水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・453」

2022-03-31 22:21:49 | Weblog


ある気功師・59

つくづく自慢じゃないが・・・
いいかげんには自信がある。
生命には向き合うが、生真面目にはなれない。
それで自然に身を守る事ができていた。

プロ側に入ったと感じたのは10年後だった。
そして思った。
この仕事は天職かもしれない。
私のいいかげんが活きる仕事かもしれない。

私はいいかげんだが、デタラメではない。
生真面目とデタラメはほとんど同じだと思っている。
どちらも生命には害をなす。
いいかげんは、時々マジメにもなる。
だがマジメにはこだわらない。
全く別な思考や行動に移れるのだ。


(本館は、HP「気の空間・氣功療法院」検索
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「迷想中・迷走中・452」

2022-03-30 21:27:41 | Weblog


ある気功師・58

患者さんを診て感じる事がある。
この氣の交流と同じ仕組みでの病だ。
病の原因となる対象は様々だ。
対人、対仕事、対家庭、その他も諸々。

共通するのは患者さんの性格だ。
マジメなのだ。
逃げない、誤魔化さない。
我慢して続ける。

社会的にはマジメは評価される。
だが、生命的には悪い条件となる。
社会は理不尽に満ちているのだ。
それに対してマジメでは病になるのは当然。
生命はもっと自由で気まぐれだ。


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「迷想中・迷走中・451」

2022-03-29 22:28:18 | Weblog


ある気功師・57

治療はどんな治療法でも氣の交流がある。
西洋医学でも東洋医学でも第三医学でも同じだ。
心理療法なども同じだ。
治療法は様々でも施術側と患者側で交流が起こる。

病の氣は必ず施術者に流れる。
マトモに施術すれば必ず流れる。
流れれば施術者は病の影響、害を受ける。
だが、全く受けない場合もある。

施術者が患者に向き合わない場合。
例えれば、患者が金を得る商品と考えている場合。
自分の施術を信じていない場合。
最初からインチキ、詐欺だと知っている場合。
そういう人は害も受けないし、お金儲けもできる。
理不尽だが、この世はそういう仕組みなのだ。


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「迷想中・迷走中・450」

2022-03-28 22:22:51 | Weblog


ある気功師・56

自分の氣ではない。
自分の能力でもない。
たまたま中継器の一部分になっただけ。
その事をしっかり自覚する事が防御になる。

自分の能力だと思ってしまうと自分の氣が流れる。
自分の氣など小さいものだ。
だから流れた分、余計に受ける。
更に自分が凄いと思った分防御が甘くなる。
自分をアピールする承認欲求の人は害を受けやすい。

もう一つ大切な事がある。
治療は相手に施術して終わりではない。
必ず病の氣を受けているのだ。
相手の施術の後、自分への施術、セルフケアをする。
それで一つの治療となる。


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「迷想中・迷走中・449」

2022-03-27 21:56:34 | Weblog


ある気功師・55

もう一つの言葉。
「命懸けだぞ」
これもそのくらい真剣に行え、という意味だと思った。
勝手に解釈して、とても甘かった。
意味が解るようになるには、そう長くかからなかった。
実践してすぐに解かる。

故師匠の言葉は裏が無かった。
とてもシンプルだった。
直球、ド直球。
そのままが、とてつもなく深い。

治療は命懸け。
正しく命懸け。
何しろ難病や重病の氣を受けるのだ。
甘ければ死ぬ。

身体で知るのだ。
自分が病になる。
実際に死んでいく知り合いがいる。
生き延びるには、それなりの防御法が必用だ。
それも最初から故師匠が教えてくれていた。


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「迷想中・迷走中・448」

2022-03-26 22:56:15 | Weblog


ある気功師・54

自慢じゃないが私はラテン系裸族。
アホのB型典型だ。
自分の都合の良いように解釈する。
独善は得意なのだ。

10年経てば食えるのだ。
10年くらい我慢できるだろう。
ところが10年過ぎても生活は苦しいままだった。
私は故師匠が間違えたのだと思った。

だが、早とちりだった。
10年食えないと言ったが、その後食えると言ってない。
10年間の故師匠の言葉は正しい。
結局、どんな事でも自分次第。
私はアホのラテン系の為、そのまま進んでしまった。


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「迷想中・迷走中・447」

2022-03-25 22:10:17 | Weblog


ある気功師・53

追いかけて、ツアー先の中国で話をした。
普段は直接話などできない。
ツアーだと待ち時間やテーブルが同じになる時がある。
まだ心は決まっていなかった。
覚悟も無かった。
それなのに言葉は勝手に出ていた。

「治療の道に進もうと思います。
気功治療をしていいでしょうか」
許可を願い出たというわけだ。
言いながら、私自身が戸惑っていた。
えっ、治療の道?

故師匠は私の顔をじっと見てから言った。
「10年は食っていけねぇぞ。
それに命懸けだぞ」
私は許可と受け取った。


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「迷想中・迷走中・446」

2022-03-24 22:18:37 | Weblog


ある気功師・52

この時点では治療の道に入るとは思ってなかった。
私は母の為に様々な治療法を探していた。
その一つが偶然に気功だった。
そして、偶然に気功師になっただけだった。

故師匠と会うとその1週間後くらいに感覚が変わる。
変わるというよりも微細になる。
広がるともいえる。
繰り返し、繰り返し感覚に広がりと深さが加わった。

何故追いかけるのか?
疑問があっても何故追いかけるのか?
何故アホな私の身体は変わり続けるのか?
その答え、意味が解るのは出会ってから一年後になる。


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「迷想中・迷走中・445」

2022-03-23 22:23:23 | Weblog


ある気功師・51

私の身体は普通じゃない。
生駒山から帰って私は精神も普通じゃなかった。
故師匠の追っかけともいえる行動をとるようになった。
セミナー、講演、研修、合宿、何でも参加した。

時々、ふと我に返る。
40歳、本妻有り、3歳、1歳の子供有り。
一応土産屋を経営していた。
それらの全てを忘れて行動していた。
ふと我に返っても、行動は変わらない。
アホだ・・・

我に返った時、疑問が出る。
何故、あんなオッサンを追いかけるのか?
(故師匠の事です、すいません・・・)
疑問が出ても、すぐ忘れて追いかける。
やっぱり、アホだ・・・


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「迷想中・迷走中・444」

2022-03-22 21:57:51 | Weblog


ある気功師・50

親子といえども痛みは共有できない。
個体は別々な肉体だ。
想像できても共有はできない。
だから私が感じた、いや体験した痛み。
それは母と同じ痛みではないだろう。

同じではない痛みが移ってきた。
共有の証明はできないが共有したと直感した。
例えれば数千本の針を一度に刺された痛み。
心臓に悪いような痛みだった。
母の痛みは、こんなに強いものだったのか。

その痛みは受ける痛み。
いきなりの衝撃の感覚。
だが、それだけではなかった。
手から、というより指から何かが出ている感覚もあった。
無感覚から突然の覚醒。
ある意味、私はこの日自分が気功師だと信じる事ができた。

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