西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

扇田 信先生の思い出(10)蕎麦アレルギー

2005-08-10 | 奈良の思い出(助教授時代)
扇田先生は蕎麦アレルギーだった。蕎麦ボウロにも「反応」しておられた。しかし、私達が安曇野の先生の別荘に行けば、そこは信州なので普通は当然、信州蕎麦を食べに行こう、となる。で、私達も食べに行った。ここが「えらい」ところだが扇田先生は、「信州蕎麦はあそこが美味い」などと言いながら、自分は食べれないが、正に何(蕎麦も)食わぬ顔でその店に連れて行ってくださった。確かに、ざる蕎麦など美味しかった。その時、扇田先生は、うどんか何かだった。
このサービス精神は若干は私に受け継がれているようだ。今までのブログにそれを感じませんか。

1週間の夏季休暇、孫との付き合い

2005-08-10 | 生活描写と読書・観劇等の文化
明日から1週間夏季休暇だ。こういう形できっちり決まった休暇を取るのは初めてだ。2,3日前から「Are you me?」の歩ちゃん4歳、「人二人」の仁君9歳が、母親(娘)と私達の家に逗留している。二人と遊びも「勉強」も楽しんで付き合っていきたい。すこしブログもペースダウンだ。

林間学校

2005-08-10 | 金沢の思い出
私が金沢で小学生の頃、夏休みに数日間の臨海学校と林間学校があった。両方行っている児童もいたと思うが、私は臨海学校に行かず、林間学校だけに行った。行われた場所は、何度か出てきている浅野川を越えて行く卯辰山である。朝早く、天神橋の方から登ったのではないか。上に一寸した「平地」があって樹木もまばらなので、そこにテントを張り、その下に茣蓙を敷いて寺小屋風の机を並べ、午前に勉強(宿題)、昼食は給食だったと思う。午後、その机をどけて昼寝、起きて宝探しや運動、夕方解散、帰宅という感じで何日かあったと思う。昼寝はどういう格好だったかはっきり覚えていないがハンモックがあったかもしれない。
私は、犀川で溺れそうになったお陰で少し泳げるようになった、と前に書いたが、未だ荒海で泳ぐ自信がなかったので臨海学校ではなく林間学校にしたと思う。あれから半世紀が過ぎてしまった。今でも金沢の小学校では夏休みに林間学校があるのであろうか。

ちょきん

2005-08-10 | 言語・字・言語遊戯
N先生から聞いた耳学問:
N先生「ちょきんって何か知ってる?」
皆「金を貯める貯金でしょう。余りしてないけど。」
N先生「うん、それもそうだ。でも貯めた金はいずれなくなるが、貯めれば貯めるほど増えるちょきんって何でしょう?」
皆「うーん、分らない、降参」
N先生「貯筋なんだよ、筋肉は鍛えるほど増えるんだよ」
皆「なーんだ。でも余り鍛えてないな。明日からやるかな」

ちなみにN先生は医学分野の先生でした。

結婚披露宴での祝辞(6)結婚算術

2005-08-10 | 生活描写と読書・観劇等の文化
○○さん、××君、ご結婚おめでとうございます。良く結婚に当たって「喜びは二人で二倍に、悲しみや苦しみは二人で半分に」ということが言われますが、勿論そのこともお贈りします。その上に私が、この機会に考えた算術を加えておきます。
足し算:2+2=3(引き締まった2人3脚)
引き算:2-1=0(一人が死ぬとゼロに帰する。何時までも元気で仲良く)
掛け算:1×1>2(二人で二人を越える子供を。少子化時代を乗り越えるために)
割り算:2÷2=0.5(二人の苦労を二人で担って半分に)
末永くお幸せに!!

言語遊戯

2005-08-10 | 言語・字・言語遊戯
耳学問による言語遊戯
(Kさん・・この人が言うとは「計算」外だった)
すきじゃないわ
きらいよ
でーとなんか
するものですか・・(頭だけ縦に読んでください)

回文:けさたんとのめやあやめのとんたさけ(今朝たんと飲めやあやめの富田酒)

(Yさん・・真打登場)
(回文):遺産欲しげなのも来た通夜に音あげ義姉(あね)にやった着物投げし本妻・・通夜の風景で意味はよく分かる、ひらがなで書くので逆からも読んでみて!
「いさんほしげなのもきたつやにねあげあねにやったきものなげしほんさい」
お見事!

おまけ(言語遊戯士テスト!)
昔、三蔵法師が苦労して経典を運ぶのに「道路(今日は道の日!)苦し」と歩いた道は?
 
答え:ドーロクルシなので、逆から読むと・・

私の考え出した言葉(30)道は未知に満ち満ちている

2005-08-10 | 私の考え出した言葉
この言葉集もついに30まで来た。人生60数年生きてきたので年に一つとして、この倍位はあるのでは・・と思っているが・・。
今日は「道の日」なので、これを選んだ。これは、私の「地域居住学」の講義で、道のことについて話す時に言っている。道は、土木工学の対象だけではなく、庶民の生活空間として大切なものだ。だって家から出れば必ず道(歩道)ではないか。
みちの機能として、一応八つ挙げている。(『住環境の計画Ⅰ 住まいを考える』彰国社1992年12月刊、拙稿より)(1)とおる(歩く、走る)(2)つきあう(あいさつ、話し)(3)あそぶ(4)車にのる(自転車、自動車)(5)植物でかざる(6)ものを置く(7)空間をあける(8)きれいにする(掃除)
この他にも色々あるだろう。芭蕉のように「この道や行く人なしに秋の暮れ」などと言えば「吟行の場」、アリストテレスのような逍遥学派の哲学徒にとっては「哲学の場」と言えるであろう。
だから「道は未知に満ち満ちている」のだ。掘り起こし開発し豊かにしていこうではないか。