西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

墓地と墓(14)五輪塔

2005-08-29 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今の一般的墓は、石で作り、上に長方形で細長い石、下に徐々に末広がりに四角い石を置いたものである。面積を取らず、形も四角のつながりで単純である。
いっとき前は、墓は五輪塔だった。辞書によると「地・水・火・風・空の五大をそれぞれ方形・円形・三角形・半月形・宝珠形に石などでかたどり、順に積み上げた塔。平安中期ごろ密教で創始され、大日如来を意味したが、のちには供養塔・墓標などとされた。」とある。
何故、私が延々と(未だしばらく続くが・・)墓地と墓について書いているかというと、人間はどんな思いでそれらを造ってきたのか、を知りたいと共に自分自らのものはどのようにしようか、の探求のためである。皆さんの思いも知りたいものだ。

はひふへほ

2005-08-29 | 言語・字・言語遊戯
前に「つなね」の庭木は、かきくけこ、というのをブログに書いた。6月30日のブログを見ていただきたい。それは、柿(かき)く(楠)け(欅)こ(コブシ)である。今度は、はひふへほ である。これは作家の藤本義一さんにラジオで聞いたものだ。印象に残り記憶している。
「は」はハウス(House)、「ひ」はヒストリー(History)、「ふ」はファミリー(Family)、「へ」はヘルス(Health)、そして「ほ」は、ホーム(Home)である。考えてみると、ハードなハウスで歴史(ヒストリー)を重ね家族(ファミリー)仲良く健康(ヘルス)維持して初めてソフトなホームが完成するということである。ハツ、ヒー、フー、ヘー、ホッとしたよ!

西山卯三先生の思い出(16)明治生まれは良かったね

2005-08-29 | 京都の思い出(助手時代)
研究の相談などで西山邸を訪れると、玄関を入って右手の応接間に通された。本や資料が沢山回りにあるので応接セットの机と椅子が間に足を入れるのがやっとという隙間で並べられていた。対面して座ると、西山先生が「パン、パン」と手を鳴らされた。手馴れたもので「ハイハイ」と奥さん(前の奥さん)が顔を出された。「西村君にお茶!」と言った感じで西山先生。西山先生は、言葉では「民主的家庭づくり」と言うことを言われていたし『住み方の記』に子供を交えた家族会議の場面も出てくる。ところが、家事などは、余りというか殆どされなかったのではないか。『アサヒグラフ』に「我が家の夕飯」と言ったページがあり西山卯三一家の夕飯風景も紹介されたが、料理などは一切しないことが語られていて、最後に西山先生は自ら「明治生まれは良かったね!」と言っておられる。西山先生は、明治の末期43年(1910年)のお生れだった。

「京都的」学問風土

2005-08-29 | 色々な仮説や疑問
通勤の行き帰りに駅売店で『京都新聞』を買うことがある。やはり京都に住んでいるので地域ニュースが知りたいからだ。今日買った文化欄で京大助手の菊地 暁(きくち・あきら)さんが「開放的、越境的、問題発見的なネットワークこそが「京都的」特徴」、と言っている。それは、京都盆地という狭隘な空間に多種多様な知識人が密生するというエコロジカルな環境のせい、と菊地さんは言う。そして、このスタイルについて、「風通しが良い」が「ゆるゆる、だらだらなスタイルだ」とも言っている。
私も昔、東京では住宅難で例えば東大の諸先生も多くは遠くに住まざるを得ず、アフター・ファイブに飲みながら異分野の人達と語る余裕はないが、京都ではまだそれほどでもないので、例えば祇園辺りで飲んで駄弁ってからでも十分帰れるので異分野交流も出来るのだ、と聞いたことがある。個別分野だが京大建築会(同窓会)の行きつけの店が先斗町にあって、日を決めて交流している。ところが先輩の上田篤先生(当時京大助教授、その後、阪大教授、京都精華大教授を経て名誉教授)が言っておられたが、「昔は京大の先生と言うと大学に歩いて来られる北白川辺りに住んでいたが、西山先生あたりになると自転車で来られる下鴨辺り、僕らになると宇治の辺りになって、遅くまで飲むわけにはいかない」とのことである。
どこも物理的にゆっくり、という時代ではないだろう。私も通勤1時間40分である。こうなると、交流は、時々面と向かって会うのは大事として、他はこういうブログやメーリングリストによる意見交換になっていくのではないか。でも、異分野、異文化交流が大切というのは、オリジンが京都的なのかもしれない。

私の考え出した言葉(41)スクラップ・アンド・ビルドからメインテイン・アンド・インプルーブへ

2005-08-29 | 私の考え出した言葉
スクラップ・アンド・ビルドからメインテイン・アンド・インプルーブへ、とは私の学位論文の第二章都市集合住宅地管理に関する概念的検討、の最初に述べたことである。(拙著『都市集合住宅地共用空間の共同管理に関する研究』1982年5月)これは、又、新建築学大系『ハウジング』で、住宅・住宅地管理の項の執筆の中でも述べている。英語で言うと、Scrap and BuildとMaintain and Improveである。前半の言い方は、以前からあったが、それを後者のように転換すべき時代ではないか、というのが私の主張であったし、今もそう思っている。何でもとにかく壊して建てれば良いというのではなく、大事に維持管理し不都合なところは改良していく、という精神である。そのためには粗悪なものでなく、しっかりしたものを先ず造る必要があるのは、論を待たないであろう。
あれから20年以上経って世の中もそのことを認めてきたようで、なお一層その具体的あり方を追求しなければ、と思っている昨今である。

ヤオトン・マンション

2005-08-29 | 時論、雑感
今朝のNHKTVで、中国で伝統的住宅の一つ「ヤオトン」の特性を現代的マンションに応用して省エネをはかりたいという試みを放映していた。私も西安に二度ほど行ったが近くで「ヤオトン」を見た。横穴式住宅である。毛沢東等が長征した延安の住まいも「ヤオトン」だった。
「ヤオトン」の特性と言っても要は厚い壁ということだ。現代マンションに応用すると建設費が上がるが、冷暖房の電気代は半分くらいになるようだ。テレビで見たマンションの外観は「一寸・・」というものだが、300戸完売と言う。
日本の省エネ住宅は、どうなるだろうか。

オープン・ガーデン

2005-08-29 | 住まい・建築と庭
今朝の『朝日』の生活欄を見ると、「自慢の庭」開放、ブームに、とある。ガーデニングの静かなブームだから、折角、気を入れて造った庭だから見てよ、という気持ちだろう。私は、住まい造りに庭造りは重要な要素と考えている。ブログ・カテゴリーにも入れている位なのだ。昔から、庭造りに住宅にかけたお金の1割ほどかければバランスが取れて良いのに、と言われている。3千万円の家なら3百万円である。建築基準法も、どうしても「建築」に重点が行き、例えば建蔽率60%というと敷地に対して建築の蔽う割合が6割ということで、残りの40%については「空いていればよい」というだけで、具体的に規定していない。まあ緑被率とか緑視率とかいうコンセプトもあるが、まだ定着していない。少し考えていきたいものだ。
又、庭造りは個人的に閉じず、オープン・ガーデンと言っている位なので、先ず隣り近所との「つながり」も考えていきたいものだ。表の「町並み造り」ばかりではなく裏の「庭並み造り」も大切だし面白いと思っている。