西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

墓地と墓(8)父の墓

2005-08-01 | 生活描写と読書・観劇等の文化
父の墓は、事情があり、金沢の卯辰山・専光寺ではなく加賀市・大聖寺の慶徳寺(きょうとくじ)にある。父の先祖は、元々、前田・金沢藩の支藩である大聖寺藩の藩士である。私は幼稚園に入る前に母方の養子となり、母方の西村姓になったし、その後、父母が離婚し、父の生活拠点が東京になったので、私は父と継続的に一緒に生活することはなかった。その父が83歳でなくなった。勿論、葬式や法事には出席した。父のお骨は郷里の大聖寺に帰った。ところが、その慶徳寺(きょうとくじ)の墓というのが、いわゆるマンション式の墓である。お参りに行くと、お寺さんが「墓」ロッカーの鍵を開けてお骨壷を出してくれる。それを、そのままでも良いし、お寺の仏さんの所に持っていって参っても良い。
こういう時代、墓地の土地に限度があること、管理を永続的にするのは大変なことを考えると、こういう父のようなやり方も、ある意味で合理的だが、私はどうすると聞かれれば、自分でデザインした墓に入りたい、と当面答えることにしている。

思い出す先生方ー小学校編(2)宮林明次先生

2005-08-01 | 金沢の思い出
大分前に(1)で書いた吉村不二子先生は、NIEを実行された私の金沢市立十一屋町小学校(現在は「町」が入っていないが当時はあった)3,4年の時の担任だったが、最後の5,6年生の担任が大きな体の宮林明次(みやばやし・あけじ)先生で、既にお亡くなりになった。宮林先生は、体の大きさから「かば」というニックネームで呼ばれていた。6年2組で、今はなき木造校舎正面2階の左の端の教室だった。
私は、学級委員に選ばれた所為もあるが、昼休みなどに宮林先生の使い走りをすることもあった。銀行に行ってお金をおろした記憶もある。買い物もあったが、一番記憶に残っているのは、卵を八百屋で買ってくることだった。今は卵は安い値段の部類だが、当時も1個20円ほどで、当時としては高い部類だったのだ。入院見舞いというと卵かバナナであった。この卵を、授業の合間の休み時間に、生で飲まれていた。先生が皆に話すことで印象に残っているのは「健康第一、結核にならないためには栄養を取ること、生卵は大変良い」というもので自ら実行しておられたのだ。ところで10年ほど前に、クラスで先生を招いて久しぶりのクラス会を金沢でした。先生は80歳位だったと記憶する。その時の先生の話、又もや健康の話だった。「健康第一。癌にならないためには禁煙し酒も控えめに、食品も色々混ぜて・・」と。結核と癌というように時代と共に主な病気は変わるが、先生は何年経っても我々の健康のことを気遣っておられるのだな、と感謝した次第である。が、その「かば」先生も既に「のっしのっし」と三途の河原を渡られてしまった。

せみ

2005-08-01 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
今朝、早く窓を開けると油蝉が柿木でけたたましく(?)鳴いていた。そこで、
・窓を開く 耳に押し入る 蝉の声
(学生時代を思い出して)
・蝉しぐれ 真如堂にて 昼寝かな
2年前の句
・蝉時雨 下を今年も 通りけり
・みんみんと 鳴く羽透いて 美しき(みんみんと 鳴くや透いたる 羽振るい)
・つくつく法師に かわりて 秋の気配知る
・蝉ねらう 子らのタモが そろそろと
・天に向き 蝉骸(せみがら)ひとつ 道にあり(以上03年8月13日)  市路

藤原 昭君 奈良市長に当選おめでとう

2005-08-01 | 時論、雑感
昨日行なわれた奈良市長選で前に立候補をブログでお伝えした藤原昭君が前市長の鍵田忠兵衛氏を破って当選した。全政党の支持・支援での勝利で当然ともいえるが、今後が色々大変だろうと思う。健闘を期待する。
藤原君は、私の京大建築の数年後輩である。西山研究室体制から四研究室体制に移った最初の頃の院生で上田篤先生の研究室だった。大学院修士を修了して、日本住宅公団に入ったが、見込まれて建設省に「天上がり」、関西学研都市づくりで奈良県に出向、企画部長、教育長を経て退職し、畿央大学事務局長(教授)をしていた。藤原君は平城ニュータウンに住んでいるので、私の「つなね」住宅と同じ地域だ。
ハードな町づくりとソフトな人育ての両方を経験しているので、古都にして斬新な町や人を育てるのに力を発揮するのでは、と期待している。我々の始めた「NPO地域支援研究フォーラムなら」の活動とも大いに関係ありと思っている。
藤原君が企画部長の時には高口恭行さんや田中恒子さんと一緒に議論したこともあった。教育長の時に、私は奈良女子大の管理職の一端にいたが、丹羽学長が藤原教育長を運営諮問会議のメンバーにお願いしたこともあった。
今後の軌跡を「草の根」から見守りたい。

私の考え出した言葉(23)団地蔵

2005-08-01 | 私の考え出した言葉
これは20年ほど前にある新書(共著)に書いたものである。例えば、祇園祭りを行なっている「祇園町」、室町筋の各町内には会所があり、蔵がある。その蔵に、山や鉾に飾る町の宝物を収蔵している。
同じように団地、集合住宅地等でも住み始めて歴史が経てば、様々な行事、例えば夏祭り、冬の餅つき大会等を行なっていけば、そのための備品、町内の財産も増えていく。それらを単なる団地の物置に収めるのではなく、少し立派な「蔵」としてつくったらどうか。それが団地蔵(だんちぐら)である。祇園町のように、会所と蔵のセット、つまり団地集会所と団地蔵のセットとして造っていくのが良いのではないか。