水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・1367」

2024-09-30 21:11:04 | Weblog


ある気功師・978

「セルフヒーリング」

質問2
「自分で自分にも氣功治療ができるか?」
答え
「できるよ」(そ、そっけない答え・・・)

これは立場によってセルフヒーリングの意味が違う。
氣功は基本的には誰でも出来る。
運転や泳ぎや話と同じだ。
誰でも(基本的には)話せるし泳げるし運転できる。

教えてくれれば、異国語も水泳も運転もできる。
自力で出来る人もいる。
しかし出来る事と「プロ」は次元が違う。
上手く出来れば「プロ」になれるわけじゃない。
(最近はあらゆる分野でシロウトとプロが混在している)

氣功のソース(大元)によって大きな差があるが、
基本的には誰でも自分で自分を氣功治療できる。
一般的な中国気功は「自己の氣」をソースにする。
自分で自分を回復・保健するために使う保健氣功。
中国気功は充分ではないが、適していると思う。
(医療氣功への応用は単純に適しているとはいえない)


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1367」

2024-09-30 21:10:14 | Weblog


ある気功師・978

「セルフヒーリング」

質問2
「自分で自分にも氣功治療ができるか?」
答え
「できるよ」(そ、そっけない答え・・・)

これは立場によってセルフヒーリングの意味が違う。
氣功は基本的には誰でも出来る。
運転や泳ぎや話と同じだ。
誰でも(基本的には)話せるし泳げるし運転できる。

教えてくれれば、異国語も水泳も運転もできる。
自力で出来る人もいる。
しかし出来る事と「プロ」は次元が違う。
上手く出来れば「プロ」になれるわけじゃない。
(最近はあらゆる分野でシロウトとプロが混在している)

氣功のソース(大元)によって大きな差があるが、
基本的には誰でも自分で自分を氣功治療できる。
一般的な中国気功は「自己の氣」をソースにする。
自分で自分を回復・保健するために使う保健氣功。
中国気功は充分ではないが、適していると思う。
(医療氣功への応用は単純に適しているとはいえない)


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1366」

2024-09-29 21:13:23 | Weblog


ある気功師・977

「セルフヒーリング」

間違いだから病気になるだけでなく、
更に素晴らしくなる為に病気になる。
これ・・・よく観ると、同じなのだ。
だからブッちゃんの看破した通り、
人は平等に「生老病死」がセットで付いている。
生老死と病は同じなのだ。

私流の言い回しなら、
「この世は経験する為にある」
正誤や正邪もあるかもしれないが、
そういう事と無関係も多々あるのだ。

この世では有限の生命だ。
全てを体験・経験できないが、
基本的な経験は誰でも出来る。
それが「生老病死」だ。
だから私のような欠陥人間も超高尚な人も「病」はある。
グレちゃん(グレートサムシング)は、偉い人とアホな人を差別しない。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1365」

2024-09-28 21:15:17 | Weblog


ある気功師・976

「セルフヒーリング」

体と心に悪い(不調和な)モノを食べ、
体と心に傷つける生活習慣を平気でし、
神を畏れぬフトドキな言行をして、
当然の結果として病気になる。

不調和を行えば病気になる。
いや、行っただけでは病気にならない。
不調和を続けるから病気になる。
これも事実なのだ。

しかし病気はそれだけじゃない。
ブッちゃんだって腹を壊して入寂した。
人間だから、死ぬにはキッカケが必要だった。
より高いレベルに上るにはキッカケが必要だ。
高くなくても次に進むにはキッカケが必要となる。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1364」

2024-09-27 20:47:27 | Weblog


ある気功師・975

「セルフヒーリング」

ここのマハリシの最後が「癌」だった。
当時の私は何故病気になったのか不思議だった。
しかも意識と関係の深い「癌」
(癌は特に意識と係わる病症状なのだ)

これほどまでに自然と調和した生き方をして、
霊性を浄化し昇華した。
そして地元の人達への大きな利他行をした。
それでも事実として「癌」になった。

今は理解できる。
「病気」は間違うから起こるのではない。
必要だから起こるのだと。
例えば、私の病気と聖者の病気はレベルが違う。
だが人間としては同じように起こりうる。
誰でも病気は起こるようになっている。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1363」

2024-09-26 21:04:58 | Weblog


ある気功師・974

「セルフヒーリング」

〇〇年前に南インドに行った。
アルナーチャラ山という聖地に登った。
インドの聖地は裸足という約束がある。
上り口で靴を脱ぎ、裸足で登った。

ほとんどが岩の山だったが、岩が温かい。
多分・・・遠赤外線が豊富だったようだ。
裸足での登山は、これから先も無いと思う。
かなり上の堂まで私はハイテンションだった。

この山は「マハリシ」と称される聖者がいた。
「マハ」は偉大という意味だ。
「リシ」はある境地に到達したヨガの称号だ。
つまり「マハリシ」は個人名じゃないが、
そう呼ばれる聖者は少ない。
ここのマハリシは「裸の聖者」と呼ばれている。
一生を半裸で過ごしたからだ。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1362」

2024-09-25 21:01:52 | Weblog


ある気功師・973

「セルフヒーリング」

「生老病死」には大きな意味と仕組みがあったのだ。
やはりグレちゃんはタダモノではない。
(グレちゃんとはグレート・サムシングという偉大な御方
この世界を創った存在というか、仕組みというか)

創造主にむかって畏れを知らぬ、この書き方・・・
アホな私ではあるが、ズルい計算もできる・・・
何故かというと、グレちゃんは、そんな事で腹は立てない。
腹があるのか、どうかも判らないけど・・・。

神さま、創造主、というのはとても太っ腹だ。
腹があるのか、どうかも判らないけど・・・
何を言っても、何をしても怒らない。
罰も与えたりしない。
罰という概念も、多分、無い、と思う・・・


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1361」

2024-09-24 21:06:08 | Weblog


ある気功師・972

「セルフヒーリング」

生老死の三つは納得できる。
誰でも生まれ、成長・老いる、そして死を迎える。
でも「病」は間違わずに生きれば無いのでは?
そう解説している健康の達人達の本に納得していた。

達人であろうが所詮人間。
超偉人のブッちゃんと達人を比較する私が馬鹿だった。
ブッちゃんのいう事が理解できないからと、
理解しやすい人の解説を信じようとした私が愚かだった。

私は愚かなままだが、一応「プロ」になった。
「人を観る」のが仕事(ライフワーク)になった。
すると、「正誤」にこだわる事自体が間違いだったし、
「間違い」というのなら、人の存在自体が間違いだと知った。
更に100歩譲って、間違わないで生きられたと仮定しても、
「病」は起こるように仕組まれていたと気づいた。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1360」

2024-09-23 20:42:01 | Weblog


ある気功師・971

「セルフヒーリング」

人が真理を語るのは、通常はおこがましい。
だが、その例外が何人かいるものだ。
目覚めた人の意味を持つブッちゃん(仏陀)。
同じくイエスという称号のキリちゃん(キリスト)。
他にも何人もいるだろう。

例外はどんな場合もこの世ではある。
この世はヒネくれて創られている。
ヒネくれている、というのは「絶対」が無い。
だから、どんな場合でも希望があるのだ。
グレちゃん(創造主)は「愛」の形を「ヒネくれ」として現した。

そのブッちゃんが言った。
真理に近づいた超偉人の言葉だ。
「人には生老病死が必ずある」
私はこの事が長い間解らなかった。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1359」

2024-09-22 21:04:13 | Weblog


ある気功師・970

「セルフヒーリング」

よく訊かれる。
1・「病気にならないですか?」
2・「自分で自分にも氣功治療ができますか?」
3・「氣功で宝くじがあたります?」
4・「氣功でオナゴにモテますか?」
(4の質問は無いなぁ・・・)

それぞれが別の質問だから、別に答えよう。
1番は「もちろん病気になる」

ブッちゃん(ブッダ)という人がいた。
人として真理を観る事に最も近づいた一人だろう。
そこらの坊さんや学者さんの言う事は、
(悪気が無くても)(全く)あてにならないが、
ブッちゃんやキリちゃん(キリスト)のいう事は信用できる。
(注:宗教組織が引用するときは信用できない)


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする