水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「テーマ・21」

2008-11-30 19:50:20 | Weblog



生きていたテーマ。
つい、社会的に認められるのがテーマだと思ってしまう。
それは考え違いだ。
社会的というのは胡散臭い。
見得や驕りの臭いがする。

家族は社会的じゃない。
個人的な事だ。
だからテーマとなるうる。
仕事での業績などテーマじゃない。

個人的なテーマが社会に認められる事はある。
だが、自分勝手の仕事なのだ。
それは本人が一番良く知っている。
周りの評価は綺麗事。
テーマは個人的なものなのだ。

                                 
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「テーマ・20」

2008-11-29 20:50:23 | Weblog



家族については、次の機会に書いてみよう。
家族や一族は深いモノがある。

家族といっても対象がいる。
夫婦の場合。
子供の場合。
親の場合。
義父母や義祖父母の場合。
兄妹や義兄妹の場合等々。

病がキッカケで気づく。
変える、修正する。
簡単じゃない。
だから、一生のテーマになりうる。

                                 
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「テーマ・19」

2008-11-28 23:19:57 | Weblog



この世は個と個の関わり合い。
自と他の関わり合い。
特に深く関わる、他の個。
濃く関わる、幾つかの個。
それが家族という関係で顕れる。

家族は血縁を含む。
全くの他の血も含む。
結婚は通常は他の血との関わりだ。
血縁と他の血との混合が家族。
理想はその和(調和)だろう。

血縁はDNAを通じて、過去と関わる。
過去の他の個と繋がる。
その縁と影響は大きい。
御先祖様、という関係だ。

                                 
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「テーマ・18」

2008-11-27 22:47:40 | Weblog



病本体がテーマになる事がある。
だが、病を通じてテーマが浮き出す方が多いと思う。
例えば、病を通じて家族がテーマ。
誰かしらの病によって「家族」を見直す。

ワシの極めて狭く小さな経験と見識だ。
「家族」をテーマにしている人は多い。
「家族」には多くの大切なモノが含まれている。
気づき、築く為に病が媒体になる。

家族は大きく深く多くのモノを内蔵している。
だが、無条件で仲良く、上手くする事とは違う。
テーマは、個々の魂を和らげ広げる為にある。
家族という形を整えるのが目的じゃない。
家族愛を強調するのは、何か歪な感じがある。

                                 
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「テーマ・17」

2008-11-26 22:55:19 | Weblog



テーマは最終的には幸せに貢献する。
社会的な意味じゃない。
個人的な幸せだ。
魂のふくらみだ。

だが、一見、壁。
出来れば・・・避けたい。
根性のある人ばかりじゃないのだ。
出来れば・・・逃げたい。

逃げても、その人のテーマだ。
影と同じだ。
別の形になっても、必ず付いている。
目の前なら、見ないわけにはいかない。
ならば、見るしかないかぁ・・・

                                 
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「テーマ・16」

2008-11-25 22:49:22 | Weblog



事情や背景など、ワシは聞かない。
原因は解っても解らなくてもいい。
この状態を変える(未来)。
過去(原因)より現在を優先する。
今を変えるのが先なのだ。

ワシからは聞かないが、勝手に話す。
話す話は聞く。
複雑や深い闇(病)を抱えた人。
そこには「テーマ」と関わる場合が多い。
どうやら、その人の「テーマ」が関係している。

一見壁に見える。
だが、壁とは違う。
壁は障害物だ。
テーマは仲良くなるモノ(相手)だ。

                                 
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「テーマ・15」

2008-11-24 19:26:47 | Weblog



中々回復しない病。
長く患っている人。
他で変化がなかった人。
原因不明、治療法不明。

そういう人を対象にしいる。
もちろん、特に問題のない人も来る。
より健康、より若返り。
本来なら、そういう人を対象にしたい。
だが、そうもいってられない。
他にアテが無いなら、一度来てくれ。

患者じゃない。
病人でもない。
クライアント(依頼者)だ。
依頼されて、何とかする。
そういう仕事をしている。

                                 
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「テーマ・14」

2008-11-23 20:43:17 | Weblog



何だか判らない。
それでもテーマを意識する。
意識は「氣」を集める。
意識をするのと、しないのとでは大違い。

自分のテーマが何であるか意識する。
肩に力は入れない。
思い込まない。
それでも、意識する。

社会的貢献、などと思わない。
社会的ってヤツは人間世界だけのエゴだ。
どうせ小さな狭い未完成の人間だ。
意識くらい、もっと大きく広く持とうぜ。
その上で、テーマは個人的な事なのだ。


                                 
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「テーマ・13」

2008-11-22 23:27:26 | Weblog



テーマは、
生まれた意味じゃない。
為すべき事でもない。
宿題でもない。
生きていれば充分合格だ。

生きているうちに、何か観える。
何か思う事がある。
自然に取り組んでいる事がある。
あるいは、何も出来ない事がある。
それが、テーマかもしれない。

出来る、出来ないの結果じゃない。
生きている上で、何か気づく事がある。
自分が何らかの役目をする事がある。
特別な事じゃない。
他からの評価も関係ない。

                                 
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「テーマ・12」

2008-11-21 11:06:07 | Weblog



テーマ(主題)といいながら副・・・
テーマといいながら、幾つもある・・・
突っ込み所満載・・・
この世は、そういう世界なのだ。
生真面目な固定概念は外そう・・・

テーマは一見自分では判らない。
他人でも一見判らない。
判る場合もある。
最後まで不明の場合もある。

だが、判断基準はある。
本来のテーマの「調和」の上で成り立つ。
簡単じゃない。
といって、壁とも限らない。
自他を活かす作用がある。

                                 
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