水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷説幸福論・123」

2009-12-31 22:17:23 | Weblog



幸の項(こうのこう)

幸福の条件。
幸になるには。
こうすれば、幸せになれる。
幸福への道。

それぞれが立派なことを主張する。
モンクのつけどころがない。
そうかもしれない、と思ってしまう。
でもなぁ・・・

立派なんだけど・・・
理としては、そうだと思えるけど・・・
この世では理が半分しか通じない。
この世という舞台の特殊性を忘れてる。
真実を求めると、間違うのがこの世の特殊性なのだ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説幸福論・122」

2009-12-30 19:46:46 | Weblog



幸の項(こうのこう)

幸になる為、得る為の条件。
そんなモノがあるとしたら、この世ではない。
条件があるなら、あの世だろう。
あの世が真実の世界という意味なら。

あの世が無限なら条件付きでもいい。
いつか、誰でも条件を満たせる。
真実の幸は真実の世界(実相界)で得られる。
(と、予想できるが、ホントはわからない)

ところが、この世は有限なのだ。
条件を付けては、当てはまらない。
いつ、どこで死ぬのかわからない世界だ。
条件の途中で「残念でした」はないだろう。
そんな幸福は(この世では)インチキだ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説幸福論・121」

2009-12-29 21:44:37 | Weblog



幸の項(こうのこう)

何故この世に生まれたか?
それは解らない。
諸説諸々ある。
偉い人が解説する。
巨大宗教の経典に書いてある。
だが、本当は判らない。

何故生まれたかは解らない。
でも、生きる目的は解る。
「生きとし、生きる」
当たり前なのだ。

いつ、何処で、どんな理由で死ぬのか解らない。
誰にも判らない。
生まれた理由と同じく判らない。
だから、死ぬまで生きる。
生きとし、生きる。
当たり前なのだ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説幸福論・120」

2009-12-28 22:44:14 | Weblog



幸の項(こうのこう)

肉体が生きている。
それを「生命」という。
この世では生命は有限なのだ。
(この世の)生命は永遠ではない。

つまり、幸は生命に付いている。
心や魂じゃないのだ。
精神世界の話じゃないのだ。
日々の暮らしに直結している話だ。

机上論では間違う。
頭の中で考える事とは違う。
肉体が動いて感じて体験する事だ。
生命が実感する事のようだぞ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説幸福論・119」

2009-12-27 21:35:09 | Weblog



幸の項(こうのこう)

ワシに付く御筆先様。
多分にへそ曲がりのようだ。
予想を裏切るのが好きなようだ。
常識をひっくり返すのが好みらしい。

幸は心の問題だろう。
あるいは、精神的な哲学かもしれない。
生きる目的かもしれない。
魂の進化に関係するかもしれない。
そう思っていた・・・

まさか、肉体の問題とは思わなかった。
だが、成程とも思う。
生きている主役は精神じゃない。
魂じゃない。
心じゃない。
この世では、肉体が主役なのだ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説幸福論・118」

2009-12-27 11:38:13 | Weblog



幸の項(こうのこう)

固定概念。
コイツが厄介なのだ。
幸は気持ちの問題だと思ってる。
幸は心で感じると思っている。
幸は魂に関係すると思っている。

ワシもそうだった。
これを書くまでは・・・
ワシには御筆先様が付く。
だから内容は考えてない。

確かに自分で書いてる。
でも、勝手に手が動く。
何も考えて無いのだ。
内容は後から読んで知るのだ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説幸福論・117」

2009-12-25 20:27:10 | Weblog



幸の項(こうのこう)

この世は見えるモノと見えないモノがある。
見えるモノと見えないモノが合わさっている。
見えるモノに見えないモノが付いているのだ。
この世は、そういう風に創られている。

心は見えない。
魂も見えない。
肉体は見える。
だから、肉体に心が付く。
肉体に魂が付く。
肉体に生命が付く。

幸は見えない。
だから、肉体に付く。
心や魂に付くのではない。
ここが勘違いしやすいところだ。

         
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「迷説幸福論・116」

2009-12-24 19:14:50 | Weblog



幸の項(こうのこう)

幸は何に付くか?
当然、主人公に付く。
主人公以外に付いてらマヌケだ。
主人公は肉体。

心や魂は脇役。
脇役に幸を求めるから繋がらない。
難しいことではなかった。
勘違いしていただけだ。

肉体は誰でもある。
無いのは霊だけだ。
霊を魂ともいう。
(この世の)幸は霊には付かない。

         
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「迷説幸福論・115」

2009-12-23 22:28:03 | Weblog



幸の項(こうのこう)

つまり、この世では魂が主体ではない。
この点を多くの精神世界解説が間違う。
宗教関係者が間違う。
この世は真実を語る場ではないのだ。

この世での主体は肉体だ。
当たり前なのだが、気づけない。
肉体より心が上等だと思ってしまう。
肉体より魂が上等だと思ってしまう。
そして、人はミエを貼る。

上等も下等もないのになぁ・・・
あるモノは全て同じだ。
役割が違うだけだ。
この世では、主人公が肉体となる。

         
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「迷説幸福論・114」

2009-12-22 23:10:41 | Weblog



幸の項(こうのこう)

この世でアナタに付いているモノ。
最初から最後まで付いているモノ。
それは肉体だ。
心は移ろいだり、変わったりする。
だが、肉体だけは最後まで専用だ。

本体が魂だと仮定する。
魂は永遠だと仮定する。
魂は死なないと仮定する。
実相界では、そうかもしれない。
(誰も確かめられないけど・・・)

この世では魂は物質に宿る。
生物においては肉体に宿る。
この世が物質界だからだ。
物質には限度がある。
物質は有限な約束で存在するからだ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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