西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

私の考え出した言葉(27)Town in House

2005-08-05 | 私の考え出した言葉
「住まいの中のまち」という逆転した言い方に新鮮味があると思う。普通は「まちの中の住まい」であるからだ。これは熊本で造られたコーポラティブ住宅「Mポート」の延藤邸について私が言った言葉である。延藤安弘さんは、自らの住まいを「House in House」と言っていた。それは、住まいの中に、又可動障子のようなもので囲った部屋(住まい)があったからだ。しかし、同時にその部屋の両側は一寸無駄だが二つの通路(道路)になっていて北側の部屋(住まい)に通じていた。南の居間・食堂の壁は本箱、CD収納等になっており、「町並み」に模されていた。延藤さんの好きな「続きバルコニー」と住まいにわたって「まち」で開くパラソルが造られていた。これらを見て、私はこれは「House in House」と言うよりはTown in Houseと言ったほうが良いと思ったのである。現在、その延藤邸はどうなっているのか知らない。何故なら、延藤安弘君は、現在、名古屋にいるからである。

ひょっとして、アトピー性皮膚炎は治る?!

2005-08-05 | 色々な仮説や疑問
以前、新宮秀夫さん(先生)の言説を紹介したことがある。今度、先生から機関誌『ENEKAN』Vol.3を送って頂いた。その中に、磯辺善成さんの「皮膚は心の砦」という論説があって、読んで「なるほど、そうかも・・」と思ったことがある。洗剤がアトピー性皮膚炎の原因の傍証として八つ上げられている。(1)臨床的に、洗剤で洗うことを止めて、正常な皮膚の機能回復を行えば、この病気の80%強は治る。(2)治っても、また洗剤で洗えば、再燃する。(3)ホームレスの人には、アトピー性皮膚炎はない。(4)チベットにはこの病気はない。(入浴の習慣がないから。)(5)アフリカでは、アトピー性皮膚炎は最近増えてきている。(洗剤で洗う習慣を教えられるようになったから。)(6)家庭で飼われている犬にアトピー性皮膚炎があるが、野生の犬にはない。(7)動物実験で、洗剤で洗うと、アトピー性皮膚炎類似の皮膚病をつくることができる。(8)犬の湿疹も洗うことを中止すれば、自然に治る。
私の子供の頃、銭湯だったせいもあるが、週2回位しか風呂に入れなかった、中には、月1の友達もいた。そしてアトピー性皮膚炎なんて皆無だった。
毎日洗剤で洗うのが良くないのだ。皮膚をガードしている皮脂までも洗い流してしまうからだ。
「洗剤で毎日体を洗う清潔より、洗わない不清潔の方がアトピー性皮膚炎になりにくい」ひょっとして目からうろこ、皮膚から垢ではなかろうか。

墓地と墓(9)湯川利和先生の墓

2005-08-05 | 生活描写と読書・観劇等の文化
奈良女子大学教授だった湯川利和先生は、私の大学先輩だが、定年でお辞めになった年に亡くなられた。7年前である。その葬儀は、大学から歩いて10分以内の称名寺(しょうみょうじ)で行われた。そして、先生の墓は、その称名寺境内にある。称名寺は奈良女子大の南門から西に歩いて、やすらぎの道を越えてすぐである。茶祖と言われる村田珠光ゆかりの寺である。
お墓へのお骨収めの時、奥さんは「ここから好きだった奈良女子大学が眺められて幸わせに違いない。」と言われた。確かに湯川先生の墓からは奈良女子大学の一番西の理学部の建物が見える。湯川先生の墓自体は普通のものだが、墓から何が見えるかは生きていた時代の「思い」を反映するものでもあり、大事だと改めて思った。金沢の卯辰山の「西村家の墓」からも日本海が遠望できたことを思い出した。

京大の石垣撤去中止から未来へ向かって

2005-08-05 | 時論、雑感
今朝の「京都新聞」を見ると、京大本部構内西北隅、百万遍交差点に面する石垣撤去が、学生と大学当局の話し合いで11ヵ月ぶりに中止になったと言う。このブログでも2度ほど報告し論じている。
元々、大学は、京大の周りの全石垣を撤去するなど思っておらず、図書館から百万遍に出る歩道を整備する一環として「西北隅」の「大石垣」の一部を撤去するとしていたもののようだ。学生は、立看(たてかん)が立てかけられなくなるので反対していたようだ。石垣の上に「団結小屋」のような石垣カフェを学生が作ったので、格好悪いと思った大学側が折れたというのが実情ではないか。
でも、今後、大学と地域社会との交流、つながりの発展を問題にする限り、大学を取り巻く石垣に代表される柵をどうするのか、まちづくりの大きな問題である。
このことは、一般論として空間と空間の境目のあり方という問題意識も引き起こしたと思う。

本二冊『人と縁をはぐくむまち育て』『まちづくりの伝道師達』

2005-08-05 | 時論、雑感
最近、上記の二冊の本を二人から頂いた。前者は友人の延藤安弘さんから、後者は若い井上芳恵さんからである。延藤君は、多産な書き手だから、又平常、言っていることも大体承知しているので、「又貰った。早くこちらからも上げないと・・」と先ず思った。ゆっくり読んでいくが、本の帯に「まち育ては人育ち」とあったが、一寸分かりにくいな、と思った。「育て」は他動詞(人がまちを育てる)的、「育ち」は自動詞(人が育っていく)的であるが、私は、人とまちは互いに育てあいをするのでは・・、と思った。そこで延藤さんに「まちと人との育てあい(合、愛)」ではないか、とコメントを送った。
井上さんは熊本の短大の講師である。奈良女子大学で学位をえている。(中山徹先生が主査、私は副査の一人)熊本の宮原のまちづくり実践報告である。若いのに「宮原好きネット会長」とは、たいしたものだ。この本もゆっくり読むとして、伝道師達、という言い方から「まちづくり道」というものが確立しているのかな?と疑問に思った。道が確立していないと「伝道」も出来ないからである。もう一つ、宮原って何処にあって、どういう町なの?とまず思うと思うのだが、何処にも地図や図面がなかった。このコメントは、今から送る。ひょっとして彼女はブログで先に知るかもしれない。とにかく「まち育て」と「まちづくり」と言い方も少し違う二冊の本も夏休みの課題図書にしたい、と思う。

扇田 信先生の思い出(8)黒四ダム

2005-08-05 | 奈良の思い出(助教授時代)
扇田 信先生の安曇野の別荘に夏休みに何度もお邪魔した。実は近くに服部千之先生の温泉付き別荘もあって扇田先生は訪れたことあり、と言っておられたが私はついに行けなかった。扇田先生の別荘を拠点にあちこちに出かけた思い出もある。上高地の河童橋にも行った。今日は、北の富山県の黒四ダムに行ったときの話だ。
その年は、梁瀬度子先生たちも一緒だったと思う。黒四ダムの満々と水をたたえた「人工湖」を見、反対側からの一つの「穴」からの勢いある放水をも見たのだが、先ずこちら側から見たと思う。(NHKTVで黒部ダムー黒四ダムーの放水始まると放映していた。それを見ると「穴」は二つのようで、凄い勢いでの放水だった)扇田先生が、言われた。「凄い勢いで放水しているでしょう。だから反対側の湖では凄い渦巻きなのですよ」と。皆は鳴門の渦巻きを頭に、急いで反対側へ駆けた。水面は静まり返って渦巻きなど何処にも見えなかった。皆は「んもう・・」と扇田先生を振り返った。例の調子でパイプをくゆらせて茶目っ気で得意顔の扇田先生が立っていた。