「集中」は自分が主体だが、
「執着」は対象が主体だ。
執着しているのが「自分」だから、
自分は従体(奴隷)となる。
対象に「氣」を取られる。
自分を見失っている事に気づかない。
(だから執着と集中の区別もつかない)
心のコントロールがきかない。
奴隷に自由はないのだ・・・。
「集中」が「やわらぎ」なら、
「執着」は「こだわり」だ。
いつでも「や~めた」とできるのは「集中」
「絶対あきらめない」のは「執着」
(ここで勘違いしないでね。
固定概念でとらえないでね。
「集中」が良くて「執着」が悪いわけじゃない。
そんなの、好みの生き方だ。
奴隷でも女王様でも好きに生きてくれ)
特に「生への執着」
全体的に生命力が落ちている現代は、
持って欲しいと、ワシは思っている。
(性への執着は持たなくてもいいが、
大切に優しく関心を持って欲しいと思う)
今まで根性が無いと「集中」出来ないと思われていた。
ところが「集中」が「やわらぎ」次第なので、
根性が無くても関係ないと気づいた。
根性は「集中」よりも「執着」に適している。
根性と「こだわり」はラブラブかもしれない。
何事にも根性の無い人がいる。
でも好きな絵に没頭できたりする。
そして、とても素敵な絵が描ける。
絵に集中しているが、根性で集中しているわけじゃない。
根性の集中じゃないからこそ「本質」に近づく。
だから、絵も素敵になるのだ。
根性は「力を入れる」には適している。
「力を抜く」には不適切のようだ。
不適切なのはワシの文章の表現のようだ、って? ホットケ!
(う~m・・・一人ツッコミはキレが無い・・・
も一つキレの無いモノもあるだろう、って?
う~m・・・容赦の無いツッコミは嫌われるぞ・・・
若ぇ衆は、侘びと寂びが理解できてない・・・)
今日の雑記は「集中」出来ない。
集中出来ないのは、何かに「執着」している証拠だ。
そうかぁ・・ワシにも「執着」する根性があるんだぁ。
少し・・・ワシを見直したなぁ・・・
(本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間・氣功療法院」