豊田高専に4年間いたが前半2年は最後の独身時代だった。構内にあった独身官舎で隣り合ったのは、同僚・助手の藤谷幸弘さん、事務官の庶務係長・平野常一さんであった。平野さんが一番年上、藤谷さんと私は同期だった。
毎晩どこかの家で語り合ったりレコードを聴いたりした。名古屋で服部千之先生や長峰晴夫さん、玉置伸吾さん等との「語り」も大いに教養を豊かにしたが、平野、藤谷さんとの「語り」もそれに劣らず教養となった。今までは京大西山研究室というある意味で「狭い」世界での付き合いが中心だったが、特に平野さんは異分野、異地域の人だけに話していて面白かった。年齢も一寸上の「兄貴」で名大法学部出のインテリという感じだった。クラシック音楽でも平野さんがバッハ、藤谷さんがモーツアルトというものだから私は「ベートーベン」といわざるをえなかった。給料日になると豊田の町に下りていって、レコード屋でお目当てのレコードを買い帰ってレコード大会だった。平野邸でする時など、いい香りがしているので聞くと床の間で香を焚いて掛け軸もかけられていた。こういうライフスタイルの人物に会ったのも生まれて初めてだった。又、平野さんは歌人でもあり歌集もあり貰ったことがある。平野さんは定年を前に退官し郷里の桑名に奥さんと住んでおられるが、一度又三人でレコード大会をしたい気分である。
毎晩どこかの家で語り合ったりレコードを聴いたりした。名古屋で服部千之先生や長峰晴夫さん、玉置伸吾さん等との「語り」も大いに教養を豊かにしたが、平野、藤谷さんとの「語り」もそれに劣らず教養となった。今までは京大西山研究室というある意味で「狭い」世界での付き合いが中心だったが、特に平野さんは異分野、異地域の人だけに話していて面白かった。年齢も一寸上の「兄貴」で名大法学部出のインテリという感じだった。クラシック音楽でも平野さんがバッハ、藤谷さんがモーツアルトというものだから私は「ベートーベン」といわざるをえなかった。給料日になると豊田の町に下りていって、レコード屋でお目当てのレコードを買い帰ってレコード大会だった。平野邸でする時など、いい香りがしているので聞くと床の間で香を焚いて掛け軸もかけられていた。こういうライフスタイルの人物に会ったのも生まれて初めてだった。又、平野さんは歌人でもあり歌集もあり貰ったことがある。平野さんは定年を前に退官し郷里の桑名に奥さんと住んでおられるが、一度又三人でレコード大会をしたい気分である。