西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

災害シュミレーション(ノルウエーのフィヨルド)

2005-10-07 | 時論、雑感
ノルウエーで「地震はありますか」と聞いたら、「人体に感じるものはないが、地震計に記録されるものはある、それはアイスランドの火山活動による地震だ」という答えが返ってきた。そう言えば、アイスランドには火山帯が通っていて噴火がよくあるようだ。私は、そこで思った。その火山帯の割れ目を通じて思いもよらない巨大なマグマが噴出し、巨大地震が起こったとしたらどうなるだろうか、と。物凄い津波が発生し、ノルウエーにも押し寄せるのではないか。すると、それはフィヨルドの狭い空間を遡って陸地を襲い考えもつかない大災害になるのではないか。海の近くまで開発されている「裾牧草地」や人家はひとたまりもあるまい。
これは「悪い」想像である。しかし、あれこれの想像が、新たな人間定住地の創造につながるのではなかろうか。

木材製品で炭酸ガス減少に一役

2005-10-07 | 時論、雑感
Oさん(高槻市役所アドバイザー、農林業担当)のお話しで、もう一つ「目からうろこ」は、木材製品を買って使うと、地球上の気体としての炭酸ガス固定に役立っていることになる、ということだ。樹木は光合成で炭酸ガスを吸って木材に固定する。そして酸素を出す。だから樹木を切っても、後を補充すれば、炭酸ガス吸収は続き、切られた木をそのまま色々な製品(柱や梁、机や椅子、床、手すり、小物、割り箸等々)として使えば、固定された炭酸ガスは、そのままである。仮に燃料として燃やしても、別の樹木が立ち上がっていれば、炭酸ガスは「とんとん」である。結局、地球上の炭酸ガスを増やしているのは、大昔の地球が炭酸ガスで充満していた時に、それを吸収し、酸素を出して、動物が住める環境を創った植物群、大森林などが地殻変動で地下に埋め込まれ石炭や石油になったもの(過去の大量の炭酸ガスの固定)を「無理に」掘り出して使うことによるのだ。それを使えば、動物が住めなかった炭酸ガス充満だった大昔の地表条件に戻していることになるのだ。(石炭、石油は地下条件でエコロジカルには「満足」していたのに!)このままでは、人間が動物全体を「絶滅」に徐々に追いやっているとも言える。
以上が、地表の太陽光発電、風力発電、バイオマス発電等が、石炭、石油にとって替わらないといけない理由である。バイオマスでも樹木の屑を使ったりするが、地表の樹木を、後の手当て(植林管理)をして使うのは何ら問題ないことで、大昔の木材などが変化した石炭、石油を使うのと大違いなのである!!

イギリス住宅地の中心施設の教会はどうなるのか

2005-10-07 | 色々な仮説や疑問
少し前のブログで、イギリスでは日曜日に教会に行く人は5%にも満たないと紹介した。そう言えば思い出したのだが、1983年頃でも、中々教会に来ないというので日曜日の朝はテレビで、「テレビ・サービス」をやっていた。あれから反転せず減り続けているのだろう。そうなってくると、住宅地中心の立地の良いところにある教会はどうなるだろうか。来る人は少なくても「あることに意義がある」ということかもしれない。今回訪れたハムステッド田園郊外の中央広場にあるFree Churchではまずまずの「入り」のようだったが、年配者が多かった。
今後、教会空間を、宗教以外の若者向きの利用に供することもあるかもしれないし、もう始まっているかもしれない。
これはアメリカの話だが、「大草原の小さな家」のようにコミュニティの問題は何でも教会で話し合うというのは、「遠い昔の夢」になってしまったのだろうか。

住宅計画Ⅱ講義要約1

2005-10-07 | 地域居住学
今日から、住宅計画Ⅱの講義が始まる。Ⅰを住宅中心で丸谷先生がされたのを受けて居住地の地域施設中心に話をすることにする。参考書は『初学者のための建築講座 建築計画』(佐藤孝一、五十嵐太郎著 市ヶ谷出版)である。
・先ず建築計画を企画ー計画ー設計ー施工(建設)-管理の流れの中に位置づける。後の段階の情報はフィードバックで前の行為に繋がっている。
・建築の計画を考える時、その内外の生活を矛盾と発展の中でとらえる必要がある。(調査研究、発展仮説の必要性)
・生活主体として、利用者と使用者を中心におく。(ただ、その裏に管理者、経営者、所有者等がいること、それらの立場もあることを忘れないでおく)
・歴史的に、中心主体、考慮主体が替わって来ていることを考慮。例えば病院では、医者、看護婦(看護士)、患者、見舞い人、地域住民等。
・今後、高齢化、少子化を頭におく。新築の他リフォームも大切。
・重要なキーワードは「つながり」(これは次回にも一寸言うべし)
(地域居住学Ⅱと「つながり」で繋がっているかな、と思う)
ブログ番地も伝えておいた。

イギリスのイスラム社会と政府の対応

2005-10-07 | 時論、雑感
昨日、NHKTVで、イギリスで普通の市民(イスラム教徒)がテロを起こしたので、ブレア政府は、今までの寛容な態度を変えて普通のイスラム教徒を含めて警戒、「監視」「規制」に乗り出したようだ。我々が短時日、ロンドン周辺にいたが、表立って気付かなかった。大抵のイスラム教徒はテロには反対だが、同時にブレア政府のイラク侵攻にも反対のようで、穏健なイスラム教徒がテロ防止でブレアに協力すると、同時にイラク侵攻にも賛成とみなされて「困る」ようだ。もう少し、対応を見守りたい。安達さんの辛口コラムも覗いてみよう。

ところで、イギリス人(キリスト教徒)は最近殆ど教会に行かないようだ。日曜サービスには5%も行かないと、ラジオ深夜便のイギリス報告で言っていた。
イスラム教、キリスト教そして仏教、無神論等は、今後どうなっていくのだろうか。