故御師匠様の人生は波乱だった。
社会的な財産を大きく持っていた時もあった。
そして騙し取られて、返済に汲々した時もあった。
金はもちろん、会社も信用も無くした。
とても惨めだと思ったそうだ。
もう、あんな惨めな思いはしたくない。
通常は、だから頑張って再建しようとする。
ところが御師匠様だから変わっている。
「持つから、無くすと惨めになる」
その後、自分の財産を持たない生き方に変えた。
土地・家・貯金通帳など、最後まで持たなかった。
目に見える自分の財産は放棄した生き方をした。
「金は回って活きるモノ」
だから貯金はしない。
「土地は地球のモノ」
「家は住むモノで持つモノじゃない」
実にシンプルだった。
そして、幸せだった。
「貧乏は無所有である」
肉体がある限り欲望がある。
生きる為の欲がある。
心は肉体に左右させられる。
だから心にも欲望が生まれる。
「生命」は欲の刺激が無いと続かない。
最低限の欲が「生命」を支える。
メシが食いたい。眠りたい。○○したい。
その為には住む所、着るモノ、食べるモノが必要だ。
必要だが・・・持たなくても活用できる。
無所有でも「生命」は続くのだ。
「欲」は「所有」と直結してないのだ。
貧乏道は無所有であるが、
無欲ではない。
ワシは金もオナゴ(これはウソ)も才能も欲しいが、
自分のモノにしようとは思わない。
この世にある何一つ、自分のモノに出来るとも思わない。
そのくらいのは知っている。
自分のモノにしなくても使えれば充分だろう。
必要な時だけ使いたいから欲しいのだ。
ホピ族かナヴァホ族か忘れたが、ある酋長の言葉がある。
「地球の上で生まれ地球の上で一生を生きる生物に、
自分のモノと主張することが出来るだろうか?」
無法者のアメリカ住人が土地の権利を主張した返事だ。
「貧して、貧ならず」が貧乏道だが、
富裕を目指し、富裕の米国はとても貧しい。
(本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間・氣功療法院」