こごみ・ぜんまい・わらび・うど
さんしょ・たらの芽・あけびの芽
山ウリ・山ふき・かたくり・こしあぶら
うう・・・ヨダレが出そうになる。
合わせて、野のモノも採れる。
ふきのとう・つくし・野ふき・あさづき・ののひろ
更にワシの家のモノも採れる。
作っているとはいえ、ほぼ天然状態だ。
わさび・たけのこ
これが幸せでなくて、どうする?
ワシには今年89歳になる母様がいる。
ワシが今のような立場になったキッカケは、
母親の持病を美童(ワシ)の頃から見てきたからだ。
原因不明、治療法無し。
誰も何とかできないのなら、ワシが何とかする。
おぉ、なんと健気な美童だったのだろう・・・。
しかし、心は反動する。
ついに少々特殊な医療氣功師になり、何とかしたが、
健気は胡散霧消し、氣功時以外はナマケモノになった。
ついでに美童は怪しいオッサンになった。
時は「空ろ氣」なんだ・・・。
その御母堂が言った。
(一応、ここまで生きている事実に注目ね)
「山菜は人が手を加えないから素晴らしい」
何気なく言った言葉だからこそ含むモノがある。
ワシは(ヒマだから)考えた。
ワシは「生命」を土台にし、
「調和」を方法として仕事をしている。
ワシが山菜に魅かれる理由。
年とったからだ、では淋しすぎる。
何とか屁理屈を見つけたかった・・・。
人が手を加える自然もあるが、
人が手を加えない自然とは違う。
加えない自然は「大調和」で創られる。
そうなのだ。
山菜は「調和」で育ったモノだ。
時期もある。
春。
生命が疼き、発生する季節。
生命力というのは、流動する力だ。
残っている力じゃない。
春の山菜は「生命力」と「調和」の恵みだ。
ワシが魅かれないはずがない。
理屈なく、生命が美しいと感じるように、
理屈なく、春の山菜は美味しいのだ。
(本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間・氣功療法院」