水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・1278」

2024-07-03 21:23:18 | Weblog


ある気功師・883

人間は傲慢という癖がある
(私なんて傲慢が趣味でもある)
「傲慢」は道を外れる運命を負っている。
「傲慢」で道を外れぬ事は無い。
(ということは・・・私の人生・・・)

ところが人間には理屈があり、感情がある。
傲慢の大義名分が立派だと傲慢に見えない。
立派だと感動もあり、意味も付けられる。
「生きている事」よりも立派な意味に思える。
「立派な事」が価値有ると思ったりする。
「生きている」だけじゃ、価値が無いように思える。

立派だろうが、人類の為だろうが傲慢は傲慢。
価値があろうが無かろうが、それは別次元の話。
「生きている世界」では「生きている事」が
基礎であり、土台であり、全てである。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1277」

2024-07-02 21:01:12 | Weblog


ある気功師・882

この世は仮の世界。
有限の世界は仮の世界だからだ。
仮の世界では、仮の法が適用される。
「生きている」という条件があるから、
その条件を主体とした法則がある。

仮の世界だろうがホントの世界だろうが、
ここに存在する間は、ここが世界だ。
そして、どんな世界にも必ず「法則」がある。
ここでは「生きている事」あるいは
「生かされている事」が事実の世界。

「生命」は生きたがっている。
生きる事、生き続ける事が中心にある。
生きる事、そのものが生命の意味であり、
その他に「生きる事の意味」を付けるのは、
(たぶん)「傲慢」というものだ。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1276」

2024-07-01 21:17:33 | Weblog


ある気功師・881

死は必ず訪れる。
人間の致死率は100%。
それなのに何故「健康」が必要か?
生きている間に一所懸命・一生懸命生きればいい。
健康を目指さなくても、意味はある。
健康を目指しても、死は必ず訪れる。
こういう生き方もある。

だが・・・間違いだ。
ハッキリ断言できる。
これは・・・間違いなのだ。

「人の生き方は多種多様
どんな生き方も自由だ。
どんな生き方も間違いは無い」
正論かもしれないが、この世では間違いだ。
舞台の上で本名を名乗るのは間違いなのだ。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1275」

2024-06-30 21:12:51 | Weblog


ある気功師・880

あれから9年経って、同じ人を観る。(今は更に20年)
龍村先生の下に通っていても、あまり変化のない人もいる。
丸く、柔らかく、大きく、魅力的になった人もいた。
人間だもの・・・様々だよなぁ・・・
優れた指導者に縁付いても、長く教えを受けていても、
結局はその人が「目覚め」るか、否かは本人次第。

空海が唐に渡り青竜寺に入り
恵果より密教の継承者として認められたのは、僅かの期間内の事だった。
何十年も同寺で修行している高僧が何千人もいたのだが、
少し居ただけの外国人(空海)が正統の継承者となった。

「目覚め」は時間でも継続でもない。
その人自身に含まれる「生き方」からだろう。
「生き方」だから様々だ。
「縁」だけじゃ片手落ち。
「継続」すれば何時か「引き金」が来るかもしれないが、
一生来ないかもしれない。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1274」

2024-06-29 20:52:22 | Weblog


ある気功師・879

「ホリスティックヘルスコンサルタント養成講座」
第一期生として東京・北千住の龍村道場に通った頃。
同期だった人達と再会した、9年前だ。
ヨガ歴の無いワシがどういうわけか「指導員科」にいた。
ここは各地で教室を開き、生徒を指導している先生達が、
更に広く深く学ぶ為に集まってきていた。

その頃の集まるヨガの先生達の印象・・・
個性あふれているなぁ・・・
(クセがある人が多いなぁ・・・)
龍村先生を観ているから、ヨガを実践していると、
丸くなる、大きく、柔らかく、和らぐようになる、
そう単純に思っていたから、ある意味予想外だった。

私は「人を観る」のが仕事の一部になっていたから、
「クライアントを観る目」でヨガの先生達も観てしまう。
問題を抱えているから「ヨガ」に出会い、続けている。
そのうちに指導員になり、教室を持つ。
でも、いろいろな問題は決して消滅していない。
人間だもん・・・クライアント達と変わらないなぁ。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1273」

2024-06-28 20:56:37 | Weblog


ある気功師・878

自分の力量を押し付けない。
気を使っているのは、一部の質だ。
数パーセントでも質を高める。
あるいは、深める。

受け取り側は、その力量で判断する。
例えれば小学生と高校生に同じ事を示す。
それで小学生はそれなりに学ぶ。
高校生もそれなりに学ぶのだ。

教えると学ぶは同時なのだ。
教えられると身に付くが落ちる。
学ぶと実になるのだ。
身に付くか、実になるか。
指導者は、押し付けてはならない。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1272」

2024-06-27 21:06:55 | Weblog


ある気功師・877

おそらく龍村師匠はその実力の数パーセント。
それを私達に伝えている。
だから易しくて優しい。
そして伝わる。

だが単なる数パーセントではない。
フラクタル現象を応用している。
あるいは、ホリスティックを応用している。
一部でも全体を表す方法だ。

受け取り側がバラバラでいいのだ。
受け取り側を統一に扱わない。
だから易しく優しい方法となる。
教える、とは、そういう事なのだ。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1271」

2024-06-26 20:51:49 | Weblog


ある気功師・876

自分が得た知識や経験。
それらの多くを伝える。
伝える技術を持つ。
伝える工夫をする。

そうではなかった。
最初から間違えていた。
例えるなら、自分の中の20パーセント。
いや、10パーセントを伝える。

それだけでいいのか?
それが伝える、という事なのだ。
それができれば充分なのだ。
その重大さに、やっと気づいた。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1270」

2024-06-25 21:02:14 | Weblog


ある気功師・875

初級のクラスでも出来るだけ伝えよう。
中級のクラスなら上級の近くまで引き上げよう。
上級なら更にその上を匂わそう。
それらが私の優しさだと自負していた。

講師を教える先生。
先生を教える先生。
教える事を学ぶ場。
それらは自ら気づく事でもあった。

この時、私はカルチャーショック。
教えるって、そうなの?
私は・・・バカなの?
何も観えていなかった、と気づいた。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1269」

2024-06-24 21:06:07 | Weblog


ある気功師・874

例えばクラス分けをする。
初級、中級、上級のクラス。
自分が持っている量と質。
どの程度を伝えるか。

私は大きな勘違いをしていた。
自分の能力をできるだけ伝えようとしていた。
それは、どんなに工夫しても伝わらない。
優しくなかったのだ。

易しさは優しさ。
優しさは優秀さ。
私は優秀ではなかった。
その事に気づいた。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする