私が扇田 信先生のあと、住生活学講座の教授になったが、引き続き京大防災研究所教授で「風工学」がご専門で、奈良市白豪町に住んでおられた石崎溌雄先生に「構造力学」の非常勤講師をお願いして快く来ていただいた。石崎先生は、戦後、東大建築学科から京大に赴任されたが、元々は東大航空工学御出身の秀才だった。戦争中、工学部では飛行機を作るための航空工学に秀才が集まっていたのである。ところが、戦後は、飛行機を作らなくても良くなり、石崎先生は「行き場」を失い、風のことは出来たので建築学科に転じ活かしたいと思った、ようなことを伺った。戦後の京大では構造、計画、歴史等の区別なく助手等の若手には交流があったようで(助手室という大部屋のせいもある)、石崎先生は、当時、京大助手だった扇田先生ともじっこんになられたのだ。ために奈良女子大学の非常勤に扇田先生の要請で来られていて、私の時に引き続き来ていただいたのだ。石崎先生との会話で、面白かったのは「西村君、モンロー効果というのを知っているかい。アメリカ人の命名だが、超高層の谷間では、上空でゆるい風が吹いていても足元は突風ということもある。ために女性のスカートが、映画での女優マリリン・モンローのスカートのようにめくれ上がる、そういう現象を言うのだ。アメリカ人は命名が上手い・・」と。風に関連して、ガラス窓と風との関係を、もう少し早く研究していたらよかった、とも言われた。晩年、何故か住生活に興味をもってもらい、私と今井範子さん(当時・助教授、現・教授)が何回かお話したこともある。窓ガラスとの関係を意識しておられたとしたら、今、私が関心をもっていることの一つである。石崎先生は、昨今の大型化した台風やハリケーンのことを「彼岸」でどう思っておられるだろうか。
トイレ、洗面所、風呂の水回りは新たに改修された。長坂 大さんが担当された。ゼミの学生とも共同で考えられたと言う。大変、清潔そうで、「合宿」も可能かもしれない。浴槽の横の小窓から外(庭)が見られるのも良い。こういう風に、古い「外枠」を残しつつ不便な「内部」は近代的にする、というのも「リフォーム」の一つの演習になるであろう。時代の流れに合っていると言える。
上野邦一さんの説明では、通り庭に昔使っていた「へっつい」があり、上のほうを見ると構造の梁が良く見え、教えるのに本当に良いとのことだ。通り庭の「地面」部分は、コンクリートと土の部分が分かれているが、当分そのままにしておきたい、と上野さんは言う。何故なら、それで時代の変遷が分かるからだ。
そう言えば、奈良町自体、色々な時代の住宅が混じっていて時代考証の練習場とも言えよう。それ自体が良いとすると、「異時代の景観複合」ということになろう。
ここの「へっつい」を使って昔風に料理をつくったり、この「通り庭」で餅つきをすることも出来よう。
そう言えば、奈良町自体、色々な時代の住宅が混じっていて時代考証の練習場とも言えよう。それ自体が良いとすると、「異時代の景観複合」ということになろう。
ここの「へっつい」を使って昔風に料理をつくったり、この「通り庭」で餅つきをすることも出来よう。
最近は、大學は「お客さん」の学生が中心だ。このセミナーハウスの調査、清掃等は「上野ゼミ」の学生中心で行われた。2月に行われた清掃に私も参加したが、学生達は1階から2階へとほこりまみれで中心的に働いていた。今日もテープカットもしたし、看板かけもしていた。これがマスコミを通じて社会へ流れれば、学生が色々活躍できる大學だと認定されることに通じる。私も「心しなければ」と思った。
本日、奈良町(奈良市)に「奈良女子大学セミナーハウス」がオープンした。私も「招待」され会に参加した。私が1996年に最初に「セミナーハウス群」アイデアを発信したが、その後、私自身は「管理職」で忙しくなってきたので、上野邦一さん(現・生活環境学部長)に実現を託していたが、昨年、大學の地域貢献事業で奈良町の空家調査をして、「正木邸」を「発見」、正式に奈良女子大学(久米健次学長)と所有者の正木康雄さんとが協定を交わし、内部の掃除・整理、畳のやりかえ、水回りの改修(長坂 大・助教授担当)を経て、本日、正式にオープンした。上野邦一さんによると、江戸時代の建築ではないか(二階の階高が低い・・)と言う。いわゆる町家様式、通り庭があり、裏に中庭、土蔵がある。場所は、興福寺石段を下りて真っ直ぐ南下、元興寺極楽坊を更に南下、左手である。久米学長(真ん中右)、正木さん(同左)、学生二人(左右)でテープカットをした。外部の我々も使わせて貰えるようだ。一度、NPOの会合等で使ってみよう。何はともあれおめでたい。
近着の『図書』誌11月号(岩波書店)で筑紫哲也さんが、「木」を見直す、を書いている。筑紫さんは私よりやや上の世代、ジャーナリストとして活躍している。小文を読んで、有力な「同志」が一人増えたな、と思った。この「木」の話に入るネタとして筑紫さんは、画家にして建築家のフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(1928~2000)にインタビューしたこと、フンデルトヴァッサーの主張の要約を述べている。「へ~」と思った。フンデルトヴァッサーの言っていることは、無関係に(うかつにも知らずに)考察してきた私の考えと大変似ているのである。一度、きちんと押さえたい。私も昔ウィーンに行って公営住宅の「フンデルトヴァッサーハウス」を見て感銘を受けたことがある。どこかに写真がなかったか。色彩も鮮やかだが、壁に凹凸があり曲面ともいえる。緑も「立体緑」だ。筑紫さんの要約による「百水」さんの主張は、「全ての直線は犯罪である」「窓の権利」「緑の義務」「家は人間の第三の皮膚である」「家は人間を映し出す鏡である」とある。小文では最後に「緑滴る日本を小さなパラダイス」と見たフンデルトヴァッサーの言葉をあげる、「日本は、どのように私たちがこれから暮らすべきかを、過去にすでに示している」「近代の日本は、この見事にバランスのとれたパラダイスを失ってしまった」「自分が自分であることの本質を、いまの日本はますます捨てさろうとしている」「日本は、日本を失いつつある。まるで鳥が飛ぶことができなくなるのと同じように」
フンデルトヴァッサーは、21世紀直前に亡くなった。しかし、21世紀は、彼の主張を「遺言」として再び考えていく世紀になるかもしれない。
フンデルトヴァッサーは、21世紀直前に亡くなった。しかし、21世紀は、彼の主張を「遺言」として再び考えていく世紀になるかもしれない。
関西における都市計画コンサルタントの草分けの一人、藤田邦昭さんが亡くなられてどれ位経つだろうか。藤田さんは、西山研の出身ではないが、いわば「客人」として、西山夘三先生存命の折り、毎年のように開かれていたOB・OGによる新年会に大抵来ておられた。福井大学建築学科のご卒業で、日本住宅公団、RIAを経由して「都市問題経営研究所」を設立されたと記憶している。ボトル・シップの製作にも力を入れておられた。私は、お会いすると現場の都市計画の苦労話をお聞きするのが楽しみだった。いつぞや、私が世話役で奈良で新年会をし、私と霜田君(現・鳥取大学教授)が宴会の前座で話をしたことがあった。場所は、東向通りの「女性センター」である。
その日の、宴会で藤田さんが、私に「そごう計画(そごうはその後、つぶれてイトーヨーカドーになっている)」の話をされ、その中に『朝日新聞』が色々な教室を出す話があるらしいことを言われ、藤田さんは「自分としては、そちらに全部客の流れが行くのではなくて、例えば奈良町に町家を活用して散在する形で教室をつくれば、全体的に活性化するのでは・・、今までは集中型の教室しかないから、散在型は市民溶け込み型で面白いし、話題性があると提案したが、乗ってこない」といった趣旨を言われた。私も、キャンパス囲い込み型でない「市中溶け込み型」の大学というのも面白い、と考えていた矢先なので「ピーン」ときたし、よく覚えているのである。
その後、奈良町の「空き家」を活用して奈良に関連する色んな学問、大学のセミナーハウス群をつくったら、と私は提案(1996年10月)したが、今日、その一つ「奈良女子大学セミナーハウス」がオープンする。藤田邦昭さんを自然と思い出したのである。
その日の、宴会で藤田さんが、私に「そごう計画(そごうはその後、つぶれてイトーヨーカドーになっている)」の話をされ、その中に『朝日新聞』が色々な教室を出す話があるらしいことを言われ、藤田さんは「自分としては、そちらに全部客の流れが行くのではなくて、例えば奈良町に町家を活用して散在する形で教室をつくれば、全体的に活性化するのでは・・、今までは集中型の教室しかないから、散在型は市民溶け込み型で面白いし、話題性があると提案したが、乗ってこない」といった趣旨を言われた。私も、キャンパス囲い込み型でない「市中溶け込み型」の大学というのも面白い、と考えていた矢先なので「ピーン」ときたし、よく覚えているのである。
その後、奈良町の「空き家」を活用して奈良に関連する色んな学問、大学のセミナーハウス群をつくったら、と私は提案(1996年10月)したが、今日、その一つ「奈良女子大学セミナーハウス」がオープンする。藤田邦昭さんを自然と思い出したのである。
多分、だが例えば小説家は、電車やバスなどに乗ったら、眠ったりしないで窓外の風景に目を凝らし、車内の諸種の会話に耳をそばだてているのではないか。
作品にでてくる様々な場面、様々な会話の元は、そうして取材されているのだろう。窓外の風景に目をやることについては、西山夘三先生のエピソードを大分前にブログで紹介した。昨日は、バスで若いお母さん同士が、子どもの兄弟姉妹の生活ぶりの細々したことについてづっと話していて、何気なく聞いていて、本当に面白かった。ただでドラマを楽しませてもらった気分になった。
生活の研究、生活の調査の一つのジャンルかもしれない、と思うほどだった。
でも四六時中、緊張は続かない、バスからJRに乗り継いだら居眠りしてしまった。
作品にでてくる様々な場面、様々な会話の元は、そうして取材されているのだろう。窓外の風景に目をやることについては、西山夘三先生のエピソードを大分前にブログで紹介した。昨日は、バスで若いお母さん同士が、子どもの兄弟姉妹の生活ぶりの細々したことについてづっと話していて、何気なく聞いていて、本当に面白かった。ただでドラマを楽しませてもらった気分になった。
生活の研究、生活の調査の一つのジャンルかもしれない、と思うほどだった。
でも四六時中、緊張は続かない、バスからJRに乗り継いだら居眠りしてしまった。