いろいろな道がある。
だから迷う。
だが迷えるうちはいい。
本人が選択肢を握っている。
いろいろな道があるが、
いろいろな条件がある。
望まぬ道に押し出される場合もある。
仕方なく、踏み出す道もある。
迷っている者は幸運の範囲だ。
どちらにも進む事ができる。
どちらに進んでも、いろいろある。
後悔をする材料は、どちらにもある。
だが、自分で選らんだ分だけ軽いのだ。
後悔なんて趣味だ。
したければ、好きなだけすればいい。
誰も依頼してないし、誰の為にもならない。
趣味だから、他人が意見を言う事でもない。
好きにしてね・・・。
同じ音だが「航海」がある。
未知の道(オヤジダジャレですぅ)を海に例える。
人生は航海だ。
人生は後悔だ、とは大分違う姿勢だろう。
好きな方を選んでくれ。
とはいえ、どの道も先行きは不明だ。
だから、分かれ道で迷う。
(不明や不安定を面白がるのが道を歩くコツだが、
そんなことは、自分で覚えてくれ)
佐渡先生の迷い人に言ったセリフがある。
「海の男は海が住みよいだけじゃよ。」
迷ってしまうと、自分の正体まで判らなくなる。
海の男か、山の神か(高度なダジャレですぅ)、
二丁目の住人なのか(低俗なダジャレですぅ)。
迷いは広がる性質があるんだ。
「海の男は海が住みよいだけじゃよ。」
それだけだ。
道を選ぶのは難しい事じゃない。
息が楽にできる道(相手)を選ぼうぜ。
(オナゴにとって、結婚という道があるなら、
やはり基準はこういうところじゃないのか?
と、余計なコメントまでするから、一言多い・・・
まだまだ、ワシは佐渡先生に近づけない・・・)
(本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間・氣功療法院」