関西における都市計画コンサルタントの草分けの一人、藤田邦昭さんが亡くなられてどれ位経つだろうか。藤田さんは、西山研の出身ではないが、いわば「客人」として、西山夘三先生存命の折り、毎年のように開かれていたOB・OGによる新年会に大抵来ておられた。福井大学建築学科のご卒業で、日本住宅公団、RIAを経由して「都市問題経営研究所」を設立されたと記憶している。ボトル・シップの製作にも力を入れておられた。私は、お会いすると現場の都市計画の苦労話をお聞きするのが楽しみだった。いつぞや、私が世話役で奈良で新年会をし、私と霜田君(現・鳥取大学教授)が宴会の前座で話をしたことがあった。場所は、東向通りの「女性センター」である。
その日の、宴会で藤田さんが、私に「そごう計画(そごうはその後、つぶれてイトーヨーカドーになっている)」の話をされ、その中に『朝日新聞』が色々な教室を出す話があるらしいことを言われ、藤田さんは「自分としては、そちらに全部客の流れが行くのではなくて、例えば奈良町に町家を活用して散在する形で教室をつくれば、全体的に活性化するのでは・・、今までは集中型の教室しかないから、散在型は市民溶け込み型で面白いし、話題性があると提案したが、乗ってこない」といった趣旨を言われた。私も、キャンパス囲い込み型でない「市中溶け込み型」の大学というのも面白い、と考えていた矢先なので「ピーン」ときたし、よく覚えているのである。
その後、奈良町の「空き家」を活用して奈良に関連する色んな学問、大学のセミナーハウス群をつくったら、と私は提案(1996年10月)したが、今日、その一つ「奈良女子大学セミナーハウス」がオープンする。藤田邦昭さんを自然と思い出したのである。
その日の、宴会で藤田さんが、私に「そごう計画(そごうはその後、つぶれてイトーヨーカドーになっている)」の話をされ、その中に『朝日新聞』が色々な教室を出す話があるらしいことを言われ、藤田さんは「自分としては、そちらに全部客の流れが行くのではなくて、例えば奈良町に町家を活用して散在する形で教室をつくれば、全体的に活性化するのでは・・、今までは集中型の教室しかないから、散在型は市民溶け込み型で面白いし、話題性があると提案したが、乗ってこない」といった趣旨を言われた。私も、キャンパス囲い込み型でない「市中溶け込み型」の大学というのも面白い、と考えていた矢先なので「ピーン」ときたし、よく覚えているのである。
その後、奈良町の「空き家」を活用して奈良に関連する色んな学問、大学のセミナーハウス群をつくったら、と私は提案(1996年10月)したが、今日、その一つ「奈良女子大学セミナーハウス」がオープンする。藤田邦昭さんを自然と思い出したのである。
太田より
都市問題経営研究所の創業者である藤田邦昭は、平成13年12月に他界しております。もう4年になります。早いものです。
私は、都市問題に入所して15年、思えば11年間藤田邦昭氏の元で仕事をさせていただきました。このブログでも紹介していただきました高槻の芥川中地区まちづくり協議会のシンポジウムや展示会は、藤田邦昭の遺産で運用されている藤田記念まちづくり企画支援事業の助成を受けました。
再開発コーディネーター協議会のhpで紹介されています。
http://www.urca.or.jp/bosyu/17fujitaresult.htm
http://www.urca.or.jp/bosyu/17fujitareport.htm
展示会及びシンポジウムは、平安女学院大学の先生・学生の皆さんの協力を得て成功裏に終了できたことをこの場をお借りしてお礼申し上げます。