西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

奈良女子大・奈良散歩05年10月13日-8日吉館

2005-10-13 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
奈良国立博物館の前、バスや自動車が激しく行きかう道に面して戸を閉ざしている和風の建物が、元旅館の「日吉館」である。ここは、昔、奈良の建築などを調べる研究者や学生が泊まった所だが、今は閉鎖されている。私も京大の建築学科の学生の時(1960年~1964年)、建築史の川上 貢先生に連れられて奈良の建築見学に来て、ここに泊まった記憶がある。又、奈良女子大に赴任した1974年頃は未だ営業していてゼミのすき焼きコンパをした記憶もある。今や色々な人の「記憶の塊」の建物になってしまった。

奈良女子大・奈良散歩05年10月13日-7異時代の景観複合

2005-10-13 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
写真の右手が奈良国立博物館・新館の東の端、真正面の和風の建物は旧奈良県物産陳列所(現・奈良国立博物館仏教美術資料研究センター)の裏である。明治35年(1902年)に竣工、設計は建築史家の関野 貞である。真ん中の低い四角い現代建築が地下に主な施設のある奈良国立博物館の修理所といったものである。後ろの旧奈良県物産陳列所を隠さないように高さを低くし目立たないようにした。奈良市の建築文化賞を受賞している。私も審査員の一人だったので見に来たことがある。
こういう異時代のデザインを一箇所で見るのも面白いと思う。先ほどの「鴎外の門」から直ぐの所に視点をおけば良い。道の前を見て歩いて行くと見過ごす視点だ。是非見つけて欲しい。

奈良女子大・奈良散歩05年10月13日-6鴎外の門

2005-10-13 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
奈良には志賀直哉のほか、少し古いが森 鴎外も一時的に住んでいた。大正6年(1917年)に東京・京都・奈良帝室博物館(現在の国立博物館)の総長に任命されたためだ。現在の奈良国立博物館・新館の少し東側(若草山寄り)に官舎があり、そこに住んでいたのだが今は「鴎外の門」だけ残され、横に説明書きのある石が置かれている。奈良国立博物館前を東大寺、若草山の方向に向かって歩く途中にあるのだが、門だけなので見落としやすい。

奈良女子大・奈良散歩05年10月13日-5木造橋の修繕

2005-10-13 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
志賀直哉邸から少し遠いが歩いて奈良女子大まで戻った。今後とも外国を歩いて見て回るため足は鍛えないといけない訳だ。途中、飛火野の前に「木造橋」があり職人が欄干の修繕をしていた。聞くと、5年に一回位の修繕だという、修繕して継続して手をかけているということが長持ちする一つの条件だ。法隆寺などは細かく修繕して千年以上もっている。見ると、周りの手すりや柵も木である。しかし、すこし行くと藤棚を支える支柱が「ぎ木」だったので「がっかり」した。奈良県は吉野など林業も盛んな所、出来るところは、しっかり木造にして、しっかり管理していきたいものだ。

奈良女子大・奈良散歩05年10月13日-4空間占拠の値段

2005-10-13 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
喫茶空間「たかばたけ茶論(さろん」という名前は元々志賀直哉が自分の家につけた名前で、文人墨客を呼んで談論風発を楽しんでいたのだ。その名前を今の喫茶空間が使っている。直哉邸の小路をはさんだ向かいで、庭にもテーブル、椅子があり、そこから直哉邸も良く見える。直哉邸が休みだったので少し「がっかり」してここで休もうと入ってくると庭の席には日本人男女二人(別々)と外人三人(男一人女二人)がいた。私は庭の一番奥に座り珈琲を注文した。ゆっくりした準備で女将が持ってきた。聞くと外人はスペイン人のようだ。良くここを調べてきたものだ、と思った。私は直哉邸の方を見ながらゆっくりと珈琲を飲んだ。珈琲は550円で「高め」である。「場所代含むだな」と思った。やがて日本人の二人は退散して行った。スペイン人は「ああだこうだ」と言いながらねばっている。私は秋の午後の気持ちよい風を受け、流れる白雲を見上げてリフレッシュ、小1時間以上いたが、又来ようと思い退出した。スペインの御仁はまだ当分いる気配、流石、ヨーロッパ人、空間占拠の値段通りに楽しんでいるな、と思った。

奈良女子大・奈良散歩05年10月13日-3志賀直哉旧邸

2005-10-13 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
志賀直哉が住んで『暗夜行路』を書いた家が奈良にある。久しぶりに行ってみた。バスの市内循環外回りに乗り春日大社前を越え「破石町(わりいしちょう)」で下りて新薬師寺の方に歩いて3、4百メートル、指示に従い左手の小路に入ると右手が志賀直哉旧邸である。残念ながら、今日は木曜の休みで中に入れなかった。前に二度ほど入ったことがある。今日の目的は、書斎の窓からの風景を撮ることだったが、残念ながら次回にせざるをえなかった。一寸休もうと小路をはさんで向かいの「たかばたけ茶論(さろん)」に入り、庭のテーブルで珈琲を飲んだ。ここの女将さんに志賀直哉先生の書斎の窓からどういう風景が見えるか聞いてみた。「それは若草山が正面に見えますよ。山焼きも書斎から見物しようと、先生はそういう風に窓を作ったのではないですか」と、私が想像していた「理想的」答えが返ってきた。今度しっかりと確かめてみたい。

奈良女子大・奈良散歩05年10月13日-2奉安殿

2005-10-13 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
奉安殿といっても恐らく分からない人が多いのではないか。奈良女子大正門を入ってすぐ左手にある建造物だ。実は、これは戦前に意味のあったもので、明治天皇・皇后の写真(御真影と言う)が収められてあった建造物だ。昔は白亜のものであったが、今は、余り知る人もなく草生している。戦前は、儀式の時に校長が、ここから御真影を恭しく戴いて式場まで運んだのだ。戦後は、全国の各学校にあった奉安殿はことごとく解体されたが、何故か、奈良女子高等師範学校のこれは残って今に至っている。今や往年の歴史を物語る歴史的建造物になっている。

奈良女子大・奈良散歩05年10月13日-1女子大前

2005-10-13 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
今日は、午前の非常勤を終えた後、午後に天候も良かったので少し散歩をした。奈良女子大・奈良散歩であるが、このテーマは幅広く奥深いので今後日付をつけることにする。先ず、奈良女子大前から、この大学は昔は奈良女子高等師範学校で、更にこの敷地の中核は江戸時代には奈良は天領で「奈良奉行所」があった所だ。
そのことが、奈良女子大前やや右側(南側)にある寺川古道具店の2階に何故、窓が付いていないかにつながっている。勿論、この家は明治以降に建てられたものだが、江戸時代の建て方を踏襲している。つまり、この家の2階からは「奈良奉行所」を直接見下ろしてはいけなかったのだ。そこでは実際に「お仕置き」がされていたかもしれないからである。私は、奈良女子大に勤めて長年、何故、2階の階高がかなりあり、壁も広いのに窓が一つもないのか、疑問に思い、上の仮説を持つに至ったが、ある時、ここの主人の寺川さんに聞いて、確かにそうだ、と確認したのである。勿論、2階に明りを取り入れるため横に小さな窓が付いている。念のため。

地域居住学Ⅱ講義要約2ー居住地再開発、再整備

2005-10-13 | 地域居住学
今日は居住地の再開発、再整備について、1960年から70年代の民間の開発、建売住宅や民間アパート地の問題点即ち過密ー細い道路、下水不備、他の社会資本も弱いーについて述べ、大阪庄内南(豊中市)の例について経緯と共に5つの計画の柱を住民自身が専門家の助けを借りてつくったことを当時(1976年)の「住民新聞」のコピーを使って具体的に説明した。今日は、第一の柱の「道路計画の考え方」等を説明した。三つあって、第一は、歩き(歩道)中心であること、これについては異論がないが、日本では西欧諸国に比べ歩道は弱いこと、日本で歩道といえば、車道の横についているものを想起するが、必ずしもそれに限らないこと、専用歩道も良いが、相楽ニュータウンでも問題があること、横断歩道橋は良くないことと、その理由等を述べた。第二は、通過交通の域内乗り入れ禁止で、近隣住区論にもあり、異論ないこと、第三は、車道への駐車禁止であるが、イギリスのハムステッド田園郊外の例(ブログ:ロンドン報告(23)9月28日参照)もあり一概には決め付けられないこと、を述べておいた。

木材と化石燃料の利用と炭酸ガス

2005-10-13 | 色々な仮説や疑問
最近1ヶ月位に私自身の一つのまとまった考え方が「仮説的に」形成されてきたので、反芻、簡単にまとめておきたい。ブログに付き合っていただいている皆さんは、最近づっと木材、森林のことに記事の重点が行っていることに気付いておられるだろう。それらを「要するに・・」とまとめると、次のようになるのかな。
1)木材を、そのまま使うとその分、炭酸ガスを固定し空気中から減らすことになる。(どんな形で使っても良い。住宅や建築に使うのが一番大きく、小物の飾り等も良い。私は特に「手すり木」を内外で普及したら・・と言っている。これには、人間の「猿からの進化」ということも含まれる。)勿論、使いっぱなしでなく樹木は植えていったほうが良い。(本当は樹木の価格には再生分=苗植えも含まれるべきだろう)
2)木材を燃料や電気エネルギーに変えるのに燃やしても、その分、樹木として補えば、炭酸ガスの放出と吸収がバランスするので、良い。(今までは、これは炭酸ガスを出すので拙いと思っていたが、同じだけ樹木を植えていけばよいのである。これは現状の森林をイメージして減らさないようにすれば良いので考えやすい。)
3)過去(太古)の膨大な樹木(密林)のなれの果て(?)である石油、石炭を使う場合は、元々太古の炭酸ガスの塊であるから、それを「燃やす」と太古の炭酸ガスの充満した空気状態に徐々に戻すことになり、動物は生き延びられなくなる。だから、その分、計算して森林を今より増やす必要がある。大砂漠を大森林に変えるくらいのイメージである。(ここに、ガソリン税を森林育成に使うべし、という論理的根拠がある)
勿論、樹木の光合成以外の方法で大量に炭酸ガスを吸収する方法が見つかれば、それに越したことはない。皆さんのご意見をお伺いしたい。