西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

芋掘り

2005-10-18 | 金沢の思い出
芋掘りのシーズンだ。名古屋の孫で4歳の歩(Are you me?のあゆみ)ちゃんが明日、幼稚園から東海市まで芋掘りに行くと言う。子ども達は秋になると大体芋掘りをするのかな。娘が京都の「百万遍幼稚園」に行っていた時も多分今ごろ宇治まで芋掘りに行っていて、その写真を覚えている。青い帽子にピンクの「うわっぱり」で芋を掘り当てた得意そうなところが写っている。彼女はもう30ウン歳だ。
ところで、私自身の芋掘り経験はどうかと言うと、戦後まもなくで食糧難、今のようなレクレーションとしての芋掘りではなく、小学校の校庭も芋畑になっていた時代、私も5、6歳で、親父に連れられて金沢郊外の「増泉」という母方祖父の出た村で借りた畑に、食糧確保のため、芋掘りに行った記憶がある。いざと言う時には芋は有難い食糧だ。もし、今後、何かあったら広大なゴルフ場を芋畑にすればよいのでは、と狙いをつけてみている。しかし、そういう時代は来ない方が良いにきまっている。

小林 昭さんの思い出

2005-10-18 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
加藤邦興さんを偲ぶ会で、加藤さんの弟子で大阪市大助教授の田口直樹さんから金沢大学経済学部教授だった小林 昭さんが2年前に亡くなったと伺った。(10月16日のブログ参照)びっくりした。確か、小林さんは私とほぼ同期であったと思う。宮本憲一先生が金沢大学法文学部に勤めておられた時のお弟子さんで大学院は名古屋大学経済学研究科だった。私は、若い頃から宮本先生が理論的支柱のお一人の自治体問題研究所の全国的な研究会にも時々参加して小林さんとも面識になっていた。そして1982年から1983年にかけてロンドンのLSEの書店(LSE路地の突き当たり)で、ばったり会って彼もLSEに来ていると知った。以後、私の大学(京大建築)先輩の三宅 醇さん(豊橋技術科学大学名誉教授)も前後してロンドン大学の他のカレッジに来ておられたので、三人であちこち出かけたこともあるし、二人は「ロンチョン」(ロンドン・チョンガー)だったので二人を招いて時々拙宅で家内や娘も交えて和食パーティ(すき焼き等)をしたこともある。その時、小林さんは娘(当時、中2~3)に一寸した土産を持って来る優しいところもあり、娘や家内は、その後も良く覚えて話題にしていた。小林さんと一緒に、小林さんの提案で金沢に似た町というのでノリッジに冬行ったこともあり、その時の印象は私が『北陸中日新聞』に書いた。(「温故知新」型再開発 金沢に似た町、ノリッジ 1983年2月14日号)バーミンガムの「Envelope Scheme 」(建物の「皮」だけ修復する計画)も小林さんから聞いて出かけてみたこともある。帰国してから、LSEのマイケル・へバット博士(現在はマンチェスター大学か)を金沢に招いて歴史的都市の保存のシンポを一緒にしたこともある。金沢市平和町の宿舎にお邪魔したこともあり、色々思い出が多い。今度、金沢に行ったら、是非、奥さんに「お悔やみ」を言いたいと思う。