水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

月餅・3

2005-09-30 21:51:28 | Weblog

ある人が大きな水晶球を買った。
すぐ故御師匠様に「氣入れ」を頼んだ。
これもツアーの利点だ。
普段は超忙しい御師匠様にお願いは出来ない。
そんな人が次から次へと購入品を持ち込む。
故御師匠様はニコニコと「氣入れ」をしていた。

今なら判る。
能力の強さではない。
(パワーの強さと勘違いしやすい)
本人の容量の大きさ、深さだ。
10年経って、やっとワシも観えた。
容量は「やわらぎ・優しさ」で増える。

御師匠様は「氣入れ」も速い。
数秒単位で仕上げていく。
ん?
御師匠様の手が止まった。

水晶球でもガラス球でも区別しない。
「氣入れ」はできる。
ワシも今では同じだ。
紙でも布でも板でも鉱物でも出来る。
ホンモノ、ニセモノ、どちらでも出来る。


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月餅・2

2005-09-29 23:12:49 | Weblog

この時のシンポジュウム最終日。
スタジアムに特設会場を作った。
外国人向け(ワシ等)だけに用意した土産品。
外貨稼ぎの真っ最中の中国だ。
高級品がかなり並べられた。

お、おい!
金に余裕のある暇人の外人ばかりじゃないぞ。
ワシのように借金を踏み倒して参加するのもいるのだ。
それでも、アレコレ見てまわった。
交渉次第で半分以下になる品物だ。

ニセモノの水晶球が並ぶ。
水晶を粉末状にして、鉛を加えて加工する。
同じ珪素でもガラスではない。
確かに水晶球だ。
でもニセモノだ。

中途半端に高い金額になっている。
これらは香港なども多かった。
水晶の事を学べは簡単に理解できる。
あれだけの大きさの透明な水晶球を作るには、
どれだけの大きく育った水晶原石が必要か。
それは世界でどのくらい見つけられるか。

ホンモノの大きな水晶球は特殊なのだ。
簡単に売られているようなシロモノじゃない。
怪しげな占い師がもてるシロモノじゃない。
水晶球側にだって、選ぶ権利があるのだ。


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月餅・1

2005-09-28 22:08:24 | Weblog

9月の満月、月餅の思い出。
11年前、1994年9月上海。
ワシは故御師匠様に随行して中国にいた。
国際気功シンポジュウムがあった。
もちろんワシは単なる参加者だ。

故関英夫先生や帯津先生や深野先生が一緒だった。
御師匠様や先生方は発表者やゲストだった。
故関先生とは成田空港で個人的なお話ができた。
ワシには、貴重な時間だった。
おだやかで、やわらかで、万物に興味をもたれる優しさ。
故関先生はワシの目指す方向となった。

二人の御師匠様も目指す方向。
ダライ・ラマ法王に敬服し、
マザー・テレサ聖女に平伏し、
ヒュギエイアを崇めたて、
若ぇね~ちゃん以外のオナゴを愛で、
犬もネコも妖怪も雑多な神様も抱きしめる。
ワシはこうして節操無いオトコとなる・・・。

ちょうど旧8月15日にあたっていたらしい。
満月の祭りだ。
中国でも特別な日だ。
月餅ってそういう日の御馳走だったのだ。

食べた。
!!・・・ポト!。
目からウロコが落ちた。
御師匠様達と出会って、何度ウロコを落とすのか。
ワシの目はウロコだらけだったのね・・・。
ウロコというけど・・・垢だったりして・・・。

メチャクチャ、う、美味い。
(もっとも、ワシは普段が粗食すぎるからなぁ・・・)
それまで日本で食べたのは月餅という名の御菓子。
モドキでもニセモノでもない御菓子。
だって、全く別物だからニセモノにもならない。

後から知った。
この日は中国の人には特別な想いがある。
だから作る時に「氣」が入る。
日本人が作るモノや日本向けのモノとは別物だ。
どんなモノでもホンモノと出会うのはラッキーだ。


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プラーナ・6

2005-09-27 22:37:25 | Weblog

「氣」もプラーナもワシの力じゃない。
ワシのモノじゃない。
ワシは他(神か何か知らん)のフンドシで相撲をとる。
まぁ誰だって自分のモノなんてほとんど無いけどね。
この概念はアボリジニやホピやナバホの人達に学ぼうぜ。

他のフンドシだから良く洗ってから使う。
洗うのはフンドシじゃない。
フンドシはいつも綺麗なのだ。
洗うのは、自分の汚れた体と心だ。
それがセルフヒーリングという事なのだ。
(解る人のみの説明だなぁ・・・)

プラーナは受けるモノ。
受けるモノは感謝するモノ。
感謝で濃く反映するモノなんだな。
「感謝」で活用できるようだ。
つまりプラーナの意識の方向は「感謝」だ。

プラーナを単純に生命エネルギーとすると、
感謝抜きにして受け取ろうとする。
しかも出来るだけ多く取り入れようとする。
元気になるぞ、健康になるぞ・・・。
欲張りは感謝知らず・・・。

入るのはプラーナでなかったりして・・・。
毒素の方だったりして・・・。
どちらも見えないからなぁ・・・。
どちらも一見力強くなるしなぁ・・・。
中途半端な呼吸法を覚えるからだ。
まぁ、他人の趣味ならモンクはないが・・・。

プラーナを入れる事より感謝する。
入れる事より、他に使う。
他に使っていただく。
愛は独占しようとしても無理だと思うよ。

あまり難しい事じゃないけどなぁ。
最初から自分のモノじゃないし。
自分の力でもないし。
ありあまるほど満ち溢れているし。
どうせ包まれているんだ。
力んで取り入れる相手じゃないぜ。


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プラーナ・5

2005-09-26 20:41:27 | Weblog

プラーナは・・・「愛」
そういう展開になるのか・・・。
まぁいい。
どうせ御筆先様の気まぐれだ。
なるようになる。

愛はアイダ。
愛は間。
間には愛が満ちている。
私と私以外の間。
心と体の間。
プラーナは満ちている。

何も心配ない。
存在している事は活きている事。
生きている事は活かされている事。
故御師匠様が言った。
「生きてりゃ大丈夫だ。何とかなる」

生きる事は活かされる事。
それは間にプラーナ(愛)がある事。
ならば、濃く反映させるのが回復になる。
闇・病からの回復・還元には「愛」が必要だ。

愛を使えない治療者はなぁ・・・。
国家試験で区別はできんなぁ・・・。
まぁ、他人の事はどうでもいい。
ワシの問題だ。
不マジメなワシの問題だな。

「愛」というと少し苦手だが、
プラーナなら何とかなる。
「氣」なら、もっと何とかなる。
何とかなれば、何とかなる。
あとは・・・グレちゃんにお任せするぜ。

「氣」使い。
使っているのやら、使われているのやら。
ワシの力じゃないから・・・わからん。
空っぽだから使える力だ。
力めば薄くなる力だ。

それでもプラーナは意識する。
力まないように意識する。
それには「いいかげん」が最適だ(と思う)。
プラーナもワシの力じゃないから安心だ。
ワシは妖しいオッサンだ(目指している)。
だが「氣」もプラーナも人事じゃない。


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プラーナ・4

2005-09-25 21:59:14 | Weblog


活かす元がある。
活かされる存在がある。
我々も活かされる存在の一つだ。
プラーナという概念。
活かされる存在という概念。

生命エネルギー。
宇宙エネルギー。
ワシも恥ずかしい説明をしていた。
今も変らぬアホだが、
アホと気づかぬアホの時代だった。

「氣」のプロ側になった。
プラーナを「氣」である、とはいわない。
言うかもしれないが、それはメンドウだからだ。
メンドウはコテに勝る・・・意味不明・・・。

だんだんとメンドウ菌が繁殖してきた。
・・・いいよ。なんでも。
表現の自由は守りたい・・・。
自由の女神ならいいが・・・
某アメリカにあるのは銃の女神だしなぁ・・・。
いったい、何がいいたいのやら・・・。
メンドウ菌が脳ミソで繁殖している・・・。

閑話休題。アカンは落第(意味不明・・・)
意識は「氣」やプラーナを左右する。
意識しなくても影響下にあるのだが、
意識は見えないモノを濃くするのだ。
濃ければ、更に影響が強くなる。
それだけだ。
だけど・・・違いは大きい。

「活かす元」
プラーナを意識すれば、活性する。
包まれる意識。
呼吸で取り込む意識。
生命は活性化して自然体になる。
自然体とは生命の活性化でもある。

プラーナの、もう一つの呼び名もある。
「活かす元」のもう一つの呼び名。
「愛」
この世の存在にはプラーナがある。
この世は「愛」で満ちて(包まれて)いる。

それにしても・・・
今日の雑記は、メンドウで満ちている・・・。


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プラーナ・3

2005-09-24 19:00:53 | Weblog

ヨガの龍村師匠の師匠、故沖正弘氏の言葉。
「生命即神」
この言葉が解けて気づいた事がある。
沢山、沢山、ある。
言葉一つの深さに溜息が出る。
畏れが出る。

その解けた一つに「存在」がある。
(もちろん一部しか解けていない)
存在の元に「氣」がある。
古代中国では「氣は万物の元」と表現した。
看破する人はどの時代でもいたのだ。

ワシは中途半端な知識で思っていた。
原子→素粒子→トップクォーク→氣
こんなレベルだけで「存在」を観ていた。
アホだもん・・・しょうがないじゃないか!

「見えない世界と見える世界の間」
そんな部分で「存在の元」を観ていた。
忘れていたんだな。
この世は物質界と非物質界でで成り立っている。

非物質界には更に多くの層がある。
多重構造で成り立っている。
それらを別々の層だと思い込んでいた。
物質界と非物質界。

「色即是空・空即是色」
固定概念で観ていた。
「生死即涅槃・煩悩即菩提」
ここにもヒントがあったのに・・・。
仏典の中、多くの答えがあった。
優しいなぁ・・・優れた人達は。

多重構造が溶け合っている。
そこまで親切に書かれていたのになぁ。
ワシ・・・素直じゃなかった。
一つ一つは無く、全て一体だった。
層は別々にあるのではない。

「見える世界」と「見えない世界」
違いは無い。
存在の元にはプラーナがあった。
存在の元は活かす元と溶け合っていた。

この世に存在する事。
この世に存在するモノ。
全て「活かす元」で成り立っている。
全て「活かされて」存在している。


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プラーナ・2

2005-09-23 22:45:13 | Weblog

このテーマはなぁ・・・。
少し抵抗あるんだよなぁ・・・。
ワシは一応プロだしなぁ・・・。
シロウトの機嫌取りは趣味じゃない。

それでも、いつか、どこかで書かなきゃ・・・。
誰がどんな書き方をしてもいい。
正誤を主張するのも趣味じゃない。
だが、ワシのとらえ方も公表しなきゃ・・・。
ワシの仕事(ライフワーク)に関係しているし。

アレコレ言い訳を書いてます。
少し「氣」が乗らないです。
どこから、どのように手をつけようか・・・。
カッコつけてもしょうがないのに、ワシらしくない。
そのくらい、書き難いテーマですわい。

サンスクリット語といわれてます。
そういわれれば反対する根拠も無いし・・・。
ギニア語でもサル語でも、何でもいいし・・・。
プラナでもプラーナでもプーラナでもいいや。
プータローは・・・ちょっと違うか・・・。
今となっては正しい発音も証明できんやろ?

プラーナとは宇宙エネルギーです。
生命エネルギーです。
氣です・・・。
こんな書き方でいいのなら・・・楽だ。
楽な生き方なら、立派なもんだ。
こういう解説者は立派な生き方をしている。
ワシも楽に書いてみたい・・・。

ワシは立派とはいえない。
立派でないとは・・・いえる。
お粗末とも・・・いえる。
自慢にゃならんなぁ・・・。
何がいいたいのやら・・・。

プラーナかぁ・・・。
わけがわからん「○○エネルギー」は論外。
「氣」も多種多様多段階があるし・・・。
そういう角度からは止めとこう。
他人の受け売り、コピーも趣味じゃない。

ワシ流の表現。
何とかならんか?
と、いうわけで・・・。
「活かす元」
どうだろ?
味の素というのがあったなぁ・・・



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プラーナ・1

2005-09-22 22:26:43 | Weblog

このテーマはなぁ・・・。
少し抵抗あるんだよなぁ・・・。
ワシは一応プロだしなぁ・・・。
シロウトの機嫌取りは趣味じゃない。

それでも、いつか、どこかで書かなきゃ・・・。
誰がどんな書き方をしてもいい。
正誤を主張するのも趣味じゃない。
だが、ワシのとらえ方も公表しなきゃ・・・。
ワシの仕事(ライフワーク)に関係しているし。

アレコレ言い訳を書いてます。
少し「氣」が乗らないです。
どこから、どのように手をつけようか・・・。
カッコつけてもしょうがないのに、ワシらしくない。
そのくらい、書き難いテーマですわい。

サンスクリット語といわれてます。
そういわれれば反対する根拠も無いし・・・。
ギニア語でもサル語でも、何でもいいし・・・。
プラナでもプラーナでもプーラナでもいいや。
プータローは・・・ちょっと違うか・・・。
今となっては正しい発音も証明できんやろ?

プラーナとは宇宙エネルギーです。
生命エネルギーです。
氣です・・・。
こんな書き方でいいのなら・・・楽だ。
楽な生き方なら、立派なもんだ。
こういう解説者は立派な生き方をしている。
ワシも楽に書いてみたい・・・。

ワシは立派とはいえない。
立派でないとは・・・いえる。
お粗末とも・・・いえる。
自慢にゃならんなぁ・・・。
何がいいたいのやら・・・。

プラーナかぁ・・・。
わけがわからん「○○エネルギー」は論外。
「氣」も多種多様多段階があるし・・・。
そういう角度からは止めとこう。
他人の受け売り、コピーも趣味じゃない。

ワシ流の表現。
何とかならんか?
と、いうわけで・・・。
「活かす元」
どうだろ?
味の素というのがあったなぁ・・・



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弘法は・・・8

2005-09-21 20:42:40 | Weblog

【空海】
お前ぇ、バカだろ。
バカは考えちゃダメだ。
バカは小せェ事、考えるんじゃねェ。
小さくまとめるのは、小利口がする事だ。
人間はバカか小利口しか居無ェんだからな。

バカは限度が無ェんだ。
小理屈、使うんじゃ無ぇぞ。
どうせバカなんだ。
常識にとらわれるなよ。
他人の目なんざァ、気にするタマじゃ無ぇだろ。

【ワシ】
はぁ・・・おっしゃるとおりです・・・。
バカが小理屈使ってもサマにならない。
ワシの仕事は理屈を使ったら活かせない。
技や知識から外れたモノを相手にしている。
「生命」だけ観ていればいい。
ナニモノかが、手伝ってくれる。
空海さまは適切に優しい言葉を伝えてくれる。

【空海】
おい、「さま」は止めろよ。
他人行儀になると、波動が届き難いんだよォ。
お前ぇバカだから、オレと繋がって無ェとマズイだろ。
能が無ぇんだから、一人立ちできると思うなよ。

【ワシ】
はぁ・・・ごもっとも・・・。

というわけで、ワシは何の才能もありません・・・。
バカです。
ナマケモノです。
いいかげんです。
スケベです。
だから、空海は繋がってくれているようです。
ラッキーです。

【空海】
もう少しマトモなら世話ァしねぇんだ。
バカのくせに「生命の浄化」に手を出すからさァ。
しょうが無ェだろ。
オレは僧だし、行者は優婆塞(うばそく)だしよォ。
お前ぇ、バカでも身内みたいなものだしなァ。

【ワシ】
どうやら、ワシの仕事は治療者じゃないらしい。
そっち系統だったんだ・・・。
何となく近いとは思ってたけど・・・。
まぁ、何だっていいか。
ヘマがあれば、空海のサポートが下手ということで・・・。
(この畏れを知らぬ言い方はバチが当ると思う・・・)

【空海】
バカにバチを当てるヤツァ、居無ェよ。
安心しな。



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