水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・729」

2022-12-31 20:39:53 | Weblog



ある気功師・334

気功師になると理屈よりも感覚が優先する。
変なモノの気配も多少は気づく。
憑りつかれた人もだいたい判る。
何故憑りつかれたのかも、見当がつく。

それで瞑想の危険性に気づく。
危険性については、いろいろ書かれていたりする。
だが、頭では理解できないのだ。
知識としてしか理解できないのだ。
感覚で直面して解かる。

これは、ヤバイ。
だから、言える時には言う。
出来れば止めた方がいい。
精神世界は深入りしない方がいい。
瞑想は危険なんだ。


(本館は、HP「気の空間・氣功療法院」検索
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「迷想中・迷走中・728」

2022-12-30 20:31:15 | Weblog



ある気功師・333

「我」が自分を守っている。
その事に気づいたのは気功師になってからだった。
頭だけでは気づけなかった。
理屈だけでは気づけなかった。

「我」を無くす事が自分を高める。
「我」を無くすと、大きな何かが守ってくれる。
簡単に言えば、神様が守ってくれる。
物事が上手く進む。

全く解かっていなかった。
「我」を無くせば、簡単に変なモノに憑りつかれる。
瞑想状態になると、自動的に「我」が薄くなる。
だから安全な「場」でするのが大切だ。
あるいは、安全を保つ守護人が必要だ。


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「迷想中・迷走中・727」

2022-12-29 21:12:55 | Weblog



ある気功師・332

私も若い頃は勘違いしていた。
我を無くす事が成長する事だと。
今でもそういう事をいう半端な人が多い。
特に何らかの分野で成功した人だ。
そして「成功」が何かを深めずに使う。

我を無くすと、人間的に偉くなる、と言う。
だが、実は知っているのだ。
自分の我など無くなっていない。
小さくなどなっていない。
知らなければ、ただのアホだが・・・

人前では我を出さない。
いかにも我が少ないように振る舞う。
そういう小ずるいマネがエライ人は得意なのだ。
我が無いから、スケベではない・・・
エライ人は、嘘つきでもあるな・・・


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「迷想中・迷走中・726」

2022-12-28 20:16:29 | Weblog



ある気功師・331

瞑想もほとんどは真似事だ。
本当に瞑想出来る人は少ない。
仏教系でいうなら禅だ。
きちんと禅が出来る僧などほとんどいない。
だから、それでいいのだ。

真面目に禅や瞑想していたら変になる。
禅病というのは、真面目な僧がなる。
瞑想や禅でおかしくなるには理由がある。
危ない状況になるからだ。
瞑想や禅は危険だからだ。

瞑想は自分、我を薄める。
無くすなどできない。
だが我は自分を守ってもいる。
自分の心身を守っているのが「我」だ。


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「迷想中・迷走中・725」

2022-12-27 20:35:29 | Weblog



ある気功師・330

多くの人が勘違いする。
真実だかサトリだか知らない。
そんな幻を追いかける。
それは、まぁ、いい。
人間だもの、不出来な人間だもの・・・

問題は追いかける姿勢だ。
生真面目がいい。
真っ直ぐ進むのがいい。
真摯に求めるのがいい。
そういう間違い、勘違いが大きな誤りとなる。

精神世界というか、見えない世界は落とし穴だらけ。
落とし穴がセットなのだ。
それに、そういう世界に進むのは特殊な人だけなのだ。
普通の出来の良い人間が進む世界じゃないのだ。
そんな事も解らないで求めるから落とし穴に落ちる。

ただ落ちるだけならいい。
その人の落ち度で済む。
だが、大抵は多くの人を巻き添えにする。
多くの人を苦しめるのだ。
下手な宗教の真似事をして・・・


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「迷想中・迷走中・724」

2022-12-26 20:52:52 | Weblog



ある気功師・329

ナムギャル寺の広い講堂のようなところに静かに入った。
すでに多くの僧が読経している最中だ。
邪魔してはいけない。
私達は静かに静かに座って目を閉じた。

すぐに瞑想状態になる。
ということは、この場所は結界内だ。
私はアホでスケベだが、以前から瞑想をしていた。
気功師になるずっと前からだった。

今思えば危ない方法だった。
何も知らないで瞑想などするものじゃない。
今ならそう助言できる。
無事だったのは、私がいいかげん者だったからだ。
真面目だったら、簡単におかしくなっていただろう。


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「迷想中・迷走中・723」

2022-12-25 20:34:03 | Weblog



ある気功師・328

ダラムサラは高地だ。
天候もやや悪い。
滞在中は、いつも小雨模様な感じだった。
その為か、道端には日本では見ない大きなナメクジ。

朝から道で出会う人々との挨拶。
普通に言葉をかけてくれる。
主婦のような人達が多かった。
「タシデレッ(ク)」「ナマステ」

優しい挨拶は朝から元気になる。
こちらも優しくなる。
気持ち良くなる。
正しい言葉というのはアヤシイ。
だが、優しい言葉は生きる力になる。


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「迷想中・迷走中・722」

2022-12-24 21:06:27 | Weblog



ある気功師・327

翌日の7月7日。
日本ではタナボタといって、努力しないで幸運が訪れる。
棚から札束を抱えた明るく優しいややHな熟女が降りて来る。
未だにそういう他力本願で生きている私だ。
きっと私にはバチが当たるだろう・・・

朝早くから歩いて朝行に参加する。
ナムギャル寺という多くの僧がいる名刹だ。
もちろん通常では参加などできない。
これも法王の思いやりの歓迎の一つだ。

この法王の「おもてなし」の心。
実は仏教の本質にも通ずるものらしい。
私達のような下賤な者にも一切の分け隔てがない。
(下賤は、私と一部の人だけかも・・・)
法王は普段のしぐさにもこの「おもてなし」が溢れている


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「迷想中・迷走中・721」

2022-12-23 21:19:12 | Weblog



ある気功師・326

午後からはいつものチベット仏教講座。
やさしく面白く話してくれる、とはいえ・・・
高度なかなり深い話だ。
かなり集中しないと深さが解らない。

この頃には疲れや集中力切れから眠くなる人が・・・
奇跡のような講師だというのに最強熟女達は・・・
私はもったいなくて、眠くなることは無かった。
法王の教育係の高僧だぜ。
もう一生話を聞く事などありえない。

通訳のN原さん。
チベット語を勉強し、こちらに住んでいる。
更に仏教語でもあるサンスクリット語も。
通常の通訳では仏教専門語があるから出来ないのだ。
つまり、とても優秀で可愛い魅力的熟女なのだ。


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「迷想中・迷走中・720」

2022-12-22 21:10:26 | Weblog



ある気功師・325

午前中は祭り一色のダラムサラを見学した。
お寺の庭では身振り手振りを混ぜた問答があった。
日本の禅宗でも行う問答だ。
アホとは何か?
慧眼の側面なり・・・

一廻しすれば、お経を一回唱えた事になるマニ車。
かなりずるいというか、いいかげんというか・・・
だが唱えても何も解らないし変わらないなら同じか・・・
現に毎日お経を唱えるスケベで強欲な坊さんは多い。
聖書を唱える神父さんもかなりスケベで強欲だし・・・
それを信じる信者もかなりスケベで強欲だ・・・

あぁ、私は各方面から恨まれる・・・
口が、つ、つい、滑ってしまう。
これは・・・体質だ。
本気にしないで、無視して下さい・・・


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