請求で求めたところ、学校名のみ非開示として決定通知をいただきました。その非開示の理由は「開示された学校に差別や偏見が生じる恐れがある」「学校が根拠のない批判を.受け、次年度の評定に不当な圧力が加わる恐れがある」との実に意味不明のものでありました。

 先ほどの進学塾では保護者にその住所地周辺の学校名と評定割合を教えておりますし、東京都教育庁総務課に確認しましたところ、東京都では学校名を表示して開示するとのことでした。つまり、民間の進学塾では公開し、東京都も開示している資料を、なぜことさら大田区教育委員会は隠そうとされるのでしょうか。学校別評定割合を東京都が公開しているのに、区が拒む合理的理由をお示しください。

 この評定割合がどの程度違うのかを、主要三教科で見てみましょう。評定割合にもっとも大きな差があったのは数学です。5の割合が最多の大森第一中学校では21.9%、反対に少なかった馬込東中学校では1.6%となっています。同じく英語では、東調布中学校20.8%、蒲田中学校3.1%、国語では矢口中学校17.7%、蒲田中学校4.2%となっております。では、教育委員会が危惧されている地域間格差があるのか確認しましたが、少なくとも評定割合において西高東低という結果は見出せませんでした。

 永井議長や荒川議員の出身校と私の娘が通った中学校は学区もだぶっていて距離的には至近でありますが、数学の5について2.4%と19.7%という10倍近い開きがあるのです。

 都立高校の入試では、内申点と入学試験の成績を1000点満点に換算して合否を決定いたしますが、300点から400点を占める内申点はこの5段階評価が決め手となります。東京都教育庁都立学校選抜担当に確認したところ、この評定割合は毎年もらってはいるが、学校別の評定割合を考慮しての選抜は行っていないとの回答でした。

 つまり、5を多く取れる学校、4を多く取れる区立中学校を選択したほうが、高校進学にはよい結果が得やすい、という極めて単純明快な原則が存在するのです。5段階の評定に地域間格差が見られず、学科ごとに同じ学校でもばらつきがあるという現実からは、担当教員の属人性しか原因を見つけられないのです。でないとすれば、はたして原因は何でありましょうか。いずれにしても、このような大きな差は公教育の機会平等の原則にも反し問題です。中学校間の評定割合の大きな差について、原因とお考えをおうおかがいいたします。

 最後に、作家の曽野綾子さんが産経新聞に書かれていた文章をよませていただきます。

ある地方都市で夫婦ともに重度の障害者である両親の面倒を、おむつをした赤ちゃんがみている、との驚くべき話を施設の神父様から聞いた。
お父さんは歩いてトイレにいけない。そこで「尿瓶」と言うと、赤ちゃんが「尿瓶」を持ってきて、用を足した尿瓶をトイレに持っていって捨てる。この赤ちゃん自身も、おむつを汚すと、自分で新しいおむつを持って、歩けない母親のところに行き、ころんところがり、おむつを替えてもらう。そして、汚れたおむつを自分で捨てるのだそうだ。
人は、自分が他人に与える立場にいるという自信を持つ限り、自暴自棄になることはない。

今の日本は不満だらけだ。その理由は国家から、会社から、親からもらうことばかり当てにしているのに、彼らはそれほど豊かに与えてやれないからだ。親や国家が無能なのではない。だれも自分を助けてくれる人は本質的にいないのだ。「赤ちゃん」まで親のために働ける。日本人の精神の方向性を、もらう期待から与える姿勢に180度転換すれば、この閉塞的な空気の重苦しさを解決する場面は多い。

この食うや食わずの状況で人を助けられますか、と言う人はあるだろうけれど、それは間違いだ。いささかでも与える生活はどんな貧しい境遇でもできる。与えることは国家社会に利用されることだ、という思想を払拭できれば、思いがけない道も開くのである。

 もの事の見方を変え、我が国の古き伝統を守り、公教育が、そして大田区民の雇用が守らるよう願って私の質問を終わります。


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