水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「五感・23」

2007-04-30 23:02:32 | Weblog



五感で素直に生きる。
生きている事はそれだけでいい。
その為に生きている。
社会的な立派な行いは趣味でいい。
喜びの為に生きるのが優先だ。
社会的を優先する、というのは偽善か無知だ。
それを人に推し薦める人達は怪しい。
権威ある政治家や名の売れた自称文化人は怪しい。

生きるのは難しくない。
ブッちゃん(仏陀)もそう言った。
山や野のケモノ相手にそう伝えた。
それを聞いて目を覚ました里人が増えた。
評判が大きくなり、勝手に弟子が増えた。
頭デッカチの弟子達は「素直」になりきらない。
仏教は伝えられる過程で小難しい経に成り下がった。

嬉しい、楽しい、気持ちいい。
それを心掛けて生きればいい。
生きとし生けるモノ達の道だ。
外れれば苦しみがある。
それだけだ。

五感は誰でも道が判る様に付いている。
更に五感の先までオマケが付いている。
なんとも親切な仕組みだ。
さすが、創造主というのは偉いなぁ・・・。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「五感・22」

2007-04-29 22:18:09 | Weblog


感じる方向がある。
苦しむ感じ方と喜ぶ感じ方がある。
どちらの方向でも先に進める。
ワシは喜ぶ方を薦める。

喜びは進むと悦びになる。
悦びは進むと幸せになる。
(法悦という境地にもなるけど)
幸せを進むと自他の平和になる。
慈悲という思いやりが併用になるからだ。

五感と六感が同時に訪れる。
五感に幸せが付くと六感が目を覚ます。
極単純な仕組みなんだ。
難しい事はグレちゃんはしない。
五感で喜びを感じてくれ。


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「五感・21」

2007-04-28 21:43:19 | Weblog



感じる事の大切さ。
素直に感じる事の素晴らしさ。
それは自他の壁を融かす。
それは心の塊を融かす。

心で感じるのではない。
よく間違いやすいところだ。
身体で感じる事が大切なんだ。
すると心まで届くのだ。

更に深く感じる。
すると心の底まで届く。
底は他と共通の地帯がある。
ユングは集合無意識層と名づけた。

ただし・・・
この層はかなり厚いし深い。
層の表面まで行けたらいいとしよう。
そこから先は人間では無くなるかも。
ブッちゃんやキリちゃんになる役目の人は特殊だぜ。
層の表面を観るだけでも地球環境は調和できる。


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「五感・20」

2007-04-27 11:23:38 | Weblog



五感は何の為にあるのか?
この世にあるものは全て同じ目的だ。
グレちゃんはメンドウクサガリ屋だ。
いちいちモノの区別などしない。
モノの差別もしない。

多種多様なモノを用意したのは意味がある。
だが目的は全て同じだ。
創造主は・・・ワンパターンなのだ。
偉大になるほどメンドウはしない。
ツボを押えりゃ、他はどうでもいい。

目的は「調和」だ。
人的には「幸せ」だ。
グレちゃんは超優しい存在だ。
幸せ以外は何も望んでないのだ。


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「五感・19」

2007-04-26 22:53:36 | Weblog



五感を突き抜けた感性。
それは個人の感覚の壁が無い。
逆の表現をしよう。
五感はトンデモナイ能力を秘めていた。
五感は入り口だったのだ。

何度も何度もいう。
グレちゃん(創造主)はヒネクレている。
あるいは・・・シャレている。
あるいは・・・素直そのものだ。

肉体に秘められた能力。
肉体は個人に属していると思われていた。
だが、能力に触れれば理解できる。
肉体は個人のモノではない。
肉体はグレちゃんのモノだ。
(心は個人だと思う・・・)


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「五感・18」

2007-04-25 23:12:13 | Weblog



見えないモノも多種多様にある。
見えないモノと繋がればいいってわけじゃない。
ロクデモナイ存在と繋がっている人達も多い。
自称霊能者や占い師や教祖の多くは・・・

まぁ、自覚が無いから本心で信じている。
「私は○○神と繋がった・・・」
本音で言うから、信者も増える。
でもコマッタちゃんには違いないけどなぁ・・・。
教祖は狂祖や凶祖になりやすいんだ。
マトモな神なら、個人と繋がらない。
こんな当たり前が理解できない宗教が多いぜ。

こちらから、少しだけ触れる。
一瞬だけ触れる事がある。
一瞬だけ通路が繋がる事はある。
それを(マハ)リシ達がした。
リシ達はマトモだから教祖にはならない。
だからアーユルヴェーダには教祖がいない。


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「五感・17」

2007-04-24 23:19:16 | Weblog



戦後の教育では特に科学的が唯一のような洗脳をした。
だから未だに科学的を金科玉条のように論ずる人が多い。
お上の言う教育をマトモに信じて「鬼畜米英」を論じたように・・・。
お上より自然の方がマトモだぜ。
自然は穏やかな感覚で観えるものだ。
科学的だけでは不自然だと気づくのが当たり前。

国連をはじめ、欧米の真摯な学者が謙虚に論じる。
解らない事を正面から研究する。
それが科学の本来の姿だろう。
そのヒントとして「スピリチャル」という言葉を入れた。
WHOの「健康」の定義にも新たに増やした。
ホンモノの科学者も沢山いるのだ(当たり前だけど)

見えるモノの研究が専門の科学。
この世は見えるモノが主軸だとワシも思う。
だから科学は素晴らしいと思っている。
だが、この世は見えないモノも重複しているのだ。
科学は素晴らしいが、科学だけでは無理なのだ。
21世紀は、その点を調和できる時代のようだ。
ただし・・・人類が存続できていれば、だ。


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「五感・16」

2007-04-23 23:29:20 | Weblog



20世紀は科学の時代だった。
科学万能と思っていた時代だった。
だが21世紀になり、間違いに気づいた。
科学的思考は僅か200年の浅い歴史だ。
科学的思考が未熟でも仕方ないだろう。

それまでの人類の歴史だって間違いだらけだ。
それでも叡智の歴史の違いは歴然だ。
科学的だけが正しいとするのは迷信に近い。
科学は古(いにしえ)に追いついてなかった。

21世紀は科学と古の融合の時代となった。
20世紀の科学は目に見える部分だけを扱った。
だが、それでは不都合が多く生じたのだ。
それは20世紀の科学者達も分かっていた。
もちろん科学者といっても科学教信者の学者も多くいる。
未だに、実証検証以外は認めないという学者もいる。
学者というより、信者だろう。
学者という称号がウリモノのタレントもいる。


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「五感・15」

2007-04-22 20:58:34 | Weblog



リシと称号されるヨガ行者がいる。
尊敬される生き方への称号だ。
人々は「マハリシ」と讃える。
「マハ」は「偉大な」という枕言葉みたいなものだ。
マハリシは何人もいるが、そう多くはない。

そのリシが深い冥想で得た情報だ。
五感を超えた「直観」だ。
それらが集まりアーユルヴェーダとなった。
何一つ修正する必要がない情報だった。

アーユルヴェーダは修正の必要が無いが、
伝えられる過程で曲がる。
曲がるのは人の世の常である。
更に西洋式思考法が蔓延した。
裏付けが無ければ科学的でない、というわけだ。
元々科学的な発生じゃないのに・・・。
科学的の方が劣っているのに・・・。


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「五感・14」

2007-04-21 20:02:25 | Weblog



通常の学問は完成されない。
いつでも発展途上なのだ。
科学はいつでも発展途上だ。
科学を基礎にしている西洋医学も発展途上だ。
だから、日進月歩の研究がある。
毎日のように(仮)真実が塗り替えられる。

アーユルヴェーダは完成したまま生まれた。
その発生が伝えられている。
通常の学問の発生と違うのだ。
個人や組織の努力の賜物の学問ではないのだ。
何かと繋がり、そこからのデータだ。

仏教的には虚空蔵。
精神世界的にはアカシックレコード。
そういうモノと繋がったわけだ。
だから完成されていた。
未熟な人間の思考で作られたモノではないからだ。


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