皐月賞、日本ダービーそして菊花賞で三冠を達成した「ディープ・インパクト」 は、正に文字通り「深い衝撃(=感動)」を与えた。テレビで見ていて、最後に一気に綺麗に抜きさる姿は、本当に感動だった。皆さんはどうですか。馬として、最近では、ずばぬけた能力だろう。この後、何連勝するのか楽しみだ。期待して見守りたい。
奈良女子大学にいる時、法人化を目の前にして「四つの理念」をつくるのに私は一寸苦労したが(理念1 男女共同参画社会をリードする人材の育成―女性の能力発現をはかり情報発信する大学へ― 理念2 教養教育、基礎教育の充実と専門教育の高度化 理念3 高度な基礎研究と学際研究の追究 理念4 開かれた大学―国際交流の推進と地域・社会への貢献―) 、私学の平安女学院に来たら、「建学の精神」というものが既にあって、ある意味で気が楽だと思った。その後、私学の会合に行くと、必ず「建学の精神」が語られ、教育の礎となっていることが分った。平安女学院に連なる女学校の設立に努力した草創期のクインビー司祭が1895年に本国に送った手紙にあった言葉が現在、平安女学院「建学の精神」となっている。
「知性を広げ、望みを高くし、感受性を豊かにし、そして神を知らせる」というものだ。やはり四つのポイントがあるが、何の説明もいらない簡単にして明瞭な「理念」とも言えよう。現在、学院のあちこちに掲げられている。
「知性を広げ、望みを高くし、感受性を豊かにし、そして神を知らせる」というものだ。やはり四つのポイントがあるが、何の説明もいらない簡単にして明瞭な「理念」とも言えよう。現在、学院のあちこちに掲げられている。
京都の中心部ともなると、その土地に長い歴史が折り重なっている。平安女学院に隣接して学問の神様と言われる菅原道真公を祀る神社があるが、実は平安女学院の敷地内に古い井戸があり、それは、この辺りで生まれた菅原道真の産湯につかった水を汲んだ井戸だと言われている。誠に学問をする場所にピッタリの話である。早速、平安女学院では、この井戸から汲み上げた水をボトリングして「知恵水」と称している。山岡景一郎理事長・学長から実物を見せていただいたが、売り出すのかどうか聞き漏らした。その井戸は、説明書きをつけて大切に保存されている。
「建築一般構造」を「春学期」に担当して、組積造(そせきぞう)のことも説明した。組積造とは英語ではMasonry Constructionであるが、煉瓦や石やコンクリートブロックなどの比較的小さな構造片を「組み積み上げて造る」構造だ。だから構造片が緊縛されて一体化していないと、地震の横揺れで簡単に瓦解してしまう危険性があり、日本では、明治期に洋風建築の流れで煉瓦造や石造建築が造られたが、関東大震災以後、ほとんど造られなくなっている。しかし、構造的工夫をすれば、今でも十分建築できると友人の構造学専門の中村 武君(金大附高、京大建築同期、現・京都工芸繊維大学名誉教授)が言っていた。
そういうこともあるが、西洋に旅行したりすると、そこらじゅう石造、煉瓦造なので、その見方も知っておく必要がある。又、東京駅や先に紹介した「平女」の明治館のような日本にある明治煉瓦建築を見たり、維持保全するうえでも必要だ。そこで、学生達に「平安女学院のチャペルや明治館の煉瓦は何積みか?」という課題を出した。一般にオランダ積み、イギリス積み、フランス積みなどがある。大抵は正解だった。イギリス積である。イギリス人の設計なので当然であろう。イギリス積やオランダ積は、積む段ごとに「長手」「小口」を交互にするが、フランス積では、同じ段に「長手」「小口」のリズムを作り、段毎にずらすやりかたをして、上からの荷重をうまく分散させている。写真は「明治館」のイギリス積みの煉瓦である。
そういうこともあるが、西洋に旅行したりすると、そこらじゅう石造、煉瓦造なので、その見方も知っておく必要がある。又、東京駅や先に紹介した「平女」の明治館のような日本にある明治煉瓦建築を見たり、維持保全するうえでも必要だ。そこで、学生達に「平安女学院のチャペルや明治館の煉瓦は何積みか?」という課題を出した。一般にオランダ積み、イギリス積み、フランス積みなどがある。大抵は正解だった。イギリス積である。イギリス人の設計なので当然であろう。イギリス積やオランダ積は、積む段ごとに「長手」「小口」を交互にするが、フランス積では、同じ段に「長手」「小口」のリズムを作り、段毎にずらすやりかたをして、上からの荷重をうまく分散させている。写真は「明治館」のイギリス積みの煉瓦である。
「平安女学院大学に行っています」と自己紹介すると、「ああ京都ですね」と言われることも多い。名前がそうだからだ。私自身も分かりやすく「平城京から平安京にきました」と自己紹介したりしている。法人本部が京都にあるので、あながち間違いではない。しかし、大学そのものは、実際は、大阪府高槻市にある。1987年に短大の時に京都から移転し、その後、4年制大学もつくった。大阪と京都の中間で、学生が来やすいことも考えたと思う。しかし、法人本部と中学校・高等学校は、昔から京都にあるし、今後も恐らくそうだろう。しかも烏丸通りに面し御所の西、京都府庁にも近く、分かりやすい所にある。御所に南面の同志社、東面の平女である。地下鉄・烏丸丸太町下車、北上すぐだ。目印は、レンガ造りの明治建築のチャペルである。聖公会系のミッションスクールなのである。立教や桃山学院と同じだ。女学校をスタートさせて130年の歴史を持つ。古いことを言うと湯川秀樹先生のお母さんも卒業生とのことだ。
時々、会議や何かで法人本部に行くとき、時間があると回りも散歩する。数日前も会議より少し前に到着したので内外を少し見た。写真は、「明治館」と呼ばれている建物で、明治建築である。明治28年(1995年)イギリス人ハンセルの設計、アン女王様式と言われる反転曲線破風(はふ)が特徴だ。1995年1月17日の阪神・淡路大震災の時にひびが入り、取り壊しの「危機」もあったが、室崎生子教授たちの努力もあって、2004年3月19日に国の登録有形文化財に認定され、改修、存続、有効活用の方向にある。同窓会等の寄付で改修している。改修が終るのが待ち望まれる。寄付をしても良い人は是非どうぞ。
時々、会議や何かで法人本部に行くとき、時間があると回りも散歩する。数日前も会議より少し前に到着したので内外を少し見た。写真は、「明治館」と呼ばれている建物で、明治建築である。明治28年(1995年)イギリス人ハンセルの設計、アン女王様式と言われる反転曲線破風(はふ)が特徴だ。1995年1月17日の阪神・淡路大震災の時にひびが入り、取り壊しの「危機」もあったが、室崎生子教授たちの努力もあって、2004年3月19日に国の登録有形文化財に認定され、改修、存続、有効活用の方向にある。同窓会等の寄付で改修している。改修が終るのが待ち望まれる。寄付をしても良い人は是非どうぞ。
昨日NHKTV(関西版)の「旅番組」で「百万遍」をやっていた。京大界隈である。私が、最初に「百万遍」という名を目にしたのは高校2年の頃(1958年頃)ではないか。受験勉強を始めていて通信添削の増進会(今の「Z会」)にも入っていた。そこで、毎回、成績が発表されるが、京大志望で何時もトップクラスにいた名前(ペンネーム)に「百万遍電車道(?」と言ったようなのがあった。今はどうしておられるだろうか。実際に、大学に入って京大本部構内の西北隅外の四辻、電車の交差点を中心にいう「地名」と知った。最近では、電車はもう走っていないが、年末の全国高校駅伝の時の通過地点で必ず放映されるので、最近、京大界隈はどうなっているかをチェックする意味でも見ている。この周辺に、誰もが一度は行くパチンコ屋があり、奨学金やバイト料を一時貯金(貯蓄?)しておく「第一勧業銀行」(今の名前は?)があった。勿論、食堂や喫茶店(名曲)等もあった。そもそも「百万遍」とは、この交差点東北にある浄土宗総本山・知恩寺(知恩院に非ず、注意!)の「南無阿弥陀仏読経・百万遍」の言い伝えから来ている。この境内も広く、良く散歩をした。幼稚園も経営していて、助手の時、娘が4,5歳だったが,
通っていて毎日送り迎えしていた。懐かしき思い出の一つである。
通っていて毎日送り迎えしていた。懐かしき思い出の一つである。