水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

名・4

2005-06-30 16:16:31 | Weblog

生身の人間だって同じだ。
誰にも自分の正体が判らなくて、
しかも確かめる事もできなければ、
少しはミエを張って名乗る。
未開の地で名乗るのに脚色するようなものだ。

現に「私は○○の生まれ変わりよ」
と平気で言う人はとても多い。
嘘を言ってる意識はなく、信じ込んでいる。
確かめられない事は言っても聞いても無意味だ。
それでも圧倒的に勘違いが多いのは事実だ。
(仕組み上、ある程度の勘違いは指摘できる・・・)

霊が名前を名乗るのは確信犯だ。
嘘を自覚している。
まぁ、嘘くらい可愛いもんだ。
この国の政治家の行う害と比べようも無い。
あんちゃん、ね~ちゃん、ダンナ、おくさん、
じいちゃん、ばあちゃん、せんせ~、みんな、うそつき・・・。

ところが浄化力の氣功で浮かび上がった霊は、
(不本意だと思うが)嘘がつけない。
嘘をつく気にならない。
これは生身の人間も同じらしい。
自然体というか、力みが消えるというか・・・。

初めてのクライアントがあまりに正直に話し出す。
ワシも最初は何故だか解らなかった。
そ、そんな事まで正直に話さなくてもいいのに・・・。
そのうち、力みが消えると嘘やミエは消えると解った。
何でも話してもいいかぁ。
そんな風になるようだ。
(だから、この氣功は心の病にも適している)

霊が嘘を言わないで話してくれる。
これは、とても大きな機会だ。
生身の人間では判り得ない事を話してくれるのだ。
とても貴重な情報になる。

霊が話す事は幾らでもある。
しかし、嘘が入り混じっているのが通常だ。
その内容をマトモに受けるわけにはいかない。
ところが、嘘をつけない状態なら、
霊が話す事は大きな指摘や情報となるのだ。

その霊が「名」を使えない。
悔しいけど・・・名乗れない・・・。
これは大きな情報なのだ。
「名」は物質(肉体)に属している。


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名・3

2005-06-29 21:10:10 | Weblog

肉体(物質)は幅広い波動帯だ。
この世は周波数の違う相手との「出会いの場」だ。
わざわざ「出会いクラブ」に入会しなくてもいい。
幅が広いから、嫌な相手とも会える。
自分より遥かに高級な相手とも会える。
世間は広いぜ。

ところが霊には肉体が無い。
会える相手は同波動か近波動だけ。
霊の世間は狭いのだ。
あの世は(ある意味)狭いのだ・・・。
この世で彷徨う霊も肩身が狭い・・・。

だから霊は、いつでも淋しい。
自分に向いてくれる人がいたら離れたくない。
一時的には誰にでも憑くが、
憑き続けるようならば、人間側の心の欠陥だ。

「アタシ、霊感体質なの」
そんな事、自慢げに言うなよなぁ・・・。
浮遊するほとんどの霊は歪んだ波動なんだぜ。
その霊が憑けるのは、歪んだ心の持ち主だぜ。
少しは恥ずかしいと思えよなぁ・・・。
しかもこの体質は進行性だから、どんどん悪くなる。
体質は改善できるぜ。どうする?

霊感は極少数の人だけが、持っていい感覚だ。
浄化する役目と方法を備えている人だからだ。
怪しげな霊能者は、霊感体質だけで商売にする。
だから幸せな生き方が出来ないで苦しむ。
病の真ん中だから、治した方がいいと思うよ。
(ハイ、余計なお世話です・・・ゴメンナサイ)

「名」は肉体(物質)側に属す。
とても大きな指摘だ。
でも、その前に霊の言葉の補足を・・・

霊は淋しがり屋で根性悪だから嘘つきだ。
そう、生身の人間と変わらない。
それなのに、霊の言葉を信じる人が多い。
死んだら聖人や正直者になると思う?
アナタと同じ嘘つきなんだぜ。

「私は○○よ」
少しミエを張って、有名な名前を出す。
「ワシは織田○○の家老だった」
「私はある武家の奥方だったわよ」
人間には判断できないものね。

海外ではナポレオンなどが多い・・・。
日本は有名な武士かお姫様が好きみたい・・・。
知られていない山の中の「くま」や「とめ」などと名乗らない。
(昔は武士以外で苗字は通常は無い・・・)
霊が名前を言う理由、お分かりだろうか?
名前を言ったら、嘘だと思っていい。
(嘗て○○と呼ばれていた事がある、という言い方はある)


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名・2

2005-06-28 20:55:45 | Weblog

氣功は多くの種類がある。
細かくいえば、全て違うといっていい。
人を転がす氣功もある。
エネルギー注入!みたいなのも多い。
病気や殺気や荒れた氣功もとても多い。
体や心に有効も害もある。
人の気持ちと同じ種類があるのだ。

無条件に信用するな。
無条件に疑うな。
当たり前の目で人を判断してくれ。
基本的には普遍的なモノだと思っている。
誰だって使えて当たり前なのだ。

故御師匠様の氣功は浄化を中心としている。
それを医療・健康関係に応用している。
病(闇)の浄化(調和)に必要な場合、
霊が浮かび上がる事がある。
そのケースに必要だから出てくるだけだ。
霊を媒体(必要)とする霊能者とは違う。

霊が関係する病は意外に多い。
しかしその度に出現するわけではない。
何も言わず、浄化される場合の方が圧倒的に多いのだ。
やたら霊を出現させる人は、未熟か歪みだと思う。
ワシは「あまり近づかない方がいい」と助言する。
この世にはこの世のルールがあるのだ。

ワシも話せる相手以外には話さない。
霊が関係していても、黙って浄化する。
そんなモノに気づかなくてもいいのだ。
気づく必要があるのは霊の方だ。
生身の人間が必ずしも知る必要がない。

時々出てくるのは、我々にメッセージがあるからだ。
それ以外は、よほど激しい性格でなければ出ない。
生身の時よりも、控えめになるようだ。
結構、生身の人間に気を使っている。
まぁ・・・肉声が通常は使えないからなぁ・・・

故御師匠様は魅力的だった。
だから霊もつい出てきてしまう。
(浄化の)お礼も言いたいようだ。
ついでに世間話も少しはする。
(浄化力が強いから嘘は無くなる)
それが側で聞いているワシ等に学びとなる。

生身と霊の違い。
一番大きいのは「名」だろう。
性格の良さも悪さも同じだ。
頭の良さも悪さも同じだ。
執着心もアキラメ心も同じだ。


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名・1

2005-06-27 17:59:04 | Weblog

故御師匠様がいた頃だ。
氣功をすると浮かび上がるモノがいる。
嘗て人間だったモノだ。
霊とか魂とかいわれている。
肉体が無い意識体だ。

肉体が無いだけで、あとは変わらない。
見えないけど人間と同じだ。
多少、根性が歪んでいるのが多いが、
現実の人間だって大して変わらない・・・。
むしろ生身の人間の方が性質が悪い。
実際に害を及ぼすのは生身が圧倒的に多いし大きい。
霊よりアナタの方が怖い・・・。

故御師匠様はひょうきんだった。
そして優しかった。
霊と生身の人間を差別しなかった。
普通に話しかけていた。
霊も普通に答えていた。
側で聞いているワシ等もいつしか違和感は無かった。

故御師匠様は霊をイジめる事はなかったが、
時々、からかう事はあった。
もっとも普段から冗談は欠かさなかったから、
特別に、からかったわけでもなかったが・・・。
冗談相手でも霊を差別しなかっただけだ。

師匠「お前、おばけじゃないのなら、名前言ってみな」
おばけ「・・・・」
師匠「どうした?」
おばけ「・・・わ、忘れた・・・」
(言葉につまる霊は・・・可愛い)
師匠「ハッハッハ」

ある時、ワシ等にこんな事を教えてくれた。
「おばけ(親しみを込めてこう呼んでました)は、
名前を聞いても答えられないんだよ。
名前は肉体側に付くようだな」
この意味の深さに気づくのは10年後だった。

「名」がモノを決める。
「名」がモノの結界を表す。
「名」がモノを縛る。
いろいろな表現ができるが、
結界が定まらないモノに名はつけられない。

人の本質体は名前が付けられない。
結界が定まらない。
本質体の限度は無いようだ。
我々の未来は果てがないようだ。


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活かす・5

2005-06-26 21:42:29 | Weblog

根性無しのノラ犬が彷徨って棒に当たった。
棒は氣功師に変化する菌を持っていた。
ノラ犬は菌に侵された・・・。
(可愛いメス犬に犯されたかった・・・)

棒や石が無い道もある。
棒に当たらぬ歩き方もある。
しかし当たってしまったらアキラメよう。
何故だ~と叫んでも、もう遅い・・・。
原因探しは解決にならない。

根性無しだからモテない。
この世は力(金や能力)か根性の有る者がモテる。
「アナタって(有るから)素敵!」
持てないから、モテない。

この世は逆ギレだってある。
モテるのは・・・うっとうしい。
モテれば・・・メンドウじゃないかぁ!
持たない生き方だってある。
(モテないと持たないでは違うが、
そんな些細な事を気にするような男は嫌いだ)

持てない、持たない生き方であっても、
必要なモノは必要だ。
それなら「活かす」事をすればいい。
持てないから「活かす」。
持たないから「活かし合う」。

モテないノラ犬だからできる事がある。
適職だし、天職だ。
持てない体だから、天職でも食えない。
持たない生き方だから、適職でも貧しい。
(適職や天職は必ずしも社会的に安定しない。
が、長く続ければ感謝してくれる人は増える)


それでも結構幸せだ。
苦労は本妻と愛人と子供が引き受けてくれる。
ワシは・・・ラッキーだ。
来世はワシが恩返しをしよう。
一応、する予定でいる・・・。
忘れてなかったら・・・ね。

ノラ犬でも活かしていただく存在だ。
この世にいる限り少しは役に立とうぜ。
「活かし合う」を軸にすれば、大抵何とかなる。
何とかなれば・・・何とかなる。
(日本語になってねぇ・・・)

生命は活かすと活性化する。
(字、そのまんま・・・)
加えるわけじゃない。
(でも、固定概念でこう思っているよね)
病からの回復に大きなヒントになるだろ。


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活かす・4

2005-06-25 20:52:39 | Weblog

自分で書いておきながら一日で厭きる。
昨日の文章の内容だ。
余計なお世話はしたくない。
病み人の為という名分があってもだ。
お節介な分は、ワシの未熟分だなぁ・・・

パワーに魅せられた人達と合わない。
荒れた波動を求めると肉食獣の臭いになる。
根性無しのワシは逃げだすのだ。
積極的に撒き散らされるのは迷惑だが、
この世は様々な生き物で成り立っている。
まぁ・・・しょうがないかぁ・・・。

気分一新。
天真爛漫。
浮雲流水。
浮気公認。
ジタバタしても死ぬ時は死ぬ。

「活かしてくれる存在」と、
「活かされている存在」
「活かしあう力」と
「活かし合うシステム」
神様は・・・優しいなぁ・・・

右手と左手の合掌。
生命即神

龍村道場での学びが甦る。
そして新たに気づく。
故沖先生(沖道ヨガ)の言葉が輝る。
そうかぁ・・・
ヒントはヨガ(結び)だったんだなぁ。

最初は意味がわからなかった。
その後、ある段階で理解した。
そして、今回、別の段階で気づいた。
気づかされた。
合掌。

深い言葉は多重構造になっている。
参ってしまうよね。
解放だけだと気づき難い時もある。
緊張(歪み)から解放で気づく時がある。
ヒネクレているなぁ・・・

今回気づいた「生命即神」
ワシの(プロ)仕事に即応用できる。
合わせ、結び、融合する。
厳しい状況の人が多いのだ。
何とかするのが仕事だ。
一つでも多く未来は増やしたい。


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活かす・3

2005-06-24 19:25:25 | Weblog

生命力を特殊な力で活性化する方法がある。
(自然でなく、人為的にという意味だ。
しかも自分の生命力のみを上げる方法だ)
古代から伝えられてきた。
だが、通常の人間がしてはダメだ。
廃人になるのがオチだ。

「俺は通常の人間じゃない。
修行を積んだ。選ばれた人間だ。」
手を出す輩は、皆そう言う。
だから・・・通常だっちゅうの!
自分だけが上がる修行は落とし穴。
だから・・・通常だっちゅうの!

まぁ・・・廃人になるだけならいいけど・・・。
時々狂人になる。
それが困る。迷惑だからだ。
多少特殊な力は付くが、暴走させてしまう。
コントロールは最初から出来ていないのだ。

長年、妖しい世界を彷徨っていた。
不マジメだったから、入り込まなかった。
それがワシの「いのち」を救った。
「いいかげん」が守護してくれていた。
「いいかげん」だったから、守護するモノがいた。
だから、危ない方法も少し知っている。

精神世界を修行する者は、ほとんど落とし穴にはまる。
趣味なら勝手にしてくれ。
マゾが悪いわけじゃない。
暗い穴が好きなら、ず~と修行してればいいさ。

その中で「生命」に手を出す者がいる。
「活かされている存在」という認識が無い者だ。
生命力に属したパワーを身に付けるつもりらしい。
魔に魅せられて、愚になる・・・。

身に付くのは、ゴミかホコリか霊かミエくらいなのに。
身から解放する事を忘れているなぁ・・・。
力は付けるものじゃない。
「活かす」ものなのになぁ・・・。
「活かす」には解放だぜ。
方向が逆だ・・・。

非難もしないし、説得するつもりもない。
素直な耳は途中で落としただろうし・・・。
余計なお節介だと自分でも思う。
勝手にパワーとやらを身に付けてくれ。

だが自覚なしのハッタリは騙す道具になる。
騙されて泣くのは、病み人だ。
それが・・・困るのだ。
ワシはプロだから、病み人の味方だ。

二匹の眠っている蛇は、
今の人間がつっつく相手じゃない。
(心当たりがあるマニアック用の文章です・・・
一人でも目が醒めてくれればなぁ・・・)


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活かす・2

2005-06-23 16:05:16 | Weblog

活かされている。
活かされていた。
ここに気づくと何も言えなくなる。
手を合わせるのみになる。

ギリギリで生命と付き合うと、
理屈は消えてしまう。
理屈で理解できないのだ。
何が起こるかわからなくなる。
経験も体験も役に立たない。

生命は人間を超えた管轄だ。
それだけは感じる。
だから、いつも、未来はわからない。
だから、いつも、希望が持てるのだ。

絶望を宣言するドクターがいたら、
そのドクターは愚かだ。
生命を理解できると思い上がった愚か者だ。
立場からの意見と絶望宣言は違うだろ。

ケンカをするつもりはない。
(トラブルは苦手だしドクターは権威がある。
権威が威張ると、メンドウだ・・・。
簡単に謝ります。ゴメンなさい・・・)
ワシは生命は理解できぬが、
愚かな人間は判断できるぜ(と独り言)

ワシも人一倍愚かな人間だ。
だから予想もしてしまう。
だが、予想が外れる事も知っている。
ワシは愚か者だと知っている。
正しさを判断できるとは思っていない。

ワシの仕事は正しさを知らせる事じゃない。
生命力の活性化だ。
未来は判らないが、今すべき事は判る。
活性化の手段も持っている。
理屈は解らなくても、使えるのだ。

ここにきて、何となく納得する事がある。
何で、ワシだったのかと。
「いいかげん」で根性無しのワシが、
何で、今の仕事が天職なのかと。

立派な人では・・・向いていないのかも。
生命を応援するのは、根性無しが向いているのかも。
理解する事をアキラメるタイプが向いているのかも。
マジメだと生命力が抜けてしまうのかもね。

何だかなぁ・・・
いいのだか、けなされているのだか判らんが、
兎に角、しょうがない。
何時、どうになっても、嫌じゃない。
これに関してなら、辛い事が嫌じゃない。


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活かす・1

2005-06-22 19:44:35 | Weblog

「い、いく~!」
「ふっ、いかせたぜ!」
という興味ある妖しげな言葉ではない。
それを語るにはワシでは役不足だ。
ワシは半元気なオッサンだぜ・・・。
自慢じゃないが、イロ事には疎い・・・。

ワシはとても不マジメなのだが、
ワシの御師匠様達がマトモだった。
残念?ながら、多少の影響は受ける。
ワシのような半端者でも影響されてしまったのだ。

生き方として不マジメを修正する気はないが、
「いいかげん」だからマトモも入る。
不マジメとマトモの「結び」もヨガだ。
マトモだけの存在は信用おけない。
綺麗事だけ言う人は胡散臭い。

逝かす(死ぬ~というからこの字かな?)でもなく、
イカス(ナイス?)わけでもない。
もちろん、イカの酢漬けでもないぞ。
「生命を活かす」というマトモな意味だ。

そんなの・・・面白くないよね。
それを何とか工夫して面白く書くのがワシの役目だ。
だが・・・ほとんど失敗している。
お笑いの道は遠い・・・。

世界の観方はいろいろある。
「これが正しい!」
と力むと、歩き方がギコチない。
自然体で歩けなければ、道は外れる。
正しさにこだわると、道を外しやすいのだ。

そんな観方の一つに「活かす」がある。
「生命を活かす力」がある。
「生命を活かしてくれる存在」がある。
生きとし、生けるモノ達は、
活かし、活かされて、生きているようだ。

生命を科学的にとらえる、現代の大きな欠点。
つい、習慣的に理屈で理解しようとする欠点。
生命を理屈で理解しようとするのは、
大きな、大きな「愚かさ」なのだ。

活かし、活かされる。
活かし合う仕組み。
活かされる存在。
この感性が欠けていては「生命」に近づけない。
(解らん人には何をいっても解らんよね・・・)

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富豪・2

2005-06-21 19:20:09 | Weblog

由緒正しい貧乏道宗家某亜流の末裔だ。
億の金くらいで性格が変わるわけじゃない。
ワシは筋金入りの「いいかげん」な性格だ。
富豪にふさわしい生き方なんぞできるわけがない。
今までと同じ天上天下唯我独善だぁ。

銀行という、うっとうしい「縁」が切れたのだ。
「金でつながる縁」は、うっとうしいのだ。
ワシが富豪という理由で近寄るならば、
間違っても「縁」は結ばないぜ。
ワシは今までの縁だけでも充分幸せだ。

一夜にして富豪になったのだ。
一夜にして貧乏に戻って不思議はない。
お世話になった友人知人愛人達がいる。
金でよければ、持っていってくれ。
「感謝の氣」は込めてある。

たかが金でも役に立つ。
気持ちを込めれば役に立つのだ。
たまには富豪も悪くない。
笑顔が増えるのは、悪くない。

ワシのライフワークは生命の活性化。
生き方が富豪で変わるわけがない。
富豪でも貧乏でもワシの仕事は同じだ。
生命が喜ぶことは、生命との交流だけだ。
富豪や貧乏はオマケみたいなものだ。

いつでも崖っぷちを歩いていた。
ワシのようなタイプは安全が苦手なのだ。
広い道は飽きてしまう。
だから、この仕事をしていける。
安全を求めるなら、この仕事は無理だ。

「いつでも命懸けだぞ」
故御師匠様の言葉が理解できる。
ダラシナイしナマケモノだから出来る。
崖っぷちを歩いて、一人前が保てるのだ。
富豪で安心できるほどマトモじゃない。

そうかぁ・・・
ワシ・・・マトモじゃないなぁ・・・。
本妻さん、ゴメンネ。
愛人さん、ゴメンネ。
ワシは、危ない道が好きみたい・・・。

由緒正しい貧乏道宗家某亜流水上一族の末裔だ。
富豪になるのが恥ずかしいとは思わないが、
富豪であっても崖っぷちから綱渡りで歩きたい。
いつでもギリギリで生きていたい。

ふと足元を見ると、まだ綱の上だった。

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