西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

本スプロール

2005-08-16 | 生活描写と読書・観劇等の文化
孫の仁君(9歳)は「本の虫」だ。家に来て、あちこちに本を読みさしにして置いている。正に「本スプロール」という感じだ。ところが、夏の宿題で一番「苦手」なのは何と読書感想文と言う。今のところ情報の「入り」ばかりで「出」が中々というところだ。まあ、「量的増加」がいづれ「質的転化」に通じるとお祖父ちゃんは思っているようだが・・。

私の考え出した言葉(35)開発御殿

2005-08-16 | 私の考え出した言葉
水俣病患者のための住宅改善に関する論考でも使った。当時、補償金による患者の住宅改善について一部「華美」なものがあり、一部の市民から「奇病御殿」と揶揄されることがあった。それに対して、私達は実質的で着実な改善策を提案した。
何故なら、「御殿」は市民から不当に批判される恐れと共に、一般的に長続きしないからである。住宅には、初期投資のほか長期的にランニング・コスト、メンテナンス・コストがかかり、「御殿」はそれらが高くついて長続きしないのである。
私は、別に鹿島コンビナートに視察に行ったことがある。補償金を手にした元漁民が「御殿」を建てていた。訪問すると、高級外車が止まり、室内は豪華なシャンデリアで飾られ、マントルピースには高級洋酒が並んでいた。数年後の再訪:セコハン車、シャンデリアは切れ、絨毯は擦り切れ、安酒にかわっていた。一旦「華美」になった生活は、「下方硬直性」をもっていて「破綻」するのである。私は、ダム水没補償、道路開発補償等によるものを含め、これらを「開発御殿」と呼ぶことにした。
「御殿」の淵源は、北海道の「鰊御殿」である。

ヘーゲルの『精神現象学』について

2005-08-16 | 名古屋・豊田の思い出
私が豊田高専に就職したのは1966年で約40年前だ。4年生が最高学年で18歳、私が修士出たての24歳、兄貴と弟の関係で、私が今年63歳で定年になったが、彼等も多くは57歳で定年(60歳)まで2,3年と思う。初期の豊田高専には凄い学生が何人かいた。M君もその一人だ。ヘーゲルの『精神現象学』を読みこなしていたのだ。私は、ヘーゲルはマルクスの「師匠筋」で弁証法の本家とは知っていたが、岩波文庫で『小論理学』を持っているにすぎなかったので、「凄い学生がいるもんだ」とびっくりした。彼は今どうしているだろうか。ヘーゲルは、その中で「主人の労働、奴隷の労働」ということを言っているようだ。主人は、奴隷を自由自在に使って物を作らせるが、本人は、それを消費、享受するにすぎない。奴隷は、主人の命で苦難の労働をするが、彼等はその中で物の性質、本質を知ることになる。認識の発展を担っているのは実は奴隷であると言うことになる。(清水正徳著『働くことの意味』岩波新書より)
M君に刺激され、一応『精神現象学』は買って本棚の隅にあるが何時読むことになるのだろうか。

歩車分離、JRや私鉄の路線ー質問と答え

2005-08-16 | 地域居住学
Ⅰさんの質問:私の住んでいる町でも最近歩者(車?)分離式の信号ができたのですが、あまり交通量の多くないところなので逆に危険だと思うんです。歩行者の信号は車の2方向の信号が変わるのを待ってから青になるので待つ時間が長く、信号が変わるのを待ちきれなくて信号無視してしまう子供が多いのです。またスクランブル交差点でもないのに斜めに渡ってしまったりと以前よりも危険なのです。確かに小学校の登下校の道にもなっていて朝は特に子供の安全を考えると歩者(車?)分離することはいいことだと思うのですが、このままだといつか事故が起こりそうで怖いです。歩行者と自動車をうまく分離する方法はないのでしょうか。。。

授業の中で電車は町のはしっこを走っているという話に興味を持ちました。よく考えてみると私の町でもそうなっていました。駅裏駅表の区別もありました。しかしそれはJRに限ったことだと思いました。京都なんかだと今は電車は地下を走っていますが、昔は私鉄が路面を走っていました。私の町でもまだJRが通っていなかった頃は町中を路面電車が走っていたそうです。奈良でも生駒や学園前は近鉄が作った町なので町を便利にし、町を発展させてきたのは私鉄で、そのあとJRができJRは町中を通ることができなかったのでJRの駅は町のはしっこにある。という風に考えました。どうでしょうか?授業で言っていたらごめんなさい。

一応の答え:歩行者と車を同一平面で処理しようとすれば信号方式しかないことになります。立体的に考えれば、歩行者を優先にして真っ直ぐ歩かせ、車を「上下」させることも工夫できます。
私が授業で言ったのは国鉄(今のJR)が最初にひかれた時が、町の接線方向になった、ということです。煙が出ることも町中が嫌われた理由です。東京、名古屋、大阪、金沢、皆そうです。それで駅表、駅裏が出来たのです。市電は元々町中を走らないと意味がないので、昔の道を拡幅して走りました。郊外私鉄も基本的にJRと同じく端だと思いますが、場合により、電車なので煙も出ず、JR列車ほど図体が大きくない場合、昔の道を利用したこともありました。