水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

佐渡先生・7

2005-05-21 22:07:29 | Weblog

いろいろな道がある。
だから迷う。
だが迷えるうちはいい。
本人が選択肢を握っている。

いろいろな道があるが、
いろいろな条件がある。
望まぬ道に押し出される場合もある。
仕方なく、踏み出す道もある。

迷っている者は幸運の範囲だ。
どちらにも進む事ができる。
どちらに進んでも、いろいろある。
後悔をする材料は、どちらにもある。
だが、自分で選らんだ分だけ軽いのだ。

後悔なんて趣味だ。
したければ、好きなだけすればいい。
誰も依頼してないし、誰の為にもならない。
趣味だから、他人が意見を言う事でもない。
好きにしてね・・・。

同じ音だが「航海」がある。
未知の道(オヤジダジャレですぅ)を海に例える。
人生は航海だ。
人生は後悔だ、とは大分違う姿勢だろう。
好きな方を選んでくれ。

とはいえ、どの道も先行きは不明だ。
だから、分かれ道で迷う。
(不明や不安定を面白がるのが道を歩くコツだが、
そんなことは、自分で覚えてくれ)

佐渡先生の迷い人に言ったセリフがある。
「海の男は海が住みよいだけじゃよ。」

迷ってしまうと、自分の正体まで判らなくなる。
海の男か、山の神か(高度なダジャレですぅ)、
二丁目の住人なのか(低俗なダジャレですぅ)。
迷いは広がる性質があるんだ。

「海の男は海が住みよいだけじゃよ。」
それだけだ。
道を選ぶのは難しい事じゃない。
息が楽にできる道(相手)を選ぼうぜ。

(オナゴにとって、結婚という道があるなら、
やはり基準はこういうところじゃないのか?
と、余計なコメントまでするから、一言多い・・・
まだまだ、ワシは佐渡先生に近づけない・・・)


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佐渡先生・6

2005-05-20 18:20:57 | Weblog

佐渡先生は人間も他の動物も区別なく治療するが、
人間より獣の方を少しヒイキしていたようだ。
その気持ちは・・・ワシにも解る。
獣の方が素直なんだもん・・・。
「生命」に対し素直(大切にしている)なんだ。

人間も「生命」に素直(自然体)な人と、
理屈で「生命」を語ろうとする人がいる。
勝手にしてくれていいが、
治療するには素直がやりやすいのはいうまでもない。
変化回復も素直な人が早いのはいうまでもない。

ある時宇宙人を治療した。
その時のセリフがある。
「我々と同じだ」
皮膚の色や組織が多少違おうが、
「生命」は同じなんだ。

自と他
何処を観る?

違いを観るか
同じを観るか
この認識の違いはとても大きい。
そのうえで必要があれば、診る。
だから、名医(時々、迷医)なんだ。

部分や違いを診ることよりも、
「生命」をしっかり観る。
ワシが二人の御師匠様から学んだことだ。
ここを土台にしている限りプロでいられる。

診断し治療法を決める方法が通常の医療だ。
だから見立て次第で、間違いもある。
幾つか病院をまわってみればいい。
何人か医者をまわってみればいい。

見立てが違う場合が出てくるはずだ。
見立てが違えば、治療法も違うはず。
どっちを信じる? 大変だよねぇ・・・。
「生命」は患者側にあるんだ。

ワシのように見立てを必要としない療法は、
本来から言えば治療でないのかもしれない。
本人が勝手に治るんだからなぁ・・・。
見立てが必要でないから、間違いもない。
「生命」に直接応援するだけだ。

(見立ては必要でないけど、体ってヘンなヤツだ。
患部が勝手に訴えてくる。
原因が勝手に観えてくる場合がある。
軽く相手にはするけど、とらわれない事が大切だ)

「みんな、同じなんだ」
佐渡先生の言葉は、簡単で、深い。


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佐渡先生・5

2005-05-19 22:13:01 | Weblog

佐渡先生や故御師匠様の節操の無さを紹介した。
(し、失礼。物事を差別しない人柄を紹介した。)
ワシもアコガレるし、目指す方向でもある。
すると、ある人からコメントがあった。
「私もそういう人になりたいが、氣功が出来ない分、難しい」

ワシはこのコメントで気づいた事がある。
確かにワシが「氣」を扱う時には、自分が隅に行く。
ワシの傲慢なアホ心が、端っこで大人しいのだ。
「氣功時だけはマトモ」だと自負できる。
(そ、それって・・・威張れねぇと思う・・・)

だけど・・・よく考えてみれば、
ワシは(ワシ流の)氣功が出来て、やっと一人前なのだ。
ワシは、ワガママすぎ、傲慢すぎ、独善すぎる。
そこで、御先祖様か誰か知らないが、お節介を焼いた。

たまにはマトモな時間が持てるように、
故御師匠様と縁を持たせてくれたのだ。
ついでに心も少しマトモになるように、
龍村師匠とも縁を持たせてくれたようだ。

ワシにとって氣功師の体は、
孫悟空の頭を縛る「緊箍児(きんこじ)の輪・金剛輪」
(孫悟空ほど酷くなかったと思うがなぁ・・・)
つまり、ワシは人より劣っているのだ。
(まぁ、今更改めて表明することでもないが・・・)

コメント発言に返信する。
「氣功ができないのなら、最初から能力があるのです」
そういうことです・・・。
この先、氣功が出来るようになったら・・・残念です。
ワシと同じように、ロクデナシの一派です。

仕事での付き合いは大丈夫ですが、
プライベートでは付き合わないで下さいね。
(注1:ワシは謙遜なんてしません。
褒められれば、遠慮なく有頂天になりますが、
嘘を言い続けるほどの根性がありません・・・)
(注2:御師匠様のように、24時間の氣功師を目指してはいますが、
もちろん、まだまだまだまだまだ、道の始まりにいます・・・)

「もっと、マトモになってね」
氣功師というのは、そういう外れ者ですからぁ・・・
勘違いして、スゴイなんて思わないで下さい。
騙されてしまいますよ。

(氣功が出来るのをスゴイと思う氣功師もいるようですが、
アブナイですから近づかないほうがいいと思います。
氣功師でなくても、自分をスゴイだのレベルが高いだの言う人が、
マトモなはずないでしょ、普通に判断しましょうね。
ワシもアホですが、プロですから・・・そこまではねぇ・・・)


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佐渡先生・4

2005-05-18 21:01:08 | Weblog

そうかぁ・・・
題名の「サド先生」をSMの話と勘違いするわけね。
佐渡先生はサドでもマゾでもないぞ。
「明るい、いいかげん」タイプは平和志向だ。
時々怒るのは、生命を粗末にするからだ。
平和は「生命最優先主義」で保たれるのだ。

最近SMに傾倒する人が多いと思う。
心の中は愉しさも寂しさも怒りも優しさもある。
ところが、充実感が少なくなり不安と不満が増える。
この状態で生命力が低下すると、M(マゾ)になる。
刺激で充実感を補おうとするからだ。

生命力が強いまま不満が続くと、S(サド)になる。
他への虐待で不満を紛らわせようとするからだ。
Mは最終的に自殺につながる。
Sは最終的に殺人につながる。
いずれにしても「生命の軽視」なんだ。

趣味の段階ならいい。勝手にしてくれ。
ところが心に直接影響する趣味は危険なんだ。
例えば偏った瞑想法。
瞑想法を追っかけると、迷走することが多い。
単純に「瞑想は素晴らしい」などと思わないでね。
本来は「冥想」の為の「瞑想法」なんだから。

SMは体を刺激しながら、心を変える趣味だ。
しかも刺激は奥に進みたがる傾向がある。
満足を求めているようで、不満足を掘り下げてしまう。
だから・・・最終的には「死」に至るのだ。

体の満足は「やわらぎ」から得られる事を知らないからだ。
心の満足は「やすらぎ」から得られる事を知らないからだ。
迷惑じゃなければいいけど・・・迷惑になりやすいからなぁ。
まぁ・・・いいか・・・
この国の代表政治家や官僚よりマシか・・・はぁ・・・

そうだ!そんなことより佐渡先生だ。
「まぁ、とりあえず、酒でも飲め」
悩んでアレコレ考える者にいうセリフだ。
(そうでなくても飲んでる・・・。
医薬品より優先して日本酒を積み込んでるし・・・)

悩みの原因を探り、解決する方法もあるが、
それは万人向きじゃない。
そんなので解決するのは、極一部だけだ。
「原因」をいじらない解決法。
ワシの療法と同じ方法だ。

全く別な世界を与える。
(佐渡先生は酒。ワシは「氣」)
悩みは「異」と出会うと消えやすい。
佐渡先生の自然体の治療に気づく人は少ない。


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佐渡先生・3

2005-05-17 20:08:31 | Weblog

死んだ人も生きてる人も同じだ。
ワシはそう思った。
違和感は無かった。
みんな・・・結構・・・大変なのね・・・

同じだから、いろいろなのがいる。
陽気なのもいる。
鼻歌を歌いながら、踊るのが好きなのもいる。
若ぇネ~チャンが野太い声を出すのは、
少し違和感があるかなぁ・・・

御師匠様を観ていて気づく事がある。
デタラメの部分が無かった。
「いいかげん」と「デタラメ」の違いだ。
「自由」と「無秩序」の違いだ。
自然(秩序)の大きさを広げるのが「いいかげん」
自然(秩序)が理解できないのが「デタラメ」だ。

佐渡先生も御師匠様も節操が無いが、
実に自然体(秩序体)なのだ。
そして、結果も自然に沿っているのだ。
しかも、ずっと大きな自然になっている。
自然の大きさを改めて知る。
自分の小ささを改めて知る。

常識と常識外。
節操は常識内にこだわる生き方だ。
節操が無いのはデタラメではなく、
常識内と常識外を自由に行き来できることだ。
そして、それはホンモノの自然(秩序)でもある。

垣根、壁、殻。
それらは必要な時だけあればいい。
いつでも、取り払えるし、消せる。
自分を囲うモノではない。
自分を縛るモノでもない。

壁や殻(区別)がある。
必要な時は必要だ。
だが、邪魔な時は邪魔なのだ。
だから自由に活用すればいい。

いつでも自由というのは、
区別をしない事じゃなくて、
区別を適切に使える事だと思う。
普段は区別を意識しない事がコツだと思う。

常識の中に区別をいれるから苦しむ。
無区別を普段の状態にして、
必要時のみ、壁や殻を使えばいい。
今までの壁や殻の使い方は逆だと思う。

区別が無ければ、差別もない。
平和は壁が無い状態だ。


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佐渡先生・2

2005-05-16 18:37:09 | Weblog

佐渡先生と故御師匠様の共通点。
差別しないのは人間同士だけじゃかった。
差別しないというより、区別しないのだ。
そんな事はどうでもいいのだ。

佐渡先生は、敵と見方の区別がつかない。
猫やロボットと人間の区別がつかない。
御師匠様も似ていた。
目の前で苦しんでいるなら同じだ。
差別も区別も関係ない。
手を差し出すだけだ。

ワシが初めて出会った94年5月。
故御師匠様の氣功の時間が一日4回あった。
始まると150人ほどいた受講生の中から、
ヘンなモノが出現する人達が幾人もいた。
姿は見えないが、声をだすし、話もする。
本人の意識はあるが、口が勝手に話す。
意識はあるが、勝手に踊りだす人もいる。

故御師匠様は親しみを込めて
「オバケさん」と呼んでいた・・・。
(ある時「オバケはないだろう!」と抗議され、
今は「ヤドカリさん」に変わっている)
嘗て肉体が有ったが、今は無い存在達だ。

有体に言えば・・・死んだ人達。
故御師匠様は、この人達も差別しなかった。
生きている人も死んだ存在も同じだ。
苦しんでいるなら、手を出す。
同じ「氣」で包む。

霊を忌み嫌う人達もいる。
それは、それで勝手にしていい。
ワシだって政治家タイプは嫌いだ。
理屈でウジャウジャ言うタイプもウットウシイ。
嘘つきは面白いと思うが、卑怯者は大嫌いだ。
(嘘を自分の利益の道具にするのが卑怯者。
愉しむ、楽しませるための嘘は、当たり前)

だが、御師匠様の生き様をみて、
ワシは、とても魅力的だと思ったのだ。
なんて「いいかげん」だろう!
ワシもこういう節操の無い人になりたい。
それは、桁外れの「優しさ」だと思った。

霊に対して、脅さない。
といって、丁寧でもない。
全く普通に話している。
自称霊能者は、他の人にはわからない声を聞く。
(だからホンモノとインチキの判断ができない。
この事に関しては、いずれ書こうと思う。
大部分はインチキと勘違いだ。)

御師匠様はそんな曖昧な事はしない。
霊は肉体の声を使って話すのだ。
ワシ等も普通にそのやり取りを聞いていた。
カルチャーショックを受ける人もいたろう。
ワシは祖母の関係で驚くことはなかったが。


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佐渡先生・1

2005-05-15 21:03:28 | Weblog

「ワープ」で、宇宙戦艦ヤマトを例に使った。
ヤマトの登場人物には様々なタイプがいた。
中でもワシが最も魅力的だと思った人物。
それが、船医の佐渡先生だ。

「ワープ? 旨いスープか?」
乗組員が懸命にワープを使えるように、
努力していいる最中のセリフだ。
だから、幾多の危機をすり抜けられた。
佐渡先生のセリフの重要さに気づく者はいない。
(もちろん、意識して言っているわけじゃないが、
沖田艦長は見抜いていたかもしれない・・・)

本名を佐渡酒造(さけぞう)といい、酒好きだ。
船医だから、ヤマトの中で沖田艦長にも命令できる。
一番自由な人物だ。
ヤマト乗組員の中では、特別な存在でもある。
組織にいて、誰からも命令を受けない立場だ。
地球の危機に旅立つ船で酔っ払っているのだ。

ロボットのアナライザーが人間に近いのは、
佐渡先生が人間と機械の区別をしないからだ。
アナライザーに酒を飲ますし・・・
アナライザーも酔って、スカートめくりをするし・・・
(森雪のスカートをめくるのは、アナライザーだけだ。
い、いや、古代進も二人きりの時はアヤシイ・・・)

佐渡先生は人間と機械の差別をしないだけじゃない。
猫とも飲み友達だ。
獣医でもあるし、宇宙人医でもある。
敵とも一緒に仲良く酒を飲む。
この節操の無さは、ワシの目指す人格だ。

ワシもこういうタイプの人に会った。
メチャクチャ、魅力的だ。
実は、それが、故御師匠様だった。
御師匠様は酒を飲まないし(飲めないのだと思う)
もう少し、マトモだけど・・・。

ワシが(僅かの期間だったが)見た御師匠様。
人間の差別、いや、区別をしなかった。
フリーターと首相の区別をしないだろう。
どんな立場でも同じにしか見なかった。
どんな国の人であろうとも区別しない。
老若男女、美形不美形、貧乏金持ち関係ない。

それだけなら、ワシも近い。
氣功モードに入れば、自分の気持ちは隅にいる。
ワシの最も嫌いな威張った政治家タイプのオッサンでも、
氣功の時は美女との区別がほとんどない。
(注1:美女は特別好きでもないが、社会的比較としてだ)
(注2:といって、美男が好きという趣味もないぞ)


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ワープ・9

2005-05-14 21:44:17 | Weblog

「ワープ」の影響が相手にもある。
本人が勝手に跳ぶだけの手段ではない。
「ワープ」は「ワープ」に連動する。
「ワープ」は伝染するのだ。

出会い、接触した相手は影響を受ける。
この世は、そういう仕組みになっている。
「出会い」だけでも影響する。
更に「交流」すれば、双方が影響し合う。
意識、無意識にかかわらず、影響がある。

影響の差は「異」の差と比例する。
深い「異」と接触するほど、大きく影響する。
「力」の差ではない。
「質」の差だ。

「力じゃない」
故御師匠様が言ったとおりなんだなぁ・・・。
「エネルギーは高い方から低い方へ流れる」
こんな固定概念のままでは理解できないだろう。
生物同士が交流している意味がわからないのかなぁ。
そんな事を本気で信じるなよなぁ・・・。
(非生物でも同じだけど、説明がメンドウ・・・)

ここに現代治療学の壁があるんだなぁ・・・
一方的に医療技術のエネルギーが流れて、
患者が回復しているのではないだろう。
医者と患者は「交流」しているんだぜ・・・。
(おっと!余計な発言です。独善です。
気にして、医者が本気で考えてくれれば嬉しいし、
患者側も受け手意識から、参加意識に変わってほしいが)

こちら側がワープする。
相手の状態もワープする。
少しも不思議な事じゃない。
奇跡でも何でもない。
「奇跡」は(固定概念が外れれば)
「当たり前」の別称だ。

深い交流になるほど、影響し合う。
深さは、お互いの信頼だろう。
深い交流は「氣綱(絆)」という。
氣綱を伝わるのは、合体された波動。

その波動は遥か宇宙の彼方から、
ある波動に共鳴し、一瞬にして呼び覚ます。
万物に共通する波動を呼び覚ますのだ。
自然秩序を促す波動だ。

ワープは、自然な法則でもある。


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ワープ・8

2005-05-13 20:05:36 | Weblog

ワープは方法を教える事が出来ない。
坂道なら押すことも引っ張り上げる事も出来る。
少しづつでも前に進める。
だが、崖から向こう側へは本人が跳ぶ以外にない。
安全な橋は無いのだ・・・。

ワープできる素質は判る。
少し・・・バカな性格だと思う。
かなり・・・いいかげんな気質だと思う。
丸太橋を空を見ながら渡るようなタイプだと思う。
だから・・・落ちることもあるだろうなぁ・・・。
(でも慎重に渡るより渡れる確率は高いかも・・・)

考えては跳べないのだ。
距離が不明だから計算は出来ない。
向こう側は見えない・・・。
それでも、跳ぶよりしょうがないもんなぁ・・・。
(だから少しバカじゃないと無理だ・・・)
さもなくば・・・諦めて、こちら側で暮らす。

固定概念が外れると、外した分だけ跳べる。
瞬間移動(ワープ)ができるのだ。
能力は意識だ。
固定概念は、それまで培った経験や学びだ。
それを捨てられるのは・・・性格だと思う。
自分を捨てるようなものだし・・・。

机上の学びは捨てるのが簡単だ。
学問は他人からの借り物だから乗り換えられる。
この世界にいると知る。
理論はアテにならない・・・。
日進月歩というのは、アテにならないからなのだ。

捨てるのは、経験した積み重ねの方だ。

ところが、簡単には捨てられない。
つい、昨日の続きの意識で暮らす。
(意識の)習慣や癖が捨てられない・・・。
特に経験した事が捨てられないね・・・。
苦労して得たモノが捨てられない・・・。

捨てる事ができたなら・・・
その瞬間
世界が変わる(ワープ)

「毎日、生まれ変わる」
良く言えば、そういうことだ。
「確固たる自分が無い」
そ、そうともいえるなぁ・・・

どんな生き方でもいい。
大切に育てて、大きくするのもいい。
充実の人生かもしれない。
大きくしたモノも、拾ったモノも捨てる。
波乱の人生かもしれない。
それは、それで、面白い。

「ワープ」の必要条件。
捨てるから、跳べる。
持っていこうとすると、重くて跳べない。
それだけだ。


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ワープ・7

2005-05-12 20:07:55 | Weblog

こうして文章にすると解る事がある。
そうだったのかぁ・・・ウンウン、納得!
(これだけじゃ、他の人はわからんよね。
いいの。ワシだけ解れば・・・)

内心、少し疑問があったのだ。
「何で、こんなに進めるのかなぁ?」
とても優れた御師匠様達に恵まれたが、
ワシは決して努力家ではない。
かなり独特に勝手に解釈、実行してきた。

ワシの母方の祖母、曾祖母の家系の血。
ワシの努力無しで備わっていた能力があった。
もともと浄化を生業としていた血脈があった。
御先祖様達が、気まぐれで応援している。
そう思っていたし、半分、当たっていると思う。

今回「ワープ」を書いていて、気づいた事があった。
前にも「坂道と階段の違い」に触れた事があった。
階段(ステップアップ)の方法は幾つかある。
強制的に上がってしまう事もある。

ワシのような根性無しでも道はあるもんだ。
好きで歩いているわけじゃないが、
「崖っぷち」を歩かされる。
更に・・・背中を押される・・・。
「落ちる」か?「跳ぶ」か?だ。
しょうがないじゃないかぁ・・・

何とかワープ(跳ぶ)事ができている。
いつも、ギリギリのヒヤヒヤもんだけどねぇ・・・。
そんな時にも、御先祖様達の応援があるのだろう。
「不出来な子孫だけど、しょうがねぇ」
とか言いながら・・・・。
「すいませんねぇ・・・先祖の顔、見たいですか?」
ワシは合掌しながら、こう切り返す・・・。

ワープ(階段)の道を進んでしまうのは、
ワシが根性無しだからだと思っていた。
(そ、その通りなんだけど・・・)
だが、もう一つあったのだ。
ワシは最初からワープに慣れていたのだ。
ワープによって、入った道なのだ。

坂道で伸ばせる能力も幾つもある。
坂道の方が適している能力も沢山ある。
ほとんどの能力や仕事は坂道で上れると思う。
その方が、内容が濃いのだ。
何よりも、足が地に着いている。

ところが、世の中には階段でなくては進めない。
崖から向こう側に跳ばなくては進めない道もある。
ある程度は坂道でも代用できる。
だが、その先には行けない。
どんなに努力家でも、無理な人は無理と言われる。

絵でも、武術でも、料理でも、教わって出来る限度がある。
ワープしないと、そこから先には進めない。
キチンとした先生ならハッキリ言うと思う。
「プロはアキラメなさい。お前には、無理だ。」
(商売の教室なら言わないかもしれんなぁ・・・
見極めが出来ない先生なら言えないだろうし・・・)


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