水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
本を読むのが好きなのも母からの遺伝のようだ。
中学、高校と図書カードの新記録?だったような・・・
とにかく私は読む速度が速かった。
授業中に1~2冊、その他で1~2冊。
薄い本はメンドウなので、できるだけ厚いのを選んだ。
種類は何でも。
今でも、節操は無い。
マンガから新書、小説、専門書。
浅く広く雑多に知りたかった。
節操の無いのは本の種類だけじゃない。
アレもソレも節操は無い。
当然、社会通念や常識が薄くなる。
そういう性格に社会は乱れてきていた。
ますます、社会通念が薄くなる。
70年安保というヤツが日本を渦巻いた。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
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今日の独善つぶやき
また桐生へ
結構行くので、体験したいと思っている方
伊勢崎、大田、桐生方面の方
連絡下さいね。
「母のこと・66」
私の子供達も運動系は好きだ。
未熟児で生まれた長男は小、中、高の9年間皆勤賞だ。
特別優れた種目はないが、何でもこなす。
体格は小さいが、中学のバスケット、高校のバレーと部長を任された。
水泳、スキーも一人前には出来る。
娘もおとなしい顔だが、何でもこなす。
運動が好きな性格だ。
こうした血は、やはり母方から流れていたと思う。
何でもこなせた母の血は、基本的には運動神経がいいと思う。
私の兄も運動系は得意のようだ。
定年退職してから、日本百名山に挑戦しつづけている。
70歳近くからフルマラソン。
ホノルルマラソンでは、年数を増す度に時間が早くなっている。
そういえば、スキーも水泳も上手い兄だった。
病弱な母だったが、運動神経は優れていたと今になって気づく。
病弱は受け継がず、運動神経だけ受け継ぐ子孫だった。
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中学生の私は幼児時と違って積極的だった。
だが母は学校の成績や部活には一切触れなかった。
今思うと、興味が薄かったのかもしれない。
元気であれば成績などどうでもいい。
元気に部活できるなら、それだけで充分。
私が、私の子供達に対しても同じ感覚がある。
他人と比べる意識は、我が家ではあまり無かった。
それは、子供達自身にも流れているようだ。
子供達も競争意識など更々無い。
他人と比べる意味がわからない。
身体の小さかった私だが、運動系は好きだった。
好きなモノは得意になる。
特別優れてはいないが、一応何でもこなせるようになった。
基本となるランニングが得意だったから。
それは成人になってからの登山にも活かされた。
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春秋のお彼岸、お盆、命日などの仏行事。
節句、七夕、十五夜、ついでにクリスマス。
母は内輪の行事は好きだったのかもしれない。
いなり寿司、ぼた餅、お萩、饅頭などその度に作った。
私が子供の頃は、特に好きでもなかった。
ところが30歳も過ぎてから好きになってきた。
私の子供達も、母のあんこ系のぼた餅や饅頭が好きだった。
年齢が上がるにつれ、母の味が一番美味しいと思うようになった。
私の子供二人も味が判る舌の持ち主だ。
贅沢やうるさい事は言わないが、微妙な味の違いが判る。
その子供達も母の作ったモノのファンだった。
おばあちゃん(母)のは美味しい。
私に似て、お世辞は言わない子供達だ。
孫から素直に好きだと言われて、幸せだったと思う。
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母は旧暦の行事をかなり忠実に行った。
七草粥、小正月、旧正月などに混じって「えびす様」がいた。
えびす信仰の流れらしいが、どういった経緯で信じたのか不明だ。
旧暦の10日夜(とうかんや・11月10日頃)に一年働いて帰ってくる。
それから家にいて、七草の朝(記憶あいまい)に出稼ぎに行くらしい。
何処でどういう仕事をしているのか、私にもわからない。
アヤシイ仕事やアブナイ仕事なのかも・・・
わかるのは、商売の神様のエビス様を大切にしていた。
我が家は商売とは縁の無い血筋なのだが・・・
そのご利益は、お金類に限っては無かった・・・
我が家のエビス様は、商売人では無かったと思う・・・
かなり理知的な母だったが、時々神様系に流れる・・・
神様とつけば、何でも信じるようなところもあった。
まぁ、今でも多くの人がハマっている。
だから宗教は儲かるし、その証拠に大きく肥っている。
宗教は運命を悪くし、生命力を下げるのだがなぁ・・・
(注:いわゆる組織が煽る宗教で、本当の宗教心とは区別して)
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ベトナム戦争は私の成人後まで続いた。
始まったのは中学一年生時。
ブカブカの学生服を着た小さな一年生だった。
三年生がやたらに大きく感じた。
中学生は成長期でもあるから、体格の差は大きい。
この年から給食が始まった。
母は弁当作りから解放された。
姉も卒業して東京に行った。
頑張り屋の姉は、某有名高校夜間部に入学した。
自力で高校に通ったのだ。
我が家には三歳下の妹が末でいた。
それでも母にとっては子供の世話は極端に減った。
私と妹だけになった。
父も相変わらず、ほとんど帰ってこない。
母は、懸命にパートで働いていた。
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この時期からの大きな出来事にベトナム戦争がある。
日本が関係するアメリカ軍によるベトナム戦争の始まりだ。
以後10年間のドロ沼状態になり、アメリカは疲弊する。
日本はアメリカの下男だから、当然支援する。
金も物資も支援する。
金は税金だから、政治家も役人も痛みは無い。
一部の企業も特需ぎみに収益が上がる。
ベトナム人の血を吸って、面目やら利益を上げていたのだ。
ジョンFケネディは早期撤退を計画していた。
戦争をしない大統領は暗殺される。
アメリカは戦い好きのキリスト凶(教)徒だ。
まして、死ぬのはアジア人なら問題ない。
そして、1963年に暗殺された。
代わったジョンソンはもちろん戦争大賛成。
戦争を起こせば支持率が上がる国なのだ。
1965年に北爆という得意の無差別爆撃を開始した。
日本は東京や各都市や広島、長崎にされた国なのに応援する。
日本基地から飛び立った爆撃機で、多くの民間人が殺された。
それを満足気に、擦り手でアメリカに媚を売る。
日本の政治家がどれほど卑怯でナサケナイかわかるだろ。
国民の痛みなど知ったことか。
まして、今回はベトナム人だ。
日本人はアジア人でも最高の人種だ。
アメリカの機嫌さえ取れれば、日本の政治家は合格なのだ。
赤ちゃん、子供、病人、婦人、お年寄りの上から爆弾を降らせる。
そういう行為を長く支援することになる。
高度成長期の影には、多くの血が流れている。
やはり、忘れてはならない戦争なのだ。
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私は幼児、小学校低学年まで引っ込み思案だった。
風が吹いても物陰に隠れるような子だった。
赤面症でもあり、声も小さかった。
先生から指されると真っ赤になり、何も言えなかった。
自然に目立たぬように行動していたのだと思う。
人は変わる。
男子三日会わざれば刮目して見よ。
三日はどうかと思うが、数年経つと変わる。
もちろん変わらないのもいる。
私は小学三年で変わった。
どういうわけか、級長というのになった。
以降、中学を卒業するまでそんなのばかりしていた。
勘違いしてはいけない。
昔は、成績優秀や人望があるからじゃない。
ワンパターンというやつだ。
ああ、そういうのはアイツでいいだろう、みたいな・・・
すると嫌でも人前で話す。
苦手でも先生と話す。
赤面症は何処かに行って、声も出るようになった。
出しゃばりではないが、代表に抵抗がなくなった。
今でも、出来れば人前や代表は遠慮するタイプだ。
だが、苦手でも抵抗もないようだ。
まぁ、どうでもいい、と思っているからなぁ・・・
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高度経済成長の象徴でもあった東京オリンピック。
当時のテレビは高かったのだ。
学校の特別室に置いてあるテレビには扉があった。
画面の前に観音開きの扉があったのだ。
各家庭のテレビだって、刺繍織りのカバーがあったのだ。
授業の一環?として、オリンピック中継を見たりした。
敗戦で落ち込んだ日本人の復興の象徴でもあった。
あきらかに体格の劣る日本人だが、各種目で驚異的に成績を上げた。
ガンバレ、日本。
負けるな、日本。
私も手に汗を握りながら応援していた。
何も無くした戦後からの復興した日本の紹介でもあった。
その裏で、多くの貧しい状態が隠された。
強制的に捨てられた人々や建物が多くあるのだ。
そんな事実を知るのは、ずっと後だった。
政治行政の卑怯な手法は、いつの時代もどの国もほとんど変わらない。
事実も真実も都合が悪ければ隠せばいいと思っているのだろう。
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昭和39年は憶えている出来事が幾つもある。
6月の新潟地震だ。
新潟沖が震源地だったが、とても大きかった。
午後1時で、小学生は授業中だった。
先生の誘導で全校生徒が校庭に避難した。
今より脆弱な窓ガラスに幾つもヒビが入った。
水上での震度は4だが、岩盤の固い水上では大きい揺れだ。
東京オリンピックで一年中盛り上がっていた。
それに合わせて東海道新幹線が開通。
それまで白黒からカラーテレビに移行していった。
我が家にもテレビが入ってきた。
総天然色と題が入った番組が増えていった。
映画も総天然色と書いてあった。
映画といえば、「モスラ対ゴジラ」がこの年だ。
子供のほとんどが映画館に見に行った。
何とか私も映画館に行った。
こんな山中の水上にも映画館があったのだ。
映画館は娯楽施設の王様だったのだ。
ワクワクしながらじっと銀幕を見つめていた。
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