水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「こう・31」

2009-09-30 22:59:35 | Weblog



行の項(こうのこう)

自分に戻る。
自分を観る。
それを行(ぎょう)ともいう。
修める為の行を修行という。

だが修行と称する事は多分にアヤシイ。
修行を口にする者はアヤシイ人が多い。
修行は個人的な内部の行だ。
アレコレ他人に指図するようなモノじゃない。

また精進と修行を混同する人も多い。
しかも、それが正しい道のようにいう。
稚拙か詐欺か勘違いか無知だと思う。
そんなことは、他に言うべきことじゃない。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・30」

2009-09-29 23:24:37 | Weblog



行の項(こうのこう)

幸への道。
最初から持っている。
最初から付いている。
そういう表現もできる。

だが、それに気づくまで道を行く。
気づいてからも道を行く。
青い鳥は、自分の家にいる。
だが、一度外に出ないと色の区別が出来ない。

色々な色を観て、色は判断できる。
そして、気づく。
な~んだ、青い色なら家の鳥だぁ~
道は、自分の中心につながっている。
それは、宇宙の中心でもある。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・29」

2009-09-28 21:24:04 | Weblog



行の項(こうのこう)

幸せは、歩いちゃ来ない。
だから、歩いて行くんだね。
どこかの歌詞だが、本質だろう。
幸は行によって、実現できる。

受身で幸が舞い降りる。
そんなイメージがある。
幸をある状態だと思うからだ。
幸を静的な状態だと思うからだ。

幸は歩いた行により育つのだ。
当たり前だが、意外と忘れがち。
幸は動的なモノなんだぜ。
幸を感じるのは、そこまで歩いたからだ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・28」

2009-09-27 20:33:23 | Weblog



行の項(こうのこう)

行。
「こう」とも「ぎょう」ともいう。
行く、という意味だ。
進む、という意味だ。
道に関係する。

道は歩いた後に出来る。
だが、歩く先にもある。
見えないが、方向はある。
未来という未知の道。
(ダジャレじゃないぞ)

未来の道は意思で決まる。
導かれて決まる場合もある。
いずれにしても、行かなきゃ道はできない。
諦めて止まれば、道はそこで途絶える。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・27」

2009-09-26 22:36:40 | Weblog



交の項(こうのこう)

淡の交わり。
お互いの個を尊重する。
お互いの生き方を尊重する。
すると、淡という交わりになる。

水の如く。
淡ではあるが、水の如く。
相手の邪魔はしないが、表面の交わりではない。
尊重というのは、深い理解があるからだ。
理解していても、淡の付き合い。

大切だからこそ、淡の交わり。
水の如く交わるから、深い。
いつまでも、仲間。
必要なら、いつでも傍にいる。
だが、特に何もしない・・・
それが、交淡如水だ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・26」

2009-09-25 10:31:59 | Weblog



交の項(こうのこう)

交わる方法。
交わる型がある。
良悪はない。
それぞれの状態、立場、目的による。

ワシ的にオススメの方法はある。
理想というほど遠くない。
いつでもできるわけでもない。
だが、楽なのだ。
お互いが楽なのだ。

「交淡如水」という。
交わりは淡く、水のように。
この意味は深い。
淡い、に意味がある。
水の如く、に意味がある。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・25」

2009-09-24 23:05:02 | Weblog



交の項(こうのこう)

他と交わる。
他と接触。
違いの認識。
それらは自由に向かう。

ならば縁も同じだ。
何故、縁があるか?
因果との関係だと思ってしまう。
まぁ、それでいいけど・・・

因果を過去、現在に絞ってしまう。
すると、自由に結びつき難い。
因果は未来の為に存在する。
すると、自由に関係する事がわかる。
縁は、自由になる為のシステムなのだ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・24」

2009-09-23 18:41:13 | Weblog



交の項(こうのこう)

交の意味。
交の目的。
交の存在理由。
交の効能。

違いを体験する。
その違いを受け入れる。
違いが解ける。
解けた分だけ広がる。

広がりは自由度と比例する。
自由は幸の一面。
解かす能力は柔らかさ。
柔らかさも自由度だ。
交は自由に貢献していたのだ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・23」

2009-09-22 22:13:47 | Weblog



交の項(こうのこう)

誰かと出会う。
何かと出会う。
お互いに影響を受ける。
お互いの違いに影響される。

人と人の付き合い。
人とモノとの付き合い。
この世での出会いの理由。
相手を理解すること、という概念があった。

それは、固定概念だった。
相手は理解しきれない。
自分も理解しきれない。
理解ではなく、解だけなのだ。
違いを解かす為の出会いだった。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・22」

2009-09-21 23:53:15 | Weblog



交の項(こうのこう)

交わる。
個と個だから交わる事ができる。
交わる点、あるいは面に違和がある。
違和はそれぞれに影響する。

それまでの自分(個)と違うモノ。
違和を受け入れる。
あるいは拒否する。
それにより、道の幅が広くなる。

相手(他の個)と解けるわけじゃない。
だが、違和は解ける。
その分、自分が広がる。
柔らかくなれる。
交はこの世の存在理由の一つなのだ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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