水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

日常と非日常・29

2006-02-28 22:40:38 | Weblog


笑いにも種類がある。
底からの笑い。
それが「ユーモア」というヤツだ。
これは「日常」で使うモノだ。
ユーモアは生命の活性に使うモノだ。

「底」と同意語で「性」がある。
こう教える学校や社会は少ない。
ワシは少ない方に味方する。
ユーモアは「性」に関係している。
だがなぁ・・・
この文章を理解する人も少ないだろうなぁ・・・。
たまには、深読みしてくれ。

性に関係する言葉を言う。
「セクハラよ!まぁ、何て、い、いやらしい!」
そう反応するような人間にはならないでね。
魂が荒れてる証拠だぜ。
笑えるようになってくれ。

おっと・・・
余計なお世話だった・・・。
 
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日常と非日常・27・28

2006-02-27 23:35:50 | Weblog

「非日常」は向こうから来る事もある。
「非日常」だから、ビックリする事もある。
思いもかけぬ出来事。
思いもかけぬ「場」に入る。
その時、日常意識は跳んでいる。

意識の底。
感情の底。
魂が揺さぶられる事がある。
魂が動く。

すると生命は活性する。
何故?どうして?は言わないでね。
そういう仕組みだから。
質問はグレちゃん(創造主)にしてくれ。

あまりに思いもかけぬ出来事。
感情は・・・笑ってしまう。
可笑しくて笑うのではない。
そういう仕組みなのだ。

笑いと生命の活性の関係。
二つは前世で夫婦だった。
だからお互いに反応してしまう。
笑えば生命は活性するのだ。

ナニを触る。
するとナニが元気になると同じ・・・。
ま、まぁ、そんな感じかなぁ。
(ち、違うとおもうぞ・・・)
と、とにかく「笑い」も鍵となるね。

 
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日常と非日常・26

2006-02-25 23:01:43 | Weblog

こだわりは無くさなくてもいいよ。
その代わりに「切り替え」ようぜ。
離したくないモノだってあるさ。
大事に掴まえていればいい。

ご飯を食べる時は離している。
トイレ中も離している。
○○の時も離している。
こだわりがある!
っていっても24時間じゃない。
自分で思うほど根性は無いもんだね。
ハハハ・・・。

その時は「切り替え」ているだろ。
その「切り替え」を意識して行う。
それだけでいい。
こだわりは
無くさなくても大丈夫だぜ。
 
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日常と非日常・25

2006-02-24 23:22:43 | Weblog


「こだわりを無くせ!」
宗教は無理を言う・・・。
そしてウソや欺瞞を言う。
こだわっているから信者なのに・・・。
こだわりを植え付けて信者を増やしているくせに・・・。

ワシは信者じゃない。
天下無敵の根性無しだ。
だから無理は言わない・・・。
ついでに宗教信者とケンカする度胸も無い。

だから謝ろう。
ゴメンナサイ。口が滑りました。
どうか、殺さないで下さい。
ワシには可愛い愛人達とそれなりの本妻がいます。
宗教の為なら戦争もする信者には逆らいません・・・。

 
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日常と非日常・23・24

2006-02-23 22:12:52 | Weblog

子供は何故、生命力が旺盛か?
幾つもの理由がある。
その一つにデジタル意識がある。
意識の使い方が断続なのだ。

出来事を引きずらない。
固定概念が出来上がってない。
出来事にこだわっても、柔軟なのだ。
空想が出来るのだ。
妄想も出来るのだ。

いつでも異次元に跳べる。
いつでも「非日常」に入れる。
その意識の使い方。
誰でも子供時代がある。
だから、誰でも出来るのに・・・。

意識の切り替え。
さっき泣いたカラスが、もう笑った。
子供はこれが自然に出来る。
いつまでも過去にとらわれていないのだ。

感情は生命の活性に大きく係わる。
「こだわり」はポジティブな感情や思考を生まない。
「切り替え」が得意なほどポジティブは多くなる。
ポジティブな感情や思考は生命を活性する。
「切り替え」は生命活性の鍵となるのだよ。

ワシは病み人が相手の仕事だ。
深い病を抱える人を相手にする。
病み人の多くにある傾向がある。
「こだわり」が多いのだ。
「切り替え」が不得意なのだ。


 
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日常と非日常・22

2006-02-21 22:34:51 | Weblog


「日常の逃避場」が「非日常」だと勘違いする。
「非日常」は「日常」の逃避場ではない。
逃避場は「日常」側だ。
「日常」を引きずるなら、それは「日常」なのだ。

「日常」と別な世界。
だから「非日常」なんだ。
「日常」とは係わらない世界。
ストレス発散の場ではない。

意識の切り替え。
これが必要不可欠。
超忘れん坊の素質があれば容易い。
常識が外れている人もラッキーだ。

頭のいい人には苦手な作業だ。
可哀想だが仕方ない。
人間は平等に生まれない。
頭良く生んだ両親を恨んではいけない。

 
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日常と非日常・19

2006-02-18 22:10:52 | Weblog


ネット世界がある。
固定概念の有識者達はワンパターンで言う。
「ネット世界は非日常だ」
「非日常」が害のあるような言い方でもある。
もしかしたら・・・パソコンが苦手なのかも・・・。

ネット世界も「日常」と「非日常」がある。
どんな世界も「日常」と「非日常」がある。
政治世界など、ほとんどが「非日常」だぜ。
本来は「日常」でするのが政治なのに・・・。
まぁいいや。
政治家に道理は通じない・・・。

つまり、ネット世界は使い方だ。
「非日常」を「日常」で活かす。
「非日常」のままでは生命は壊れる(狂う)。
「日常」だけで使えば、生命は衰退する。
片方だけの使い方は、使われているのと同じだ。
使われていたのでは、生命はイジける。

 
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日常と非日常・18

2006-02-17 22:17:01 | Weblog

「非日常の空間」なんて当たり前だ。
ワシは仕事上で通常に使っている。
「日常の空間」から「非日常の空間」に移る。
ワシの仕事は「非日常の空間」でするからだ。

一つの波動帯(空間)といってもいい。
「日常」の波動でない波動だ。
ポチや政治家やゴキブリとは違う波動だ。
何処から反応共鳴しているのか知らないが、
「非日常」の波動ではあるなぁ・・・。

その帯で結界を作る。
難しい作業じゃない。
アホのワシでも簡単なのだ。
切り替えれば、誰でも作れるんだけどなぁ・・・

「非日常」の波動で満たす。
だから「日常」の波動が薄い。
それを「清浄」と表現するが、ちょっと違うかな。
まして清浄が「高レベルの波動」などと言うのはなぁ・・・。
自画自賛するのはワシのような低俗レベルだぜ。

 
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日常と非日常・17

2006-02-16 23:06:20 | Weblog


「非日常の時」がある。
ならば「非日常の空間」もある。
この世はグレちゃんが「いいかげん」に創った。
だから何でもあるのだ。

何でもアリ。
アリはゾウも倒す・・・。
踏み潰されるのが圧倒的だがなぁ・・・。
それでも10匹でアリガトウ・・・。
千匹でアリセン(ハリセンの親戚か?)
万匹でアリマン(アゲマンの親戚か?)
このように、アリはとてもエライのだ。

何でもアリ。
ワシはこの事実で目が覚めた。
真実は何か? 
そんなモノを追っていてのだが、目が覚めた。
何でもアリなら、何でも真実じゃ~。
気づいてみれば、なんて当たり前なんだ。

 
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日常と非日常・16

2006-02-15 21:19:12 | Weblog


「時」にも例外がある。
一方向に流れる(エントロピーの法)が「時」だ。
それが、この世に支配する「時」の癖だ。
ところが「例外の時」が時々起こる。

グレちゃん(創造主・宇宙法則)はメンドクサガリ屋だ。
通常はワンパターン。
だが、グレちゃんだってタマには飽きる。
タマにもポチにも飽きる事もある。
本妻にも愛人にも飽きる事もある。
ゼウスの浮気話はそういう深い意味を示唆している。

「時」の間(はざま)。
「時の癖」に支配されない「場(時と空間)」がある。
気づけば・・・かなり多い。
沢山、沢山、ある。
グレちゃんは、やたらめったらバラ撒いた。
「非日常」をアチコチソチにバラ撒いた。

「日常」は固定概念で支えられている。
その固定概念という意識が揺らぐ。
すると「非日常」が垣間観える。
固定概念の薄いヤツ。
「非日常」と、しょっちゅう遭遇する。
そのうち・・・馴れっこになる。

馴れっこになると、親しくなる。
「非日常」も「日常」も親しくなる。
節操のないタイプ・・・。
差別も区別もしない神様だって同じようなもんだ。
グレちゃんだって、節操なんて無い。

「日常」と「非日常」と同時に付き合う。
この世(物質界)の「時の癖」があった。」
エントロピーの法則は肉体の老い。
その影響が、半分になる。

人は生き方(意識次第)で老いのスピードが違うんだぜ。

 
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする