水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

卯月05

2005-04-30 19:34:03 | Weblog

ワシは意識して時事ネタを書かない。
特に社会時事ネタは避けるようにしている。
理由はあるが、ワシ流の方針だ。
それでも言いたい事はある。
時には皮肉と溜息を込めて書くが、
戦争に係わる事以外は抑えているほうだ。

だが、季節の時事ネタは書く。
日本の季節の移り変わりの綺麗さは、
多くの人と分かち合いたいものだ。
どの季節も、どの季節の変わり目も美しい。
風も光も香りも空も海も山も美しい。

日本のチベットと(個人的に)称される、
ワシの家の周りにも桜が咲き出した。
2日続きの異常な暑さ(28度)で、
根性の無い桜達は一斉に膨らみ、そして開いた。
(根性が無いと、ラテン系になるらしい・・・
ケセラセラ、なるようになる♪ いいやぁ、開いちゃえ♪)

コブシの花と梅の花と桜の花が競演している。
花の開いている期間は短いが、
花の命が短いわけじゃない。
花の美しさが終わるわけじゃない。
毎年、同じ木がより大きくなって美しく咲く。

命は見た目の形を変えて、続いているのだ。
そして再び花となる。
花は自分の命が短いなどと思っていない。
再び花を開く事ができると知って生きている。
枝も根もつながっていると知っている。
他の地へ離れた種も家族だと知っている。
だから、再び花開く。

それは「生きとし生けるモノ」全てにあてはまる。
命が続くというのは、花が開くという事だ。
花は一つじゃなく、つながっている。
花の命が短く、終わったと思えば・・・
花は開き難いものなのだ。

「美しさ」は「命」そのもの。
命を輝かせるのは、本人の意識。
桜の花は一年待たなくては咲かないが、
人の花は、いつでも、何処でも咲く事ができる。
人は、いつでも、美しくなれる。

どんな状況でも「命」があれば素敵な事だ。
悲しまないで・・・美しさが曇るから・・・
枝も根も種も家族でつながっている。
そして、花は、必ず開くものだ。


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独・3

2005-04-29 19:12:40 | Weblog

普段なら愛人Aが微笑む。
愛人Bも来る。愛人CもDも・・・。
本妻だって、何となくいる。
愛しい人達とはいえ、毎日はうっとうしい。
社会生活というのは煩わしいものなのだ。

ところが、ポカっと空く時間がある。
「孤独」の時がある。
人間やその他のモノや出来事と係わる時から、
「独」の世界に変わる。
「独」は尊い存在と二人きりの新婚空間だ。

「独」に気づいてしまったら
「孤独」が甘美な時間だと知る。
普段なら外側に使う「氣」を内側に配る。
尊い存在からの「優しさ」を十二分に感じる。
観えなかった自分を抱きしめる事ができる。

愛人達や本妻を抱きしめるのは生活の営みだ。
心はこもっているが、ある意味、義務のようなものだ。
人と人は支え合って生きている。
人と人は抱きしめ合って生きられる。
愛しい人達と生きるのは幸せなことだ。

ところが「孤独」には次元の違う「幸せ」がある。
社会生活の幸せではなく、絶対幸福の世界だ。
人と人ではなく
自分と、とてつもなく大きな自分。
「孤独」は寂しがる世界じゃない。
絶対安心の安らげる世界だ。

人は人の中で生きている時間と
「孤独」で過ごす時間がある。
その両方が、とても素敵で貴重な時間だ。
それぞれは、質の違った幸せに満ちている。
どちらの時間を過ごせても奇跡なんだなぁ。

「独」は一人ではない事に気づく言葉。
どんな状況になっても、一人ではないと知る言葉。
自分には、もう一つの大きな自分が常に一緒にいる。
何をしても、包んでくれる存在がいる。

この世に生まれて、生きているというのは
とても
ラッキーだと思う。


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独・2

2005-04-28 20:07:49 | Weblog

昨日の「ます。です。」調は疲れた・・・。
今日からは横柄な「だ。である。だぞ。」に戻す。
ワシは天上天下唯我独善の水上陽平だぁ!
雑記で威張らなくて、何処で威張ればいいんだぁ・・・。
(雑記でしか威張れない実体が・・・。
でも威張り続ける根性もない・・・。更にナサケネェ・・・)

天上天下唯我独善
天上天下youが独走
天井床下唯我独尊(ち、小せぇ世界だぁ・・・)
これらの「独」はタダの一人という意味じゃない。

「たった一人、一つだから尊いのです」
大抵の解説は単純に「独」を一人としている。
更に「一人だから尊い」という理由を説明してない。
何となく了承してね、という解説法だ。
これが固定概念というヤツだ。

「一人は尊い」のではないぞ。
「独」だから尊いのだ。
「独」と気づくと尊い以外に無いのだ。
「独」は尊い存在と一体という意味だ。

「神は何時でも、貴方と共にいます」
そんな偉い存在が何時も一緒だと思うと気が重かった。
やだなぁ・・・トイレも一緒に入っているのかぁ?
秘密でしていた、あんな事まで一緒だったのかぁ?
ちょっと、悪趣味だよなぁ・・・。
そう、思っていた・・・。

神でも仏でも梵天でも大宇宙でもいいが、
とてつもない尊い存在がアホな自分と重なっている。
ナマケモノでスケベなオッサンと溶け合っている。
一人は一人でなく、一体だった・・・。
一体なら・・・しょうがないじゃない?
今更「離れてくれ」と言っても無理だろうし・・・。

「独」が解ると「天上天下唯我独尊」が解ける。
(注:唯我は自分という意味じゃないぞ)
ワシの「独善雑記」の真意が解る(これはウソだな・・・)
孤独の静寂さが「いい感じ」の状態だと知る。
独活(ウド)が素敵な名前だと思える。
(そ、そうかなぁ? ウド鈴木も素敵な名前なんだぁ・・・)

「独」はその疑問を解決してくれる。
そして孤独感の勘違いを修正してくれる。

別れたオトコやオナゴがいても、
最後まで一緒にいてくれる存在がいる。
しかも・・・かなり優しい存在らしい。
いつも包んでくれているらしい。
だから「孤独」は一人じゃない。


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独・1

2005-04-27 20:14:47 | Weblog

こんなテーマを書いたのはドイツ(独逸)だぁ?
という意味ではありません・・・。
(す、すいません、思い切りスベッてます・・・)
テーマなんて出任せで、デタラメですから・・・。
デタラメは、出たら芽になる可能性もあります。

芽になったら、上手く育てればモノになります。
モノにならなくても、大抵は食べられます。
ほとんどの芽は、結構美味しいと思います。
育てるのも食べるのも読み手ですから、
ワシの知った事じゃありません。
ワシはオトコの本能のまま、種をバラ蒔くだけ・・・。

今回は禅語の「独」をヒントとしています。
禅語はヒネクレ爺さん達の趣味の言葉です。
ヒネクレていますから、固定概念の転覆にはもってこいです。
社会常識を外れたヤンチャ坊主・・・(ウマイ!座布団一枚)
禅語は言葉遊びの段階で使うモノではありません。
実生活、暮らしに活かして使うモノです。

固定概念の転覆は生命力を活性化しますから、
ワシは体や心の闇(病)からの脱却に使っています。
読み、受け取るだけで回復できる。
そんな独善雑記を目指して、今日も書く・・・。
あぁ、なんて仕事熱心なオッサンだろう・・・
ワシが妙齢の御婦人ならチュしてあげる・・・。
(う~m。。。また狂ってるなぁ・・・)

「独」は常識的には「一つ・一人」という意味です。
闇(病)に入ると、誰でも思い込んでしまう感覚です。
「孤独・・・私だけ」(だいたひかる・・・)の世界。
この世の仕組みを観れば「孤独」なんてありえません。
常識は・・・かなりアテにならないものです。
「孤独」と感じる事自体が「思い上がり」というものですが、
病み人というのは自分勝手な空想家に変わるのです。

どうせ自分勝手な空想するなら、
ワシのように独善家になればいいのにねぇ。
大抵は独悪家になってしまいます。
悪い空想が好きなマゾ的性格になります。
(生命力の低下ですから無理もありません・・・)

「きっと最悪の出来事が待っているんだわ」
ところが、良かったり、それほどでもないと、
「これは、間違いよ。もっと悪くなるわ」
運命の神様は、結構素直です。
本人の望むように方向を修正してくれます。
だんだん、悪い出来事が起こると、
「ほ~ら、当たった!」

「私、悪い予感は当たるの・・・」
(自慢にならねぇし、人が離れるぞ・・・)
「いいの。私なんて孤独。一人だし・・・」
いいけど・・・一人は間違いです。
「独」は一人という意味じゃないのです。


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エスカレーター・4

2005-04-26 18:15:56 | Weblog

固定概念の象徴としてエスカレーターがある。
(そ、そうなの?・・・)
そんなつもりで書き始めたのではないが、
御筆先様の暴走は止まらない・・・。
ワシのハッタリも果てしなく広がる・・・。

エスカレーターは動かなくても移動する。
人間は動物だから、動かないと衰退する。
動物というのは動くと生命力が活性化するモノだ。
固定する、固定される弊害は致命的なのだ。

心の感情部分は固定されると破壊し始める。
内側に向かうと自分を痛める「閉じこもり」
外側に向かうと他を傷つける「暴力」となる。
最近、とても多くなっていると思わないか?

体だけじゃない。
体と心だけじゃない。
体と心と魂(精神)だけじゃない。
個人の未来、運命だけじゃない。

人はどんなにエラソーな事を言っても軟弱だ。
人の心は、とてももろい部分がある。
エスカレーターを作ったのには意図がある。
エスカレーターを浸透させた社会には謀略がある。
(注:機械のエスカレーターではないぞ・・・)

自由な発想は生き方は、国を統一するには邪魔なのだ。
皆が同じ意識のまま、動かないのが操作しやすい。
「楽」と思い込ませて、親切と思い込ませて、
エスカレーターで運べば、反発しないで操作できる。

それぞれが勝手に歩いてもらっては困るのだ。
自由になっては困る、と考える人達がいる。
被害妄想じゃないぞ。
古今東西、いつでも為政者は同じだ。
国民の為、の言葉の底を覗くがいい。
(注:為政者の中には自由を求める人もいるが、
歴史を振り返れば、暗殺されてしまっている・・・)

地球はアホな人間を含めて相互共生で成り立つ。
地球は多種多様なモノたちと交響曲を奏でている。
人間だけがエスカレーターで腐るわけじゃない。
どうしても他の生きとし、生けるモノ達にも影響する。

固定概念の転覆は大きな意味をもっているんだ。
エスカレーターか階段かを選ぶのは、
自分の未来の分かれ道でもあるし、
地球の未来の分かれ道でもある。

(ハッタリもここまで書けば満足だなぁ・・・)


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エスカレーター・3

2005-04-25 21:00:29 | Weblog

東京駅だ。
光たちと戯れる時間を中断して降りる。
ここからは総武線だ。
駅に着く度に毎回思う事がある。
エスカレーターだ。

ホームから階段とエスカレーターがある。
階段の方が幅が広い。
圧倒的多数は狭いエスカレーターに乗る。
ワシは不思議だと思っている。
足の悪い人がそんなに多いのかなぁ?
心臓の悪い人がそんなに多いのかなぁ?

例えば新幹線。
ほとんど座っていられるのだ。
足を動かせないまま、1・2時間座る。
動かない筋肉は硬くなり、血流も滞る。
階段は絶好の回復場所だ。

乗客の体の回復を計算にいれて階段を作ったのなら、
駅構築関係者に特別賞を出してもいい。
実に素晴らしい。
中には階段が辛い状態の人もいる。
エスカレーターはそういう人用だろう。
そう思っていた・・・。

人は健康を保ちたいと言う。
楽な生活もしたいと言う。
言うだけじゃ変わらない。
思うだけじゃ変わらない。
ならば、両方を満たす方法を実行すればいい。
方法はいつでも山ほど用意されている。

無条件でエスカレーターに乗る人達は、
階段を上る方が体が楽になる事を知らないのか?
年代に関係なく進んでいる日本総白痴化現象。
だから学校で教えるような事とは思わないが、
学力がどうの、こうの騒ぐより大切な事があるだろう。
体と心の白痴化は滅亡へ向かうのだぜ。

白痴化は固定概念から始まる。
「エスカレーターの方が楽だ」
固定概念だから改めて考えない。
脳ミソは生ものなんだ。
動かさないと・・・すぐ腐る。

白痴化を学力や知識量だとしている専門家達。
「アンタのその固定概念が白痴化ですからぁ・・・残念!」
(ギター侍 波多陽区風で・・・)

固定概念は脳ミソを腐らすだけじゃない。
体や心や生き方を腐らせる。
そして未来を腐らせる。
回復できる可能性を腐らせる。

人、それぞれの生き方があるから、
体や心をダメにしたいというのもアリだ(かなぁ?)
依頼されないのにお節介を言うつもりはない。
だけど、皆が皆、早く衰退したいわけじゃないだろう?


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エスカレーター・2

2005-04-24 18:16:17 | Weblog

我家は何かにつけ、控えめだ。
(ワシの仕事量が筆頭だ? 放っといてもらおう!)
子供達にも常々言う。
「遠慮しないでヘマをするんだよ。
テストは全力を出すものじゃないぞ。」

でも油断すると100点ばかり取ってくる。
油断は誰にもあるから叱りはしないが
「う~m、イマイチだなぁ。92点でよかったな」
もちろん、ワザと間違えるのはイヤラシイと教えている。
自然体でヘマをするのも結構難しいのだ。

そんな控えめなポルシェカスタムに乗って、
ワシは新幹線の駅へと向かう。
寒冷地からは気温がみるみる上がる。
桜の蕾が少し膨らみ、やがて一つ二つ開く。
新幹線駅に近づく頃には満開の木も出てきた。
そこで一句。

満開に すぐなる桜は ラテン系

ちょっと優しく(暖かく)されると、
すぐ開いてしまう桜は恥じらいが無い。
しかも・・・満開まで開く・・・。
ワシもオープン系だから相性はいいが、
桜が日本的というのは間違いだろう・・・。

色彩は単一だが、桜花が皆で開く様はリオのカーニバル。
その下で行われる傍若無人な宴会も、
狂祭(カーニバル)というほうが相応しいと思わないか?
桜は人を(少し)狂わせるのだ。
西行や梶井基次郎が指摘したとおりだと思う。

そんな「春の哲学」を思考しながら駅に着く。
コマギレの田畑と雑林と数軒の民家。
何もない山に寄りかかった新幹線駅は、
政治家達の欲望から生まれた孤独な駅だ。
タヌキや猿や熊に混じって人も来るが・・・。

無駄使いしか出来ない政治家を選ぶのは国民だ。
本当の迷惑はタヌキや熊や小生物達だ。
何しろ選挙権も無いのに好き放題されている。
人間達は、地球上で、かなり勝手に生きている。
ごめんね、タヌキさん熊さんタニシさん・・・。

ここから東京駅まで1時間20分。
「移動する空間は冥想場に適している」
ワシ以外でこれを指摘した人を知らない。
(ワシは独自で気づいたが、指摘している人もいると思う)
これには「冥想」のシステムに関係した理由がある。
だが、ワシのいいかげんな雑記で書くのはなぁ・・・
講座でなら話すことにしよう・・・。

だからワシは移動する時間がとても愉しいし貴重だ。
プロフェッショナル・ヒーラーとしても必要な場だ。
いいかげんでもスケベでもプロはプロの日常がある。
毎日、何処かで必ず設けなければならない時間と場だ。

それが出来なくなったら、プロから降りる。
というより・・・愉しいモノを手放すはずない。
だから、多分、一生プロ・ヒーラーでいられるだろう。
これはワシの天職だし、その他の生き方をしたいとは思わない。
(来世、オナゴに生まれたら、別の生き方をするぞ)

テーマの「エスカレーター」は未だ出てこない・・・・


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エスカレーター・1

2005-04-23 20:22:18 | Weblog

ワシは毎週東京経由で千葉県に治療に行く。
ワシが住んでいるのは群馬県北部山岳地帯だ。
まず、里まで降りなくてはならない。
ツタにつかまり、木から木へと下がる。
「ア~アァ~ア~」
奇声を発するのは決まりごとだ。

その声でミーという美女が送りについてくる。
以前はケーという娘とユニットを組んでいた。
ケーはどうやら結婚したらしい・・・。
ミーは健気だが、ワシは期待に応えられない。
ごめんね・・・。

ミーは里まで見送りにきて、そこで別れる。
切なく潤んだ瞳でワシを見つめるが、
その先の進展は今後も無いだろう。
美女だけれど・・・お前・・・日本猿だし・・・
まぁ、節操の無いワシのことだ、
どうしても、というのなら相手もするが・・・。
(だけど猿は興奮すると引っ掻くからなぁ・・・)

里に降りると愛車が待っている。
ワインレッドのポルシェだ。
ここで靴下やら靴やら服やらを身に付ける。
(ふ、普段は、裸かぁ・・・・)
一応、人前に出るのだからしょうがない。

人というのはヘンな動物だ。
車が高級というだけでも嫉妬する。
ワシもそんな煩わしい事は避けたい。
そこでポルシェは改造してある。
超カスタム仕上げだ。

寒冷地仕様のコンパクトカーに改造した。
排気量も660CCに抑えた
外見も国産中古軽自動車仕上げだ。
これで、無用なトラブルは避けられる。
誰もポルシェとは気づかないだろう。

ちなみに本妻の愛車はフェラーリだ。
シルバーメタリックが眩しいぜ。
だが、やはり無用のヤッカミを避けるため、
国産中古軽自動車キズ模様特殊加工仕上げだ。
排気量も660スペシャルだ。
フェラーリと見破る人は、多分いないだろう。

本妻は服にもこだわっている。
オートクチュールだが、
ファッションセンター「しまむら」バージョンだ。
もちろん誰一人気づく人はいない・・・。
ワシの愛人達に気を使っているのだ。
愛人より本妻はめだっていけない。
オナゴの気配りとは、こういうものだ、エライ!


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関・4

2005-04-22 22:15:54 | Weblog

門が開く時はワナだと思ってくれ。
「そ、そんな、疑う心は寂しいわ・・・」
あのねぇ・・・精神世界はヒネクレているんだ。
建前論が通じない世界だと認識してくれ。

「疑う・信じる」が通じる世界じゃない。
マジメで誠実な人がいられる世界じゃない。
常識外れの人じゃないと無理な世界だ。
だから敬虔な信者は騙されるんだ。
そして現実世界の迷惑者となっていることに気づかない。

門は「関」となっている。
関は自動的に開かない。
関は通行手形がなくては通れない。
だから門が開くのはワナ以外にないのだよ。

関があるのには理由がある。
自由に通るのはマズイからだ。
各層界が混乱と滅亡しない為だ。
精神世界では住んでいい世界はそれぞれにあるが、
全員が同じ一つの世界じゃない。

全員が同じ一つの世界は・・・物質世界だ。
だから、この世はとても特殊で貴重な世界だ。
この世に生きているのはとても特殊な出来事だ。
もう少し、大切にしたほうがいいぞ。
(って、ワシに言われたくないよなぁ・・・)

この世は確かに精神世界と物質世界が重なっている。
(メンドウな時は、この世を物質界としているが)
色即是空 空即是色
玄奘(三蔵法師)が手抜きで説明した言葉だ。
こんなの説明するのメンドウだもんねぇ・・・
気持ちはわかる・・・。

だけど、もう少し説明してもよかったと思うよ。
(肉体が)生きている主舞台は色界(物質界)にある。
この世が仮の舞台だとしても、生きている間は主舞台になる。
ここを精神世界だと勘違いするから、落ちるんだ。
精神世界スキスキ人間は・・・「氣」を付けようね。
舞台上で本名を名乗るのは・・・アホなんだ・・・。

精神世界に氣を取(盗)られない。
これが精神世界との係わり方だ。
性悪オンナや性悪オトコが降参するのは、
(深い意味での)素直。
イタズラ好きの神様だって同じだ。
素直にゃ、かなわない・・・。

自分を持っている(「氣」を付けている)のが、
自然体であり、素直であり、通行手形になる。
甘い誘惑に乗るのは、肉体界(物質界)だけでいい。
執着しないで、愉しめよぉ~。

(今回のテーマは途中で「氣」が乗りませんでした・・・
ワシが親切するのは似合わない。
余計なお世話でしたね・・・ごめんなさい。)


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関・3

2005-04-21 20:44:15 | Weblog

今更・・・ナンだけど・・・
今回のテーマの読み方ね「カン」なんだ。
「セキ」でも同じ意味だから、いいけどね。
ということで、昨日からの下品な例え話の続きです・・・

胸を広げて微笑む美女に誘われた。
ルンルン♪ ニャンニャン、ワンワン、メェ~・・・。
次の世界にステップアップだぁ!
そして谷間に近づき、身を乗り出して・・・落ちる
(しかも、落ちながら、まだ笑っている・・・)

谷間の奥には・・・胸毛がウジャウジャ・・・。
更に底には・・・あぁ・・・恐ろしくて書けない・・・。
ソレを見るまで、多分、気づかないだろうなぁ・・・。
美女が・・・アブナイ、オッサンだとは・・・
(まぁ離れて見ていれば笑える話だけど・・・)

この世ならば騙されるのもいい。
いろいろな経験をする為に生きている。
この世(物質界)は「時」が支配している。
変化を促進してくれる。
だから「気づき」が容易い世界なのだ。

ところが精神世界に「時」は無い。
自力で「気づき」を呼び戻さなければ、
いつまでも迷宮を彷徨う世界だ。
美女の胸の谷間だと思い続ける・・・。

勘違いだけならモンクはないけど・・・
ウジャウジャ胸毛をウットリと擦りながら、
他の人を「エエトコやでぇ~」と誘う。
「素晴らしい世界やでぇ~」と本気で言う。
すると、その気になる人が出てくるのだ。
(まぁ、いいかぁ。もうメンドウになった・・・)

だが、精神世界で誘惑に乗るほどウブじゃない。
精神世界のワナはキツイ事を知っている。
這い上がるのが、とても大変なのだ。
「氣を付ける」
「氣を愉しむ」
「氣を取(盗)られる」
この違いを自覚しないで歩くほど無謀じゃない。

(精神世界では)
開いた胸には気をつけろ!
マチガイ無い!(長井秀和風に・・・)


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