西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

お帰り!野口聡一さん

2005-08-11 | 時論、雑感
スペースシャトル・ディスカバリーが無事帰還してよかった。タイル剥がれで「ひょっとして」と危惧していたが杞憂に終った。
野口さんは日本人記者に聞かれて、「今何をしたいか。日本に行って温泉につかり、日本酒が飲みたい。」と言っていた。やはり日本男性だなと思った。

島津良樹君の質問と私の答えー西山卯三研究室の流れー

2005-08-11 | 京都の思い出(学生時代)
私の京大建築の同期生に島津良樹君という友人がいる。彼は、富山県の出身だが、京大では西山研究室から巽研究室に移って大学院を修了し、現在は立教大学で先生をしている。学生時代「日本建築学生会議」の編集長もやり、中々な論客の一人だった。実は、私が修了するとき、彼は何かの理由で1年遅れで大学院に来て、何処の研究室にしたら良いか、私に聞いたことがある。私は、西山研で修了するが、以後、巽研(巽和夫先生主宰)、上田研(上田篤先生主宰)、三村研(三村浩史先生主宰)に分かれることになり(少し後に小西山研が生まれた)、旧西山研の学生、院生は研究室を選択しなければならなくなったのである。
島津君の質問に答えて、私は大略次のように答えたことを覚えている。
巽研は、巽和夫先生が建築研究所で建築経済の研究をされていたこともあり「生産学派」、西山先生の戦前の「デザム」に繋がるかもしれない。生活と空間の媒介項の一つ、建築生産の研究は重要になるのではないか。
上田研は、上田篤先生は、万博のお祭り広場等をやられつつ、西山先生の言われる「空間の論理」を自分流に進めておられる「空間学派」とでも言え、発想を鍛えるのには良いのではないか。
三村研は、三村浩史先生がレクリエーション空間の研究をされているように、新しい生活等を取り上げる「生活学派」では・・、西山先生の生活研究を更に進める研究室ではないか。
この私の分析、解説が効いたかどうか分からないが、島津君は巽研を選んだ。私の当時の自分流位置づけは今も間違っていないと思っている。

西山卯三先生の思い出(10)自転車とベレー帽

2005-08-11 | 京都の思い出(助手時代)
西山先生は、マイカー反対だったのでご自分では運転されなかった。が、時々奥さんの運転で乗っておられた。ご本人が下賀茂から京大に来られるのに良く自転車で来られていた。また、ベレーをよくかぶっておられた。ネクタイは余りされず、される時はざっくりしたもので、私は案外(?)お洒落だな、と思っていた。

ニュータウン対策

2005-08-11 | 地域居住学
今朝の新聞(『朝日』)1面に「老朽化すすむニュータウン 再生へ4700億円事業 国交省 建て替え促進」という記事がある。4700億円のうち国費は1300億円で三分の一以下である。国内のニュータウンは、49ヶ所、広さ1万6千ha、約172万人が住んでいる、と言う。
私は、今は亡き阪大の紙野桂人教授、来年定年退職の大阪教育大の岸本幸臣教授らと協力して1990年頃から、今あるを予測して千里ニュータウンで調査研究してきた。15年経ってようやく現実的になってきた。(拙稿『千里ニュータウンの成熟と将来ー居住者高齢化への対応を中心にー』都市問題1990年7月号)
現実的には、しかし、よくよく検討して進める必要があろう。具体的に五つ位の具体策があがっている。①住み替え支援②団地や商業店舗の建て替え促進③小学校・幼稚園の福祉・公共施設への用途転換④土地利用の規制緩和、商業施設の拡充⑤起業支援センターの設置など。都市計画の見直しや新市街地開発法の改正、住民参加の「地域住宅協議会」設置等も考えられているようだが、草の根から見守り発言していきたい。(ブログ内検索で「ニュータウン」を見たら、既に14の記事がある)

吉本ばなな

2005-08-11 | 言語・字・言語遊戯
もう15年も前になるだろうか。吉本ばななさんが「キッチン」や「つぐみ」で売り出した頃だ。何故か「そんな馬鹿な!」というのを「そんなバナナ!」という言い方があったので、講義で、幕間にこれを応用した。
私「そんなバナナことせんとキッチンとやらんかい!」
一同(一寸した笑い)(ここで笑いがでないと続かない)
私「そんなに笑ってんと口つぐみ!」
一同(納得?!)

墓地と墓(12)ピラミッド

2005-08-11 | 生活描写と読書・観劇等の文化
ピラミッドは、エジプト王の墓と思われているが、そうではない、という説もある。折衷説で、墓でもあるが他の目的も担ったというのもある。まあ、今のところ、この説を中心に考えてみたい。
ピラミッドは、殆どナイル川左岸(西側)に並んでいる。ナイル川の洪水は、大抵こちら側にあふれるので、これらのピラミッドが巨大な「霞み堤」となって、奥深く侵入した洪水を、徐々にナイル本流に戻す(土はなるべく流さない)役割を持っていたのでは・・、という説がある。洪水は肥沃な土を上流から運ぶので、それを全部下流に流さずに農地として留めるための一つの技術装置である。農業が生活基盤だった古代だからありうるかもしれない。いや、そんなピラミッドを越えた奥まで洪水は来なかったという説をNHKTVで見たこともある。又、巨大なピラミッドを造るのは現在でいうところの公共事業で失業対策だった、となにやら大昔もケインズ的考えの人がいたような説もある。私は、ああいう巨大構築物が、しかも多数、一定の法則性(?)で並んでいるのは、何か社会的意味もあると思うが、これという意見は今のところない。
ただ、王の墓と考えると、巨大な球である地球に乗った四角錐で、頂上の向く天上に又「丸い星」があるという構図を考えると、丸○ー四角□ー三角△ー丸○の綺麗な秩序ある展開となるのだが・・。
又、人間がつくりだした□△のかっちりした形の傍に、これも人間がつくりだしたものであるが、形としては「ぐにゃぐにゃな」スフインクスがはべっているのも興味深いことである。地上の全ての形の秩序を象徴しているのではあるまいか。
未だ行ったことがないので、そのうち実地に見て、考えてみたい。