水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
幸、高、功、効、行、交、好。
まだまだあるぞ。
香、孝、恋う、康、恒、興、昂。
ただ同音の文字ではない。
生きる指標になりうる「こう」だ。
ワシは青臭い年代ではない。
だが、青臭い想いは常にある。
想いはあるが、毎日に流される。
元々、流されるのは好きなほうかも・・・
それでも、青臭い想いに呼び戻される。
人生を楽しみに歩くには・・・
せっかく生きているんだ。
漠然と流されるだけっていうのもなぁ・・・
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
失恋は多くを教えてくれる。
だから恋愛は凄い。
間違って成就しても効能がある。
大抵は家庭をつくるからだ。
そこで生命は繋がる。
ワシは恋愛を見直した。
オヌシは偉い!
一見アホは、実はデキルのだ。
狂い、偏り、みっともない恋愛だが、
多くの効用効能実用多用が備わっている。
この世の今の人生は一度だ。
(生まれ変わりは、今ではない)
しかも限られた時間だ。
しかも、時間と共に肉体が衰える。
命、短し、恋せよ、生きるモノ達。
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失恋は恋愛の効能の一つ。
恋愛に失敗したのではない。
元々、成就するのが例外なのだ。
恋愛は失恋が王道なのだ。
上手くいかない。
だから先がある。
成就しない。
だから人生が続く。
悲しみや苦しさを知る。
個々の勝手。
悲しみや苦しさの正体がみえる。
個々の勝手な出来事がほとんどなのだ。
もちろん例外はある。
いつでも、例外は付きモノなのだ。
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少し狂う事。
偏る事。
これは陰陽理論でも同じだ。
バランスがとれてしまうと動けない。
何も生まれない。
陽が偏り(狂い)、何かが生まれる。
陰が対応して、陰陽は回る。
生命が続く、というのは動き続ける事だ。
回り続ける事だ。
この世の人生は回る為に存在する。
成就する為じゃないぞ。
上手くいかないから、回る。
心理的に不満があるかもしれないが、それでいいのだ。
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恋愛は生命を活性する。
結果が失恋で終わっても活性する。
ほとんどが失恋につながる。
それは、それで意味がある。
失恋しないと、次の相手との縁が出来にくい。
人生は残念ながら限りがある。
だから失恋しないと他の人とめぐり合えない。
人生は成就する事に意味がない。
経験する事だけに意味がある。
恋愛は少し狂い、偏り、間違う。
だから大抵は上手くいかない。
だから意味がある。
だから大切なモノを含んでいる。
上手くいかない事は、とても大切なモノを含んでいる。
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恋愛は生命存続の契機。
これは、当たり前だ。
キッカケがないと新たな出来事は起これない。
キッカケは間違いから生まれるものだ。
恋愛が冷静に観ると間違いだらけなのは意味がある。
狂ってこその役割だ。
生命を繋ぐというのは、冷静では無理なのだ。
そもそも、生命は狂ってこそ活性する癖がある。
狂い過ぎると滅亡する運命もある。
種の存続の不可欠要素。
だが、それだけじゃなかった。
種の生命ではなく、個の生命も活性する。
グレちゃん(創造主)はサービス精神満載なのだ。
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恋愛論を書き始めの頃。
ワシは恋愛を軽く観ていた。
ワシ自身が恋愛感情が苦手なせいもある。
変な感情の病だなぁ、と思っていた。
書き続けている間にワシの観方も変わった。
恋愛が美しいとは思わない。
マトモとも思わない。
だが、重要な要素を秘めている。
それは創造主のヒネクレた仕掛け。
生命に関する仕掛けの一つ。
生命の存続の引き金。
大きな流れの仕掛け。
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高齢者施設などでの話だ。
それまで痴呆気味、気力なし。
ところが気に入る異性ができると・・・
痴呆も改善、身の回りもキチンとする。
生命力が活性したのだ。
恋愛には生命活性の扉がある。
オナゴは特にわかりやすい。
元々生命の本筋の性だ。
肌に張りが出る。
表情が明るくなる。
動作が軽くなる。
心が優しくなる。
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生きる。
生命が続く。
生命ある間は個として生きる。
個がある間は恋愛は出来る。
恋愛の主作用は子作りだ。
肉体的には期間と限度がある。
だが、子作り不可でも恋愛できる。
相手が同性でも恋愛できる。
子作りは生命の新生と継続だ。
生命の活性系に属す。
だから子作り以外でも生命の活性となる。
生命がある間は、恋愛が出来る。
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個と集団と全体。
個と我は別だ。
個は個。
我という観念は無い。
だから全体に通じる。
集団になると、我という観念が生まれる。
我は偏った観念から生まれる。
個は個故に偏りも調和も無い。
つい、個と我を混同しがちだが、別次元のものだ。
恋愛は個。
だから、他のモノ達とも通じる。
我は所属する集団にしか通じない観念だ。
我欲と個欲は別な次元だ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)