水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「母のこと・37」

2011-08-31 18:34:51 | Weblog



双方とも軍人だけではとても足りない。
義勇軍、民間兵として、多くが参加した。
自分の住んでいる土地が全て戦場だ。
参加せざるをえない状況だ。
同じ民族同士の争いだ。
誤解があっても憎しみは増えるだけ。
激しい感情で、残虐な行為がいたるところで行われた。
戦争では、狂気が日常茶飯となる。
それは、休戦後も続いた(終戦はしていない)。

南軍も北軍と同じ過ちを犯す。
調子に乗り侵攻しすぎた(太平洋戦争の日本も同じ)。
ここで中国軍(義勇軍として)が北軍側として参戦。
人命を無視した(戦争は常に人命を無視している)人海戦術。
1951年1月には、再度ソウルを占拠する。
そして、またもや、幾つもの住民虐殺が行われた。

北軍は、再再度の侵攻し過ぎで反撃される。
(いいかげんに学ぶという事ができないのかなぁ・・・)
3月に南軍が再度ソウル奪回し、ようやく38度線で膠着する。
尊い人命と大地と文化物と精神と理性とを壊し続けただけだった。
そのまま、休戦という形で現在に到っている。
朝鮮半島の南北の戦いは未だに終わっていないのだ。

        
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
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「母のこと・36」

2011-08-30 20:03:08 | Weblog



朝鮮半島は1950年から3年間、全土で戦場となった。
最初は圧倒的に軍備で勝る北が有利に侵攻した。
南首都ソウルも陥落し、韓国軍は敗退に次ぐ敗退。
ほぼ全土を北朝鮮軍が占め、韓国軍は全滅目前だった。
慌てて国連は多国籍軍を作り(17カ国)韓国を支えた。
だが、それでも北朝鮮軍が有利だったのだ。

ところが、今でも謎とされている空白の3日間がある。
何故か北朝鮮軍は3日間、進軍を止めて何もしなかった。
この3日間で韓国・多国籍軍(アメリカ主軸)が立ち直った。
多国籍軍とはいえ、アメリカ軍は韓国軍の倍の兵力だった。
そして勢力を盛り返して北軍を追いやり、ソウルも奪還した。
双方とも民間兵を募り、全部の人と土地が戦争に巻き込まれた。

更に調子に乗った南軍は北上を続け、北首都ピョンヤンを占領。
逆に北軍を北山間部まで追い詰めた。
当然、戦争で感情に狂った双方の人達は、残虐な行為を繰り返す。
南北のとても多くの民間人が無残にも惨殺されていった。
戦争は狂った状態だから、理性などあるわけがない。
軍は自他国に係わらず、国民を守るはずがない。

        
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「母のこと・35」

2011-08-29 21:13:43 | Weblog



戦争の当事者、あるいは煽る影の当事者達の言葉は同じ。
我々は、正義の為に戦う。
我々は、平和の為に戦う(巨大矛盾だろ・・・)
我々は、幸福の為に戦う。
・・・あまりに、変だろ。
当たり前の判断さえ出来ない状態だから戦争になる。

そして、終戦してからの不幸と苦しみは広がり、続く。
戦争は終わっても、苦しみや不幸は終わらないのだ。
苦しみ、悲しみを伴うと、負の感情が増幅する。
利害に感情がからみあい、平和に解決することはない。
唯一つ、戦争をしない事が最良の選択なのだ。

朝鮮半島は、更に激化した。
二つの政権が、それぞれ立国宣言した後に統一しようとした。
昭和25年(1950)、北朝鮮軍が38度線を越えて侵攻した。
宣戦布告はなかった。
この年に、長女(姉)が生まれた。
こうして書き始めてみると、あらためて思う事がある。
母は本当に激動の時代を生きてきた。
そして私の兄姉達は、すごい時代に生を受けた。

        
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「母のこと・34」

2011-08-28 19:57:56 | Weblog


今日の独善つぶやき・・・

母の49日法要をした。
満願日は9月2日だが、法要だけ前倒し。
満願日には身内だけで納骨する。
一応、これで法事関係は一段落となった。
お見舞いに来てくれた人、ありがとうございました。


「母のこと・34」

戦争は国際戦争だろうが内戦だろうが不幸しか生まない。
ハゲタカのように利益を求め、戦争を煽る国も不幸になる。
一時的に儲かる企業と、それに連なる政治家がやりたがる。
主義の違いからの戦争も、利益がらみがホンネだ。
朝鮮戦争はイデオロギー戦争の体をしているが、ハイエナ戦争なのだ。

同じ民族、同じ国土で、二つの政権があるのが朝鮮半島。
二つの国が隣り合わせにいる半島ではないという立場だ。
戦争は全て不幸と苦しみだ。
更に、同じ民族同士、親戚さえいるのに分断され争っている。
それも、他国の干渉から始まり、未だに続いている。

昭和23年(1948)二つの政権はそれぞれ立国宣言をする。
南半部の資本主義陣営、大韓民国は首都をソウルに。
北半部の共産主義陣営、朝鮮民主主義人民共和国は首都ピョンヤンに。
一つの国が、未だ統一されていない状態だと双方が思っているのだ。
(実質は通称、北朝鮮、韓国の二つの国という扱いだ。)

同じ頃、同じような構図で中国も同じ民族同士で争っていた。
そして昭和24年(1949)に共産陣営が勝利する。
敗れた資本主義陣営は、台湾に脱出し中華民国を宣言している。
ここも、未だに一つの国が統一されていない状態だと主張される。
主張しているのは、通称、中国(中華人民共和国)の方だ。
どうやら通称、台湾(中華民国)は、独立したいようだ。

        
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「母のこと・33」

2011-08-27 20:30:16 | Weblog



昭和22年(1947)には憲法が施行となった。
制定された11月3日は「文化の日」として祝日に。
施行された5月3日は「憲法記念日」として祝日に。
だが、まだアメリカの占領下でのことだ。
混乱と貧困の日々は続いた。

その頃、朝鮮半島も混乱、動乱が続いていた。
日本が敗戦を認め、支配していた朝鮮半島を手放した。
そこに、各国(米・ソ・中・その他)が押し寄せた。
戦争は強奪の場でもある。
朝鮮半島は、勝利国軍の餌食とされた。

そして、38度線で南北に分断される。
ソ・中軍は共産勢力軍として北半部を後押しした。
アメリカは反共勢力として南半部を後押しした。
同じ民族でありながら、争いは激化していく。
戦争は、日本が手放しても苦しみの悲劇は続くのだ。
戦争は悲劇の花しか咲かない。

        
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「母のこと・32」

2011-08-26 19:53:31 | Weblog



占領下の日本ではあるが、独立国への準備が進む。
一年後の昭和21年(1946)11月3日、日本国憲法制定。
ここに初めて成人なら誰でも選挙権が持てるようになった。
実質はともかく、国民主権という意味だ。
そして、実質はともかく、平和主義を謳った9条も・・・
敗戦になり、実質はともかく、マトモな方向となった。

そんな憲法制定の一ヶ月前、三男を出産する。
相変わらず、数組の家族が居候している。
頻繁に乞食も来る。
都会で空襲にあい、孤児、難民となった人達だ。
田舎は田畑から食べ物が採れるから、都会から流れて来るのだ。
当時は都会より田舎の方が裕福(とはいえないけど)だった。

母はそれらの人達に分けてあげられるだけのモノを持たせた。
食べ物、着る物、時に子供達には本なども。
「大変な目にあったのは、同じだもの・・・」
お互いが助け合わなければ、過ごしていけない。
何もかも無くなった日本だ。
生きている人達同士は、助け合って、どうにか日々を暮らした。

        
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「母のこと・31」

2011-08-25 19:07:15 | Weblog



終戦になったが、日本はアメリカによる占領下だ。
独立国家ではない。
一応、7年後の1952年に主権回復し独立する。
だが実質は今でもアメリカの占領下だ。
アメリカの命令なら、今でも国民も国土も売り渡すだろう。
日本の政治家はアメリカの下男なのだ。
(異論があるなら、対等に主張してね。
最近は、中国の下男も兼ねているというウワサが・・・)

日本為政者のあまりに無謀な戦争が引き金だったのは間違いない。
だが、あきらかに瀕死状態は理解したうえでのアメリカの行為だ。
民間人の暮らす都市への焼夷弾による絨毯爆撃。
民間人そのものへの人体実験を兼ねての原爆投下。
世界でも類を見ない残虐な行為に対して、独立してからも抗議していない。

それどころか、当事者に勲一等の表彰までした日本の政治家達だ。
アメリカに忠誠を尽す下男よりひどいと思うよ。
ロシアに対しても、抑留者への残虐な扱いに抗議どころか調査さえしない。
戦争は間違いだが、命令して実践させたのは為政者だ。
勝利国へキチンと抗議できて、初めて独立国といえる。

        
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「母のこと・30」

2011-08-24 20:19:24 | Weblog



我が家は残ったが、何も無い状態からの出発は同じだ。
意外にも、父は無傷で帰ってきた。
もちろん補償などあるはずがない。
他国で殺し合いをした償いさえマトモにしていない国だ。
自国でさえ、無視されている犠牲者が多数いる国だ。

この山郷にも疎開してきた人達、家が無い人達も多くいた。
我が家は造りは大きいとはいえ、半分の古い民家だ。
明治20年頃に建てられたものだ。
そんな我が家に、4家族が間借りしていたという。

外屋といって、外壁に片屋根をつけ、トタンで囲った空間。
そういう場所にも、間借りしていたらしい。
(どうやら、貧乏には違いないが、我が家は家主側だった・・・)
何もなくても、毎日の暮らしがある。
腹も減る。
混乱、混合、雑多な日々だったろう。
母は病弱を片隅に追いやって、毎日をこなしていた。

        
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「母のこと・29」

2011-08-23 20:32:17 | Weblog



国土も物資も人の命も犠牲にして終戦した。
昭和20年8月15日だった。
母、29歳の時だった。
中国、東南アジアに出兵した人達の終戦はもっと後だ。
ソ連軍に捕虜抑留された日本人は軍民合わせて80~110万人。
記録があいまいすぎて実体がつかめない状態だった。

過酷な労働、虐待での死者は34万人といわれている。
(日露で交わした公式死者は6万人。
双方の政治家の卑怯な利害が一致し、公認は極少となる。
実質は、その後の研究で34万人以上が犠牲者だ)
10年以上経って帰国した人の終戦は20年8月ではないのだ。
(戦争犠牲者は、330万人より遥かに多く増える・・・)

このブログを書くのに、犠牲者数などを調べた。
すると日本はもちろん、各国の為政者達の卑怯ぶりがうきぼり・・・
犠牲者数の誤魔化し、キチンと調べない無責任、他国との口合わせ。
国民を戦地に置き去りにし、犠牲にし、知らん顔を未だに続けている。
調べるほど、ビックリするほど無責任ぶりがみえる。

未だに葬ることさえされてない犠牲者。
その家族に対する補償も、知らない振りを続けている。
国を守れ、といいながら、為政者は国民を守るつもりはないようだ。
政治家でいるなら、過去とはいえ、責任を果たせよなぁ・・・
どの政党でも政治家は皆責任者だぜ。
だから、どの政治家も卑怯者だ。

        
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「母のこと・28」

2011-08-22 18:42:46 | Weblog



双方の国の為政者達による人災。
自然災害より遥かに大きいのだ。
そして今も平気で正論のように軍備をする。
正論のように原発を推進する。

原爆と原発は違う、なんて卑怯を言わないでね。
原爆も原発も平和の為に使う、という為政者の言だ。
大きな被害と苦しみを生むのは、同じ。
コントロールできない仕組みは、全く同じなんだよ。
それでも必要なら、大都市に作ろうね。
国会議事堂に付けて作ろうよ。
人命より経済をとる専門家達も原発と共に住もうよ。
推進者が場所に反対するなら、卑怯者だぜ。
今回のフクシマも為政者による人災だ。

全体で死者330万人(推定)の人災犠牲者。
負傷者数え切れず。
伴う家族の苦しみも推し量れない。
家屋、ライフライン、職、食、その他の壊滅。
まさに日本はどん底で、やっと終戦になった。
もう戦争はしなくていい、という光だけあった。

だがこの光は、本来は当たり前の光だった。
戦争など、しないのが当たり前なのだ。
だから為政者は特別でなくていい。
当たり前が理解できる人でいいのだ。
○○の為に一所懸命やります、なんていらない。
(一生懸命できる人間はいない)
当たり前が理解できれば、弱い立場からの為政ができる。

        
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