自分が主体の女王様(集中)だろうが、
対象が主人の奴隷(執着)だろうが好きでいい。
エスカレーターの人生も階段の人生も好みだ。
だが女王様に成りたいのに奴隷になるのは間違いだろう。
それは・・・マヌケすぎると思う。
奴隷になるのは難しくない。
人は「力む」のを得意としている。
「しがみつく」のは誰でも出来る。
「こだわる」のは簡単なのだ。
ワシは奴隷より女王様が好きなのだ。
だから執着の方法など、どうでもいい。
集中の方法を書きたかったのだ。
女王様だらけの世界が好きだからだ。
奴隷ばかりの日本には・・・厭きた。
(首相がこだわりの米国奴隷だもんなぁ・・・)
女王様になるのも難しくないが、
「力んだ」女王様は優雅じゃない。
歯を食いしばった女王様は偽者だ。
努力と根性では女王様に成れないからだ。
奴隷に成るのに「勇気」は必要じゃないが、
女王様に成るには、ちょっとだけ必要だ。
持っているモノを「手放す勇気」が必要だ。
女王様はケチでは成れない・・・。
集中は少しの「手放す勇気」が最初にある。
「こだわり」を手放す勇気が最初にある。
それほど大きな勇気じゃない。
手を開けばいいことだ。
手は・・・心だ。
手放すと解る。
持っていたモノが重かった事に気づく。
だから、放せば肩の力が楽になる。
「やわらぎ」は「力み」を開いてからだ。
この世の仕組みをヒネクレだと知れば、
「集中」が「手放す」事から始まると気づく。
「やわらぎ」が「集中」を決めると実感する。
「集中力」という言葉で「力む」から、
その時間は集中にならない。
と、ここまで書いて気づいた・・・。
そうかぁ・・・
奴隷は女王様が判らないのかなぁ?
奴隷は奴隷しか見てこなかったのか・・・。
ワシも御師匠様達に会うまでは、
奴隷や奴隷頭しか見ていなかったもんなぁ・・・
(本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間・氣功療法院」