西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

関西三都女子六大学(私学)

2005-08-21 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
関西三都女子六大学(私学)のホームページが立ち上がったようなので伝えておきたい。コンテンツはこれからのようだ。
http://www.santo-joshidai.com/
この「平京ダム神同武」という言い方は、たまたま私の8月5日のブログにある。
この六大学をみると、キリスト教系4大学、仏教系1大学、普通1大学となっている。今後、理念や歴史、教育や研究、卒業生の活躍など、比較しながらコンテンツが充実することを期待している。

平城ニュータウン・朱雀、左京の夏祭りから

2005-08-21 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、今日と平城ニュータウン・朱雀、左京の夏祭りだった。私は、今年は、朱雀二丁目にあるコーポラティブ住宅「つなね」の理事長をしているので、その夏祭りには全面的に参加すべき、と思っていたが、4月から「居住地人間」になりきれず「大学人間」を続けているので、昨日の土曜日も大学のオープン・キャンパスでそちらに出かけた。今日は日曜日なので、午後に夏祭りに出かけてみた。小雨なので舞台を使うイベントは全て中止で、自治会役員たちが「ビール宴会」をしていたので「入ってもエンカイ?」と聞いて一緒に一缶飲んで駄弁ってきた。
平城ニュータウンは人が住み始めて35年ほどになるのではないか。私が奈良女子大に勤めだした31年ほど前には既に住み始めていたのは事実である。こういう余所から新たに集まってきた人たちが仲良くなる方法の有力なものが「祭」である。元々それは、農業や商業を一定の空間、村や町でやっている人たちが収穫の喜びを分ち合ったり、暇な時期を利用してやったもので、いずれにせよ一緒に働き住んでいることに基礎がある。ところがニュータウンや団地では、単にたまたま近くに住んだということでしかない人間関係だ。朱雀や左京といった町名も元々平城京のものではあるが、ニュータウンとは何の関係もない。たまたま平城ニュータウンと命名されたため、そういう町名にしようか、となったのだ。平安京の場合は左京、右京は現実に残っているが、平城京では、それらは残っていなかったことにもよる。
たまたまの人間関係、たまたまの町名を住民主体で実質化していくのは今後のことであろう。
藤原 昭・新奈良市長、行政も宜しくね。

小泉政権の採点など

2005-08-21 | 時論、雑感
今日の『朝日』は、03年の総選挙の小泉政権(自民党)マニフェストの採点をしている。一部「晴れ」があるのは、「国と地方」の項目と「経済財政」で、他は「曇り」「雨」「霧」そして「外交」は「大雨」、「社会保障」では「雪」まである。
小泉さんは「郵政民営化が必要ないのか、国民の皆さんに聞いてみたい」と言って、これを唯一の争点にしたいようだが、それは国政を担当する人としては無責任と言われても仕方がない。勿論、文書として120項目のマニフェストを今度出してはいる。これらをじっくり読み、他党のマニフェストも読んで、考えて投票に行きたい。「任期中、消費税を増税しない」と小泉さんは言っていたが、今度のマニフェストでは、来年任期がくるせいか、「07年をめどに消費税を含む税体系の抜本的改革を実現する」とあるようだ。何でも「改革」と言えば良いものではあるまい。その中身が問題なのだ。まだ時間があるので、じっくり勉強してみたい。
ところで、私がイギリスにいた時(1982~1983)、サッチャー政権で、私のいたミルヒルの近くのフィンチリーがサッチャーの選挙区で総選挙があった。私の家にも保守党、労働党、自由党の運動員が個別訪問に来た。イギリスでは個別訪問は認められており、それは正にマニフェストの説明、議論のためだ。日本のように「買収」しようとすれば、それだけで落選間違いなしの風土だから出来るのだろう。私はElectorではない、と言ったが戸口で粘り強く説明していた。

愛犬・ジョンとその死に関連して

2005-08-21 | 京都の思い出(松ヶ崎、向島時代)
京都の向島ニュータウンに住んでいた時(  ~1994年11月)、ジョンという犬を飼っていて最終的にそこで死んだ。最後は、フィラリアだったと思う。保健所に連絡して引き取りに来てもらった。火葬のためである。一晩、箱に入れ「通夜」をした。娘も未だ子供だったが記憶に残っていることだろう。今でも、家族で集まるとジョンの話題になることがある。このように、ペットは一般に人間より寿命が短いので先に死ぬ場合が多い。だけど、一緒に暮らした記憶は長く残って、日々の生活の色合いを作っている。
ところで、道端で交通事故の犬や猫が放置されている場合、どうしたらよいだろうか。保健所に電話して引き取って貰うのが正解かもしれない。しかし、子供達に命のことを伝える良い機会と考え、地域で場所を選んで子供達も含め、そのペット達を丁重に土葬するというのはどうだろう。命は土に、自然に戻るのが自然な訳だから・・。

半島論

2005-08-21 | 色々な仮説や疑問
私は金沢生まれで、金沢は石川県に属している。石川県の領域は江戸時代まで加賀と能登で構成されており、能登は、正に能登半島部である。子供の頃、金沢(加賀)が都会、七尾、輪島のある能登は田舎というイメージだった。金沢にいるので、そのように感じたに違いない。
その後、大人になり現在にいたるまで良く過去まで含めて考えれば、日本列島の半島は、初めは外部(外洋)からは取っ掛かり部であり、入り口であり、先進部ではなかったか、と思うようになった。朝鮮半島(これも国全体が半島だ)から、また中国大陸から潮流に乗って流れてきたら、当然、最初に島か半島にぶつかる。隠岐島、丹後半島、能登半島、佐渡島あたりに流れ着く。昔は朝鮮半島や中国大陸の方が文明や文化が進んでいたから、進んだ文物や人物が半島から日本に入ってきたのだ。太平洋側で考えると最大の半島は紀伊半島(私は紀州、伊勢を含む紀伊半島は、真ん中の大和も入れて、紀和伊半島と言うべしとも思う。一寸、際もので奇異かな?)で、ここも大昔は「進んでいた」のではないか。先端の熊野神社の辺りに中国の秦の始皇帝に頼まれて不老長寿の薬を探しに「徐福」が漂着した伝説も残っている。
ところが、時代が下がると、湾の奥(半島の付け根)に港、都市が出来、それらを結んで幹線がはりめぐらされ、新幹線や高速道路も大体、半島の付け根を半島をカットする形で通った結果、半島特に奥部は「取り残される」形になっているのだ。
もう一度、半島の意味、位置づけを歴史を踏まえて考えたいものだ。

イギリスの水

2005-08-21 | ロンドンの思い出(LSE時代など)
ロンドンで飲んだ紅茶が美味しかったので、家内と「フォートナムメーソン」の店まで行って一箱(1年分位)買って送ってもらい日本に戻っても飲んでいた。ところが、日本で、色々工夫していれるのだが、どうもロンドンの時のような味と香りが出ない。考えてみて、どうもそれは水(お湯)のせいではないか、ということになっている。ロンドンの水は「硬水」、日本のは「軟水」なのである。「硬水」だから、そのまま生で飲むのは不適で煮沸して紅茶をいれて飲むと丁度良いわけである。だからレストランに行っても、日本のように必ず先ず水がくるということはなかった。特別に注文して持ってきてもらった。それらは勿論、水道水ではなくボトリングした水である。その時、単にwaterと注文すると、泡立った奴が出てくることがある。sparkling(water)である。日本のような「静かな」水を注文するときは、still waterといわなければいけない。

Mind the gap!

2005-08-21 | 言語・字・言語遊戯
一寸「far west」に行く日が近づいてくると、ロンドンで聞いた英語を思い出す。これは、地下鉄の何処だったか忘れているが、ホームでの放送で聞いたものだ。さしずめ「ホームと列車には隙間がありますからご注意下さい!」と日本でも例えば近鉄京都駅でも聞くことが出来るものである。短い英語だし、すぐに覚えた。
さて、この応用である。前に「墓地と墓」の項で三宅醇さんとロンドンにいる時にマルクスの墓のあるハイゲート墓地に行ったことを書いたが、実はその時に一人の盲人のイギリス人を地下鉄からハイゲート墓地までナビゲートしたのだ。彼は道々の会話で根っからのマルキストだと分かった。私と三宅さんとで手を取る格好で進んでいった。当然、途中、階段や道に段差がある。その時に私は自然と「Mind the step!」と言っていた。それ以来「何々に注意!」は「Mind the 何々!」と頭にしみついたのである。

扇田 信先生の思い出(12)パイプ

2005-08-21 | 奈良の思い出(助教授時代)
扇田先生をご存知の方だったら、必ずパイプをくゆらせた先生を思い出すに違いない。私が32歳で奈良に赴任した一番に言われたのは「紙巻煙草も良いが、パイプ煙草の方がより良いですよ」ということだった。それで、パイプ煙草の何が良いか、パイプはどういうものが良いか、色々伝授していただいた。それらの売り場は京都の大丸デパートであった。
確かに香りは紙巻煙草より良かった。で、40歳過ぎにイギリスに在外研究員で出かける頃まで紙巻煙草(名古屋の服部千之先生に教えられて大体「HOPE」だった)の他にパイプもやっていたが、結局、扇田先生のようにさまになることはなかった。
扇田先生は、亡くなられる最後までパイプを手放されなかった。