水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・668」

2022-10-31 21:42:48 | Weblog



ある気功師・273

通常の西洋医学、科学も同じだが、日進月歩だ。
日進月歩といえば聞こえがいい。
常に進化し、新たな発見がある。
言葉を変えれば、常に今の状態が不完全だということだ。

以前の常識が覆る。
以前の認識は間違いだった。
以前の方法では危険だ。
以前は無知だった。

いや、無知は今でも同じ。
将来になれば、それが証明される。
乱暴な言い方だが、西洋医学、科学は常に間違い。
それでも、今は頼るより仕方ないのだ。
そういう事実を認め、自分の人生を見つめ直そうぜ。



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「迷想中・迷走中・667」

2022-10-30 20:07:00 | Weblog



ある気功師・272

アーユルヴェーダというのは生物の最良の為の道標だ。
生物の実践哲学でもある。
生物の一部に人間がある。
つまり、アーユルヴェーダの対象は人間以外もある。
例えば、牛のアーユルヴェーダ。

最良だから、生まれる前からの良好になる為の方法もある。
受精の前から、死ぬ時までが記されている。
最良の人生の方法が記されている。
生き方を解説している。
24時間、365日、その一生を説明しているのだ。

その更に一部に医学がある。
医学は単に病を治すのではなく、その先の人生の為だ。
だから、癌治療も患部だけの治療ではない。
治す為には、その24時間に方法がある。
その膵臓癌患者も薬用オイルだけの治療ではない。


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「迷想中・迷走中・666」

2022-10-29 20:24:30 | Weblog



ある気功師・271

日本の個人病院とは規模が違う大きな病院だ。
幾つも病室を見させていただいた。
興味深い治療法ばかりだった。
何も知らない科学教の人達ならば、勘違いするだろう。
昔の民間療法だと、軽んじるだろう。
科学教信者は、無知だから。

特に印象に残っている場面がある。
膵臓癌の治療法だ。
日本なら手術だろう。
その前に膵臓癌の発見が遅れる傾向がある。
だが、アーユルヴェーダ医学は発見も早い。

膵臓癌の患者はうつ伏せだった。
上半身裸で、患部には丸い囲い。
その中は専用の薬草オイルが入っているだけ。
つまり、皮膚の上からオイルで温めているだけ。
経過や治療効果なども質問したが、かなり凄い。



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「迷想中・迷走中・665」

2022-10-28 20:39:00 | Weblog



ある気功師・270

クリシュナ先生は天才だから数ヵ国語を話す。
日本の医学博士でもあるから、日本語は流暢だ。
話すだけじゃない。
天才だから普通に書ける。
私よりも上手な字で・・・

ユーモアもウィットも実にオシャレだ。
インド人は笑顔が少ないが、クリシュナ先生は素敵な笑顔だ。
同じ人間で、実に不公平だと思う。
天才でハンサムで感じが良くてスタイルもいい。
どこに欠点があるのだ・・・

その上に、南インドの自分の病院も運営する。
日本とインドを往復しながら人の何倍も仕事をする。
私は龍村塾以外でも講義を受けていた。
アーユルヴェーダ講座は60回以上受けたと思う。
そして、やっと本物のアーユルヴェーダ病院に来た。



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「迷想中・迷走中・664」

2022-10-27 20:38:29 | Weblog



ある気功師・269

聖者も聖地もいる、ある。
会えば、何かが変わる。
行けば、何かを感じる。
日常は大切だが、非日常も大切だ。
日常を更に濃くする為に、聖者や聖地がある。

この時のツアーは、聖者と聖地だけじゃない。
アーユルヴェーダがもう一つの柱だった。
昨年の龍村塾(ホリスティックヘルスコンサルト養成講座)。
何度もアーユルヴェーダの講座をした。
講師はクリシュナ先生だった。

日本アーユルヴェーダ学校の(確か)三代目校長だ。
40代、ハンサム、天才、スタイル良し。
日本の医学大学も出ているが、アーユルヴェーダ医でもある。
南インドに自分の病院を持っている。
今回はそのクリシュナ先生の病院で実際に見学だ。



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「迷想中・迷走中・663」

2022-10-26 21:16:45 | Weblog



ある気功師・268

マハリシの最後をそこで聞いた。
癌になり、幾度か手術を受けた。
最後は手術を断り亡くなった。
その時、大きな光の玉がアルナーチャラ山に飛んでいった、とか。

何故マハリシのような人が癌になるのか?
何故、それが原因で亡くなるのか?
当時の私は理解できなかった。
いや、数か月前の故師匠の逝去があった。
だから、何となくだが理解できそうではあった。

やがて多くの人の死に出会い、私なりに理解する。
それは人だから、人間だからだ。
病気は必要だったのだろう。
ブッダだって病死だ。
死になるには、病気が必要な時もある。



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「迷想中・迷走中・662」

2022-10-25 21:26:16 | Weblog



ある気功師・267

ここで裸の聖者と称されたマハリシについて考えた。
当時、まだ私は気功師になって2年。
龍村塾生になって1年しか経っていない。
一年で十年分の学びと経験体験をすると誓った。
私の誓いは豆腐のように脆い。
が、この三年間だけはマトモだった。
三年間で三十年分を詰め込むのが私の治療家としての基本だった。

まだ人の死、病気という事が解っていない。
生きるという事、人生という事も当然解かっていない。
もちろん今でも解かっていない。
それでも、解からない、という事が判っている。
これは、とても重要な、解からない、なのだ。
解らない事が受け入れられと、目は観えるようになるのだ。

マハリシは自然のど真ん中、アルナーチャラ山中で暮らした。
時々下山して人々の相談に智恵を分けているが、基本は山中だ。
食べ物も自然、ハンバーガーやラーメンなどは食べない。
身体についても精神についても理解が深い。
だから、天寿まで生きたと思っていた。



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「迷想中・迷走中・661」

2022-10-24 20:59:35 | Weblog



ある気功師・266

サイババアシュラム(修道院)から次に向かうのは山だ。
南インドで聖なる山と称されるアルナーチャラ山だ。
インドは屋内であれ、屋外であれ聖なる場所は裸足になる。
アルナーチャラ山は裸足どころか裸の聖者のいた山だ。
マハリシといわれる聖者は生涯この山にいたらしい。

その入り口がマハリシアシュラム。
そこで心身を落ち着かせ、そこから山に登る。
土よりも岩が多い。
私は裸足で登る事が、それほど気にならなかった。
ツアーの人達は辛い、という人もいた。
私には、痛いほどではなかった。

何よりも、この山自体が不思議なエネルギーに満ちていた。
岩は遠赤外線でも出ているかのような温かさがあった。
疲れよりも元気が増えるような山だった。
ともかく、一つの山全て裸足で登山というのは滅多にないぞ。
聖なる山に包まれていても、私の下品は浄化されないが・・・



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「迷想中・迷走中・660」

2022-10-23 20:35:24 | Weblog



ある気功師・265

私はこの頃、いつでも金粉が出せた。
ちょうどそんな話になったら龍村師匠も出せたようだ。
そういう事もあるさ。
だからどうだというのだ。
そう、思えるようになったが、周りは興味深々。

そこでの縁でセミナーの講師として呼ばれた事がある。
ヨガの先生からだった。
当日、20数名が集まってくれた。
私はそこで、参加者全員の手(顔)に金粉を出した。
皆、驚いてくれたが、私はもういいかな、と思った。

もういいかな。
それからは注目しないからか、出が悪いようになった。
今でも出そうとすると出るが、僅かだ。
注意してやっと一粒二粒見えるくらいだ。
やはり、興味が無くなるとモノは消えるようだ。
それは、この世の全てに当てはまるようだ。
物質だけでなく、見えないモノも能力も。



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「迷想中・迷走中・659」

2022-10-22 19:43:38 | Weblog



ある気功師・264

他の日本人のグループとも話した。
何度も訪れていて、その人はアムリタを分けてくれた。
アムリタとは蜂蜜のような甘いものだ。
ビブーティもアムリタも本物は自動的に増えたりする。
アムリタは少しだけだったので、その場で舐めた。

ビブーティは貴重な本物なので、特別の時に少しだけ使った。
そのうちに忘れてしまったままになった。
その後、特に増えているとも思えなかった。
サイババの写真も飾っていたが、特に何も出現しなかった。
だが、その後25年以上やってこられたのだから、恩恵かもしれない。

サイババに関しては様々な意見がある。
特に超常現象を受け入れない人達はインチキだという。
だが、そんな事はどうでもいいのだ。
超常現象など、私にとっては日常だ。
そんなことより、どれだけ多くの人達が助かったかだ。
言葉じゃなく、実際の衣食住の助けだ。
その後の仕事を与え、自立できるまで支えられたかだ。


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