水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

霜降

2005-10-31 21:06:21 | Weblog


旧暦九月・中気 10/23頃
太陽黄経 210 度 。
(北国では)寒露が霜となって降りてくる頃。
紅葉が盛りになる。
アワテモノの葉は落ちる・・・。

時雨(しぐれ)る。
晩秋から初冬に降るにわか雨。
ワシの住む山岳地帯は北に谷川岳がある。
谷川連峰は分水嶺でもある。
県境連峰でもある。

ここでは「シグレる」と言う。
時雨は谷川岳から降る。
冷たい雨だ。
手前の山を越して降るから「吹越」とも言う。

ところで「しぐれ」さんは好きなキャラだ。
史上最強の弟子・ケンイチに出演している。
本名は「香坂しぐれ」。
あらゆる武器の申し子。
意識に色気が無い「色気」がある。

岬越寺 秋雨も好きだなぁ・・・。
哲学する柔術家。
馬 剣星もいい。
達人としての中国拳法家としてより、
スケベなオッサンとして好きだ。
(という一部にしかウケない話は置いておこう)

霜降(そうこう)を「しもふり」と読むと別な意味になる。
脂肪が網目状にある肉になる。
ギクリ!とするオナゴは数知れず・・・。
ま、まぁ、美味しそうという褒め言葉にもなるし・・・。

兎も角、今日で10月も終わる。
神無月も終わる。
集団で無礼講騒ぎ旅行の神様達も帰ってくる。
(公式発表では出雲へ会議と称した。
一ヶ月も会議はしないってば)

今回は海外に視察旅行だったらしい・・・。
それはそれでいいと思う。
神様だってアホな人間相手は疲れるだろう。
でも、お土産を持ってきてもいいのでは?
幸運の女神様をさらって来てくれんかのぉ。


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寒露

2005-10-30 21:23:55 | Weblog

旧暦の九月・節
太陽黄経 195度。
(春分の日を0度として一日1度。
15度・15日で節と中気の名がある。
故に24節気という・・・)

寒い露が降りる頃。
初秋・中秋の名月、十五夜も過ぎた。
晩秋である。
秋も終盤に入ったわけだ。

ワシは暑さ寒さに鈍感だ。
いつまでも半袖Tシャツでいる。
しかもバカだから風邪もひかない。
それでも、晩秋になると寒いと感じる。

最近は歳をとったと思う。
雪が降るまで半袖でいた頃もあったのに。
半袖から長袖を着るようになった。
寒さでムスコも縮んでいる・・・。
(ソ、ソレ、寒さのせいじゃないと思うぞ・・・)

菊の花が咲く。
十三夜(後の月)。
紅葉になる。
初冠雪。

群馬最北山岳地帯。
この時期からの山も綺麗だ。
紅葉の山もいいが、谷川岳がある。
途中で森林限界線を超えた山である。
木が生きられない山だ。

岩肌に雪。
晩秋の陽は陰影を濃くする。
厳しい自然を描く山だ。
荒々しい自然を魅せる山だ。

寒露は、甘露とは違う・・・。
自然は優しくもあり、厳しくもある。
いいかげんなヤツだ。


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あき・5

2005-10-29 21:01:06 | Weblog

アキラメ。
明きら目。
目が「開き(あき)」
心が「明き(あき)」

素直。
自然の理に素直。
(他)人に素直は素直じゃない。
それは「言いなり」

アキラメ(明ら目)は素直になる。
無理しない。
自然に逆らわない。
余計な努力はしないが、
努力出来ないわけじゃない。

我の無い人が聖人ならば、
聖人は素直じゃない。
自然体の人間は聖人じゃないのだ。
人間はワガママなのだ。
素直は自分と他人のワガママを受け入れる。
地球は多種多様なモノ達で成り立っている。

意志の強い人は素直じゃない。
社会的に評価される傾向があるが、
圧倒的に迷惑な存在なんだ。
アキラメが足りないからだ。
アキラメは「調和」を築く。

「空き」や「開き」や「明き」
ひらたく言えば・・・
ノーテンキのラテン系。
すぐ開くオナゴは素直・・・。
(そ、それでいいのか?・・・)

まぁ、何でもいいけど・・・
秋は、もう一つの世界を想う季節だ。
もう一つの世界を想う事。
それを冥想という。
(注:瞑想と混同しないでね)

今回は少々疲れていました。
「あき」からの連想もイマイチ。
愛人とゆっくり昼寝でもしたい・・・。
(しかも温泉付きなんて、どうかなぁ?
ん? 勝手に言ってろ! てか?)


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あき・4

2005-10-28 23:17:56 | Weblog

亜紀は憂鬱。
だって1キロ太ったんだ。
ダイエットしなくちゃ・・・。
メンドウだなぁ・・・。

亜紀は憂鬱。
元彼から頻繁にメールが来る。
ウゼェんだよぉ・・・。
アキラメの悪いヤツ、サイテー!

亜紀は憂鬱。
彼氏いない暦、1ヶ月。
アタシだって、時々は抱かれたい。
できれば・・・小遣いも欲しい・・・。
(お、おい!・・・)

亜紀は憂鬱。
週休4日の会社がいいなぁ・・・。
毎朝起きるのって、だるくない?
夜は遅くても平気なのになぁ・・・。

亜紀は退屈。
ヨガでもしようかなぁ・・・。
最近流行っているし・・・。
それっぽいって、いいよね~。

亜紀は窮屈。
パンツもブーツもピチピチ。
締めた姿を見せるのって、好き。
脱ぐと痕がつくけど・・・。

亜紀は偏屈。
AB型の人しか合わないの。
次男しか合わないの。
ワガママを聞いてくれる人しかダメなの。
お金持ちじゃなくちゃ・・・。

この世はヒネクレている。
「飽き」足らない生き方は、
「飽き」られてしまう・・・。
自分が飽きてるようで、
実は、飽きられているのだ。
まぁ・・・それでも、いいけどさ。


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あき・3

2005-10-27 22:07:08 | Weblog

「そこ、空いてますか?」
上越新幹線Maxとき304号東京行き。
声をかけてきたのは30代後半体育系イケメン。
ラッキー♪
好みのタイプだわ。

「どうぞ」
私は座席に置いていたバッグを膝上に移動した。
「どうも」
低く響く声も好みだわ。
ラフな格好をしているけれど・・・。
「あの~」私は思い切って話しかけた。

「はい」(う~ん、いい声♪)
「イキナリこんな事聞いてゴメンナサイ」
「なんですか?」
「どうして朝からここへ?」
「・・・・・」

男は一時黙って私を覗き込んだ。
そして爽やかな笑顔で言った。
「貴女と同じですね」
「そうなんだぁ~。じゃ、途中まで御一緒できますね」
「どうやら、もっと多くの仲間が集まるようですよ」

なるほど・・・
この車両だけ特に込みだしたようだ。
「でも、この座席が特等席です」
「私達、とてもラッキーですね」

とき304号は上毛高原駅に着いた。
そして数人の人達が乗った。
その中の一人が車両に入った瞬間!
声無き声がアチコチで上がった。

いかにも能天気そうな男だ。
もちろん、何も気づいていない。
小柄な能天気男は席に座った。
コンビニオニギリを一つ出した。
デイパックからお茶水筒を出した。
少しづつ、口に入れる。

「あぁ・・・溶けるようだわ」
「暖かい・・・」
能天気男は最初に座った男女の席に重なった。
そして、ゆっくりオニギリを食べている。
集まった存在達が消えていくのもわからないまま。

能天気男は知らない。
何の能力も無い。
だが、能天気故に「空き」があった。
額の真ん中と頭頂部に「空き」があった。
そこから光と響く声が流れていた。

ガーティガーティパラガーティ
パラサンガーティボディスヴァーハ


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あき・2

2005-10-26 22:19:41 | Weblog

喧騒の電車に乗り、
喧騒の駅で降りる。
そこも喧騒の街。
ふと見上げて気づく。
俺が動いているのは、谷の底。
ビルの谷間で毎日蠢く。

季節の無い街だと思っていた。
谷間から仰ぎ見る狭い空。
空は秋に変っていた。
「変れるんだぁ・・・」

辞める時は上司を殴る。
そう思っていたのに・・・。
笑顔で挨拶できるとはなぁ・・・。
ハッハッハ。
俺も変れるんだなぁ。

空は、理屈で変ったわけじゃない。
力で変ったわけじゃない。
夢で変ったわけじゃない。
時期が来たら、変っていた。

力を入れてた時は変れない。
理屈では変れない。
想像では変れない。
思っただけでは変れない。
笑顔で、変れる。

なんだ。
簡単だった。
時間がかかったけど、簡単だった。
全て必要だっただけだ。
そして、何も必要ではなかった。

気づいたら変った。
変ったら、気づいた。
空が秋だけじゃない。
風も秋に変っていた。
海も秋に変っていた。
コンクリートの下の土も秋だった。

なんだ。
みんな、一緒じゃないか。
気づかなかっただけだった。
いつでも、
変っていたんだなぁ・・・。


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あき・1

2005-10-25 23:01:07 | Weblog


「もうあきた、となりはいわてか、やまがたか」

う~m・・・我ながら秀逸である・・・。
ワシの庭にある谷川岳が初冠雪。
谷を降りる風が、イキナリ秋を連れて来た。
ワシ的には幸運の女神でも連れて来て欲しかった。

「肥ゆるアキ、春夏冬も、肥ゆる妻・・・。」

う~m・・・句としては写実的すぎる・・・。
ワシが壊れた句を詠む時は「反動」がある。
身体にダメージを受ける。
ワシはプロだからセルフヒーリングをする。

意識して、心をハチャメチャにするのだ。
これはある程度のヒーラーなら頷くはずだ。
心をある程度操れるなら、この方が速い。
身体の回復に心は邪魔をしがちなのだ。

身体のダメージは即座に回復しておくに限る。
そうでないと、後がメンドウだ。
ワシはナマケモノのヒーラーだ。
だから、ワシの心は常にハチャメチャ・・・。

「アキ付加し、隣のトトロは、メイ付加し・・・。」

う~m・・・こねくりまわしすぎだ・・・。
映画を知らないと、わからない・・・。

「水沢アキ、八代アキとは、別人だ・・・。」

う~m・・・深い真理が見え隠れする句だ。
名は同じでも苗字が違うと別人になる・・・。
名とは何か? 苗字とは何か? ふ、深い・・・。
春野アキとか秋野アキとかもいいかも・・・。
いずれにしても、アキで季語になるから楽だ。

「アキたのね、私の身体に、アキたのね・・・。」

な、なんだ! この句は・・・。
身体には春も夏も冬も秋も来るものだ。
だが、キミの存在は光だけなんだよ・・・。
アキはない!
た、ただ、ボクには眩し過ぎるから・・・。
さ、さようなら~。



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みる・5

2005-10-24 19:34:53 | Weblog

ナマケモノは更に図に乗る。
「みない」で済むなら・・・
「治さない」治療もあるだろう。
「治す」「治さない」はどうでもいい。
(い、いや・・・本人はよくないと思うぞ・・・)

この世の仕組みはヒネクレている。
「捨てる」と広がる。
「みる」「みない」にこだわらないと・・・
勝手に「観えて」しまう。
ワシはズルイと思う・・・。

「治す」「治さない」にこだわらない。
勝手に「治る」方法を求めている。
ナマケモノの治療師を目指している。
ワシもクライアントも楽な方法。
それが最速、最適だと知ってしまったからだ。

「治す」「治さない」にこだわらない。
だが・・・それが結構難しい・・・。
ワシはナマケモノを目指しているが、
ナマケモノに成り切れないでいる。
ナサケナイなぁ・・・。

「治したい」にこだわっている。
力が入っている。
未熟者だなぁ・・・。
もっと「いいかげん」になりたい・・・。

「治す」
「治す手伝い(応援)」
「治さない」
「治せない」
ここから次の世界に行きたい。
境までは来ているのに・・・。

まぁいいか。
次の世界がある。
そして、更に次の世界もあるだろう。
ワシにも成りたい(変りたい)自分がいる。

ただ、いるだけ。
そういう自分に成りたい。
究極のナマケモノ・・・。
ナマケモノのヒーラー。
それが太陽だ。


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みる・4

2005-10-23 21:46:01 | Weblog

少しマニアックな話だ。
「見ない」で「観る」。
「観ない」で「観る」。
見ようとしない。
更に、観ようとしない。

ワシのズボラな方法。
それは「見る事」も「観る事」もしない。
そんなメンドウな事はしない。
ワシはナマケモノの生き方をする。

結果として観えてしまう。
だが・・・それもどうでもいい。
観ても、観なくても、する事は同じだ。
ワシは原因を求めない。
診断、判断を求めない。
する事は同じだからだ。

生命力の活性化。
ワシはアホの一つ覚えなのだ。
原因の違いで手法を違えない。
診断の違いで方法を違えない。
大元だけを相手にしているのだ。

「見る」から「観る」
「観る」から「みる」
そして・・・「みない」

「みない」と「みらい」は似ている。
似ていれば・・・何とかなるだろう。
未来が輝けば、歩いていける。
闇(病)に方向が示されるのだ。
何とか歩けるはずだ。

つまらん原因探しはしない。
間違いやすい診断もしない。
しなくても、する事がある。
する事は同じだ。

過去も現状も「みなくていい」。
する事だけすれば、何とかなる。



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みる・3

2005-10-22 19:44:57 | Weblog

そうなのだろうか?
何も知らない19才。
未だ歩く道も決ってない。
その頃にすでに示唆する出来事があったのか?
その頃に少しづつ準備はあったのか?

歩く道を見つけたのは40歳過ぎだ。
そして「生命」がライフワークになる。
「生命」に惹かれる。
やっと、それまでの出来事が繋がる。
ワシは・・・鈍かったのかぁ・・・。

19才の「観る」。
「観る」だけで精一杯だった。
それだけで感激していた。
見えない世界の扉へたどり着いたと思った。
もっと先まで用意されていたと気づかなかった。

その時に「生命を観る」まで用意されていた。
だがアホでドジでマヌケなカメは回り道に進んだ。
回り道と本道の区別なんか付くはずが無い。
今でも・・・区別は判らないかもしれない。
ワシは今でもアホでマヌケなカメだ。
これには自信があるぜ。

病の回復への方法はいろいろある。
医学(病気)に基づいた方法。
健康に基づいた方法。
自然(体)に基づいた方法。

ワシにはワシの基準がある。
「生命」が輝く(喜ぶ)かどうか?
主とした手段として「氣」を扱う。
意識変化の手段として「言葉」を扱う。
いずれにしても「生命の活性」だ。

ルノアールの絵。
そこには「生命の輝き」が描かれていた。
「生命の輝き」を観た。
ワシが魅かれるのも当たり前だ。

輝き(喜び)は温かい波動となっている。
ルノアールの絵に初めて出会った時、流れてきたモノ。
それは「温かい氣」だった。
それを感じる事が出来た。
感じる事が「観る」事だった。



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