水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
五感で素直に生きる。
生きている事はそれだけでいい。
その為に生きている。
社会的な立派な行いは趣味でいい。
喜びの為に生きるのが優先だ。
社会的を優先する、というのは偽善か無知だ。
それを人に推し薦める人達は怪しい。
権威ある政治家や名の売れた自称文化人は怪しい。
生きるのは難しくない。
ブッちゃん(仏陀)もそう言った。
山や野のケモノ相手にそう伝えた。
それを聞いて目を覚ました里人が増えた。
評判が大きくなり、勝手に弟子が増えた。
頭デッカチの弟子達は「素直」になりきらない。
仏教は伝えられる過程で小難しい経に成り下がった。
嬉しい、楽しい、気持ちいい。
それを心掛けて生きればいい。
生きとし生けるモノ達の道だ。
外れれば苦しみがある。
それだけだ。
五感は誰でも道が判る様に付いている。
更に五感の先までオマケが付いている。
なんとも親切な仕組みだ。
さすが、創造主というのは偉いなぁ・・・。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
感じる方向がある。
苦しむ感じ方と喜ぶ感じ方がある。
どちらの方向でも先に進める。
ワシは喜ぶ方を薦める。
喜びは進むと悦びになる。
悦びは進むと幸せになる。
(法悦という境地にもなるけど)
幸せを進むと自他の平和になる。
慈悲という思いやりが併用になるからだ。
五感と六感が同時に訪れる。
五感に幸せが付くと六感が目を覚ます。
極単純な仕組みなんだ。
難しい事はグレちゃんはしない。
五感で喜びを感じてくれ。
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感じる事の大切さ。
素直に感じる事の素晴らしさ。
それは自他の壁を融かす。
それは心の塊を融かす。
心で感じるのではない。
よく間違いやすいところだ。
身体で感じる事が大切なんだ。
すると心まで届くのだ。
更に深く感じる。
すると心の底まで届く。
底は他と共通の地帯がある。
ユングは集合無意識層と名づけた。
ただし・・・
この層はかなり厚いし深い。
層の表面まで行けたらいいとしよう。
そこから先は人間では無くなるかも。
ブッちゃんやキリちゃんになる役目の人は特殊だぜ。
層の表面を観るだけでも地球環境は調和できる。
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五感は何の為にあるのか?
この世にあるものは全て同じ目的だ。
グレちゃんはメンドウクサガリ屋だ。
いちいちモノの区別などしない。
モノの差別もしない。
多種多様なモノを用意したのは意味がある。
だが目的は全て同じだ。
創造主は・・・ワンパターンなのだ。
偉大になるほどメンドウはしない。
ツボを押えりゃ、他はどうでもいい。
目的は「調和」だ。
人的には「幸せ」だ。
グレちゃんは超優しい存在だ。
幸せ以外は何も望んでないのだ。
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五感を突き抜けた感性。
それは個人の感覚の壁が無い。
逆の表現をしよう。
五感はトンデモナイ能力を秘めていた。
五感は入り口だったのだ。
何度も何度もいう。
グレちゃん(創造主)はヒネクレている。
あるいは・・・シャレている。
あるいは・・・素直そのものだ。
肉体に秘められた能力。
肉体は個人に属していると思われていた。
だが、能力に触れれば理解できる。
肉体は個人のモノではない。
肉体はグレちゃんのモノだ。
(心は個人だと思う・・・)
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見えないモノも多種多様にある。
見えないモノと繋がればいいってわけじゃない。
ロクデモナイ存在と繋がっている人達も多い。
自称霊能者や占い師や教祖の多くは・・・
まぁ、自覚が無いから本心で信じている。
「私は○○神と繋がった・・・」
本音で言うから、信者も増える。
でもコマッタちゃんには違いないけどなぁ・・・。
教祖は狂祖や凶祖になりやすいんだ。
マトモな神なら、個人と繋がらない。
こんな当たり前が理解できない宗教が多いぜ。
こちらから、少しだけ触れる。
一瞬だけ触れる事がある。
一瞬だけ通路が繋がる事はある。
それを(マハ)リシ達がした。
リシ達はマトモだから教祖にはならない。
だからアーユルヴェーダには教祖がいない。
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戦後の教育では特に科学的が唯一のような洗脳をした。
だから未だに科学的を金科玉条のように論ずる人が多い。
お上の言う教育をマトモに信じて「鬼畜米英」を論じたように・・・。
お上より自然の方がマトモだぜ。
自然は穏やかな感覚で観えるものだ。
科学的だけでは不自然だと気づくのが当たり前。
国連をはじめ、欧米の真摯な学者が謙虚に論じる。
解らない事を正面から研究する。
それが科学の本来の姿だろう。
そのヒントとして「スピリチャル」という言葉を入れた。
WHOの「健康」の定義にも新たに増やした。
ホンモノの科学者も沢山いるのだ(当たり前だけど)
見えるモノの研究が専門の科学。
この世は見えるモノが主軸だとワシも思う。
だから科学は素晴らしいと思っている。
だが、この世は見えないモノも重複しているのだ。
科学は素晴らしいが、科学だけでは無理なのだ。
21世紀は、その点を調和できる時代のようだ。
ただし・・・人類が存続できていれば、だ。
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20世紀は科学の時代だった。
科学万能と思っていた時代だった。
だが21世紀になり、間違いに気づいた。
科学的思考は僅か200年の浅い歴史だ。
科学的思考が未熟でも仕方ないだろう。
それまでの人類の歴史だって間違いだらけだ。
それでも叡智の歴史の違いは歴然だ。
科学的だけが正しいとするのは迷信に近い。
科学は古(いにしえ)に追いついてなかった。
21世紀は科学と古の融合の時代となった。
20世紀の科学は目に見える部分だけを扱った。
だが、それでは不都合が多く生じたのだ。
それは20世紀の科学者達も分かっていた。
もちろん科学者といっても科学教信者の学者も多くいる。
未だに、実証検証以外は認めないという学者もいる。
学者というより、信者だろう。
学者という称号がウリモノのタレントもいる。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
リシと称号されるヨガ行者がいる。
尊敬される生き方への称号だ。
人々は「マハリシ」と讃える。
「マハ」は「偉大な」という枕言葉みたいなものだ。
マハリシは何人もいるが、そう多くはない。
そのリシが深い冥想で得た情報だ。
五感を超えた「直観」だ。
それらが集まりアーユルヴェーダとなった。
何一つ修正する必要がない情報だった。
アーユルヴェーダは修正の必要が無いが、
伝えられる過程で曲がる。
曲がるのは人の世の常である。
更に西洋式思考法が蔓延した。
裏付けが無ければ科学的でない、というわけだ。
元々科学的な発生じゃないのに・・・。
科学的の方が劣っているのに・・・。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
通常の学問は完成されない。
いつでも発展途上なのだ。
科学はいつでも発展途上だ。
科学を基礎にしている西洋医学も発展途上だ。
だから、日進月歩の研究がある。
毎日のように(仮)真実が塗り替えられる。
アーユルヴェーダは完成したまま生まれた。
その発生が伝えられている。
通常の学問の発生と違うのだ。
個人や組織の努力の賜物の学問ではないのだ。
何かと繋がり、そこからのデータだ。
仏教的には虚空蔵。
精神世界的にはアカシックレコード。
そういうモノと繋がったわけだ。
だから完成されていた。
未熟な人間の思考で作られたモノではないからだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)