水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「生老病死・4」

2012-07-31 20:01:31 | Weblog



間違いだった。
釈迦族の王子、シッタルダはアホを貫いたのではない。
アホだから生真面目なのは間違いないだろう。
アホの王子は貫いてもアホの王様にしかなれない。
アホを放棄したから、目覚めた人(ブッダ)に変身したのだった。

シッタルダが特別なわけじゃない。
アホは人類の共通の性質だ。
放棄出来るのも特別じゃない。
誰でも出来るのだ。
放棄すると、根暗から根明かになれる。
その事を伝えたのが、仏教というヤツだ。

生きる、ということは、明るいことだ。
楽しみや嬉しさや気持ちよさが沢山あるぞ。
苦しみは、ちょっとした事で乗り越えられるし変われるぞ。
ブッダとなった嘗ての釈迦族の王子はそう伝えた。

しかも、決して偉い弟子にだけ教えたのじゃない。
最初はタヌキやウサギやトリに説法した。
次は八っつあん、熊さんなどにだ。
誰でも通じる言葉で話した。
だから、本当だった。
難しい言葉にしたのは、アホな弟子達だった。
だから、伝わらなくなった・・・


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「生老病死・3」

2012-07-30 19:39:41 | Weblog



やがてアホのシッタルダは目覚める。
アホを貫いて、目覚める。
すると、生は喜びであると看破する。
だから、苦しむ必要は無いと説く。

ところが、今でも生は苦しみだと公言する人達が多い。
生なんて、自分の体験しか出来ないのだ。
その体験も、一つだけしか体験できない。
オトコに生まれたら、オンナの生は体験できない。
日本に生まれたら、アラブ人にはなれない。
人間に生まれたら、ナマケモノにはなれない。
・・・ナマケモノには、なれる、か・・・

そういう、とても狭い体験しかしていないのに・・・
人は苦しむ為に生まれている。
この世は修行だ。
人生は○○だ。
などと、アホ丸出しを平気で言う。

アホのシッタルダならともかく、ブッダ(目覚めた人)はスゴイのだ。
根暗な人は、自分はブッダより偉いと思っているのだろう。
他人を根暗にするような扇動するより、無人島にでも行けばいいのに。
嘗て、笑っていたことなど忘れているくせになぁ・・・
生が苦なら、人類は遥か昔に途絶えていたはずだぜ。



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「生老病死・2」

2012-07-29 15:04:43 | Weblog



私はこの仕事以前に思った。
生老病死を同じカテゴリーに入れるのは間違いだろう。
生死は、神(例えです)の領域。
キッカケや早めることはできても、基本的には人の領域ではない。

老(成長も含む)と病は人の領域だろう。
シッタルダは、アホだ。

次に思った。
老(盛衰)は肉体の一方向の変化だが、病は本人の生き方の変化だろう。
老は避けることはできないが、早めたり遅らせたりはできる。
病は、避けることもできるだろう。
だから、老と病も一緒には論じられない。
シッタルダは、アホだ。

シッタルダは人の苦しみとして生老病死に疑問をもった。
だが、生まれてきた事は苦しみではないだろう。
生きている間に、それぞれが感じる事の一つだろう。
生が苦しみなんていうのは、とても根暗な人だ。
シッタルダは、きっとヒマ過ぎて根暗になったに違いない。
やはり、アホだ。


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「生老病死・1」

2012-07-28 20:39:30 | Weblog



この仕事に出会ってから気づいたことがある。
気づいた、と勘違いしたこともある。
気づきは、そのモノの一面だと知ったこともある。
その一つに「生老病死」があった。

嘗てブッダが疑問を抱いて出家した原因だ。
何故、人は苦しむのに生まれるのか?
何故、人は老いに苦しむのか?
何故、人は病に苦しむのか?
何故、人は死に苦しむのか?

その時はブッダ(開かれた人)ではなく、シッタルダという王子だった。
よほど恵まれた人か、ヒマな人か、アホな人が疑問を抱く。
シッタルダは恵まれていた。
ヒマでもあった。
ある意味、アホでもあった。
そんな疑問の為に、家出(出家も家出も同じだ)などしない。
妻も子も愛人もいたのに・・・



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「母のこと・348」

2012-07-27 19:34:33 | Weblog



この世から旅立つ人がいる。
残った人は、旅立った人との関係の濃淡で供養する。
関係深い人、濃い人、心残りがある人は特に忘れない。
とりわけ肉親、近親者は何らかの供養をする。

命日、月命日に墓参する。
仏壇に手を合わせる。
線香を焚く。
写真を飾る、持ち歩く。
常に、忘れないようにする。

私の母に対する供養は、このブログだった。
毎日書き続けること。
母の本当の人生などわからない。
私から観た母の人生しかわからない。
しかも表現は一部しかできない。
それでもいい。
これが、私なりの供養だった。

そして、一応のケジメがついたと思っている。
母は、多分、この世にはいない。
子や孫に特別愛情深い人だったが、もう済んだと思う。
この世で充分したから、もう離れたと思う。
私もそれに対応して、サッパリとしている。
一応、書き通して、あらためて思った。
厳しい時代と環境だったろうが、充実した人生だったろう。
母ではあるが、立派な人だった。


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「母のこと・347」

2012-07-26 19:51:53 | Weblog



大正5年(1916)7月11日誕生。
約一世紀の人生だった。
人はいつか必ず肉体から離れる。
長い人、短い人。
生命が最終形態に自然に変わる人。
突発的に離れる人。

どれが正しいなんてあるわけない。
それぞれが、それぞれの人生だ。
母は、生まれながらに病弱な肉体だった。
だが、最終の生命まで、この世にいた。
頑強な肉体でも、突然逝く人も多い。

この世では生命の器として肉体がある。
肉体を維持することは、この世に留まる為には必要だ。
私流なら、心より魂より肉体を大切に、という。
この世に、いるのなら。

その先は、私には、わからない。
想像はできるし、理屈も言える。
だが、本当のことは、わからない。
今、私はこの世にいるからだ。
それは、この世を離れてから気づけばいい。
母は、次の世界に行った。
だから、母のことは、もうわからない。



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「母のこと・346」

2012-07-25 20:14:41 | Weblog



バタバタとした時間が過ぎた。
直後の顔は口を少し開け、少し驚いたような表情だった。
それが、実に優しい笑顔に変わった。
とても、とても優しい笑顔なのだ。
「なに笑っているんだよ」と何度も声をかけた。

痛みと共の人生だった母が、完全に痛みと離れた。
だが、それだけの理由ではない。
人生を全うした満足の表情だった。
まいるよなぁ。
親にそういう顔されては、降参だ。
子の自分のだらしなさが浮き彫りになる。

子としては末の私が喪主となった。
多分、母もそれを望んでいるだろうという兄姉の意見だった。
17年間、ほとんど毎日治療した区切りの印だろう。
特に絆が強い母子ではない。
私は誰に対しても、絆の強さを求めない。
それが親や子であろうとも。
だから、いい関係でいられたのだろう。
だから、喪主として最良かもしれないと自分でも思った。
私より、他の兄姉の方が母への想いは強いと思う。


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「母のこと・345」

2012-07-24 19:53:27 | Weblog



母は天寿を全うした。
最終の時期も、理想的かもしれない。
子として至らぬ点を数え上げればきりがない。
ああすれば、こうすれば、と思う事柄もきりがない。
だが、かなり満足な最後を家族として出来たと思う。

それなのに一年経った今、最後の日を書こうとすると・・・
痛いのだ。
私は、幾人かの最後に立ち会った。
毎年、係わる人との別れが幾人かいる。
重病や末期のクライアントさんと係わる仕事だ。
でも、痛い。

生命の最後の形。
無くなるのではなく、最後の形。
言葉遊びではなく、本当にそう思える。
それでも
痛いなぁ・・・


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「母のこと・344」

2012-07-23 19:27:16 | Weblog



遺影は私の勘違いだった。
花に囲まれた遺影は前年の誕生日の写真だった。
この年は部屋に沢山の花を持ち込んだだけだった。
母はベッドから、大好きな花を眺めていた。

5日後の16日、土曜日。
朝から呼吸が苦しそうだった。
昨日の調子良さが180度変わっていた。
氣功しても、ほとんど楽にならない。
姉と相談して、医者に往診してもらうことにした。

往診してくれる地元の医者は自宅が東京だった。
来週、往診してくれることになった。
長兄も来ていたので、その旨を伝えた。
医者嫌いの母だが、今日の様子では来ていただくより仕方ない。

この日は、私の娘の誕生日。
土曜日だが模擬テストがあり学校だった。
学校まで迎えに行き、ケーキ屋で皆の分まで買った。
母や姉の分を持ち、とりあえず娘と実家に戻った。


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「母のこと・343」

2012-07-22 19:49:22 | Weblog



一週間くらいだろうか。
衰弱が進んだ。
私が氣功しながら、後ろから支える。
姉が口まで食べ物、飲み物を運ぶ。
一応、介護の真似事をさせてくれた。

その間に誕生日になった。
満95歳だ。
東京の兄嫁から大量の花が届いた。
花に囲まれた写真を撮った。
笑顔で病み人には見えない。
その写真が、遺影となった。

前の日。
とても母の顔色が良い。
動きも良い。
話しもスムーズに、普通にできた。
なにより、本人の意欲が湧いていた。
このまま元気を取り戻し、来年は畑仕事をしたい。
私も、母があまりに良い状態なので、いけるかも、と思った。


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