水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

家族の話・8

2005-03-31 21:07:32 | Weblog

我々(貴方)は何処に向かうのか?

「家族」という要素をヒントにすると、
ある事実が浮かび上がる。
生きとし生けるモノ達は家族の間に生まれ、
家族から一族へと広がる道の途中で生きている。

「生命」は「一つながり(縦の氣綱)」で連綿と続く。
枝分かれを繰り返して、繁栄する「生命の樹」
末広がりの形をして、滔々と流れる「生命の河」
我々は一つの超大家族の中に組み込まれている。

生きとし生けるモノが全て兄弟というのは比喩でなく、
「生命の家族」からなら、単なる事実なのだ。
この世はそれほど広くないのかもしれない。
生物はそれほど多種多様でないのかもしれない。

全生物のDNAの素は共通する4つの文字のみ。
組み合わせで分かれているが、同じ素なのだ。
人間だけが兄弟ではなく、生物の全てが兄弟なのだ。
天涯孤独な生き物はありえない。

ワシは「兄弟だから仲良くしろ」とは言わない。
単なる事実としてとらえればいい。
通路があるなら、使えばいい。
それだけだ。

「いのちの氣」は交流すると活性する仕組みだ。
「生命」は算数(科学)の世界ではない。
「氣」は科学法則にしばられない。
1+1=2ではない。
「エネルギー不変の法則」は当てはまらない。
「出会い」と「交流」は「いのち」を増やす。

「いのち」の低下から引き起こす様々な事件。
「家族」からでも「家族以外」からでも解決できる。
膨大に繁げった「生命の樹」の中にいる。
膨大なエネルギーの「生命の河」にいる。

目を開ければ、
手を伸ばせば、
「生命」に溢れている世界だ。
大丈夫。
皆、兄弟だ。

我々(貴方)は何処に向かう?

生きているだけで向かってくれている。
何も答えなくてもいい。
「生きとし生ける」(他を侵(犯)さない)
それが答えだと思う。


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家族の話・7

2005-03-30 20:20:46 | Weblog

我々(貴方)が何処から来たか?

一つの答えがここにある。
家族の間(愛)から生命が創られた。
この世に生まれる時に家族のいない生物はない。
一人ではこの世に来られない。
家族の間に生まれた・・・事実。
天涯孤独は心的に有っても事実ではない。

親が子を、
子が親を、
夫婦が、兄弟が、祖父母が・・・。
最近特に多くなった家族間の悲劇は、
通路を流れる「いのちの氣」の低下だと思う。

特殊な結びと通路を持つ関係故に、
「いのち」は家族に連動している。
一人では難しい状態でも家族の応援で乗り切れる。
しかし、家族の特殊性を理解できずにいると、
破壊の矛先は家族に向かってしまう。

思い出してほしい。
「氣綱」は「間(愛)」から創られた意味。
愛(分かち合い)で氣綱は太くなり、無関心で細くなる。
愛の逆は憎しみではなく、無関心なのだ。
細くなれば「いのちの氣」は流れにくくなる。
家族の応援が届きにくくなるのだ。

「いのち」の低下時には、不満・不安は暴力で誤魔化す。
対象とするのは、弱い相手か甘えられる相手。
「いのち」が低下しても、つながっている氣綱。
だから家族にすがる。
そして「いのち」の低下時に暴力は、
子供や女性や老人に向けることもある。

個々の原因探しをしても解決にならない。
ストレスは空気と同じにあるものだ。
そして妄想と同じに作れるものだ。
誰にでも、どんな時にもあるものだ。
それに左右されてしまう「いのち」の低下が問題なのだ。
回復・復活する方法の無知が問題なのだ。

家族の崩壊はありえないが、家族意識の無理解はある。
家族の特殊な能力を知らない故の無関心がある。
「個の時間・空間」を家庭に取り入れすぎた失敗がある。
「共通の通路」に完全な孤立(個立)はないのだ。
家族だけは・・・特殊な関係で創られている。

我々(貴方)は何処から来たのか?

いろいろな立場と段階で答え方が違うだろうが、
最終的に行き着く真意に違いは無いと思う。
「家族」という全てに当てはまる要素からなら、
それほど難しい問いではないだろう。


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家族の話・6

2005-03-29 20:05:52 | Weblog

「縦の氣綱(絆)」は親子にのみ創られる。
他のあらゆる関係と別な次元の関係となる。
「共通の通路」を持つという特殊な関係だ。
そしてこの特殊な関係を持たない生物もいない。
特殊は・・・普遍的なものだ。
この世の仕組みはヒネクレている・・・。

どんなに愛し合った男女でも「共通の通路」はない。
共通の根はあるだろうし、共通の思いもある。
「氣」の共鳴や時の同調(シンクロニシティ)もある。
だが常に開かれている「共通の通路」は親子のみ。
これが「親子における特殊な関係」となる。
そして、苦しみや幸せや生き方や肉体を左右する。

歪む事も修正する事も親子関係からならしやすいのだ。
難病や重病からの回復は親子関係がカギを握る事もある。
「共通の通路」で一生お互いに苦しむ事もある。
それは先祖や子孫まで影響することもある。
そして、いつでも今の貴方から修正する事もできるのだ。

「共通の通路」に流れるのは「いのちの氣」
最近の遺伝子解明情報を当てはめてみれば理解しやすい。
しかし今の科学では空間と時間に束縛されている。
「共通の通路」だから離れていても瞬時に影響するのだ。
時が経っていても、瞬時に変わる事もできるのだ。
この点は・・・まだまだ理解されてないなぁ・・・。
(先祖供養の本当の意味はここにあるのに・・・)

兄弟はそれぞれが親との「共通の通路」を持ち、
親がセンターの役目をしてつながっている。
「共通の通路」は親との「縦の直線(氣綱)」だから、
親とあっても兄弟同士の「共通の通路」はない。
しかし共通の親を支点としての通路があるので、
兄弟(姉妹)はかなり特殊な関係といえる。

同じ親でも流れる「いのちの氣」は別だ。
センター部分(親)次第で非常に似る場合もある。
兄弟でも、かなり違う場合もある。
生物(親)は様々な情報(遺伝子・氣)を内臓している。
流れる「いのちの氣」は似ているとは限らない。

ワシと本妻の間には豚児と豚子がいる。
似ているところもあるが、正反対な事も多い。
ワシは5人兄弟だ。
やはり共通の部分と大きく違う部分がある。

家族は「横の氣綱」と「縦の氣綱」の組み合わせ。
同じモノが流れ、同時に違うモノが流れている。
最近の悲惨な家族事件は「氣綱」の揺らぎが大きいと思う。
「家族」という特殊な関係の無理解が事件を引き起こし、
「氣綱」からなら様々な問題も解決できるのに、使わない。

「家族」という特殊な関係が何故あるのか?
それは「生きていく様々な問題」をやわらげる為にある。
意思という条件で結ぶ「横の氣綱」と、
無条件で共通する通路の「縦の氣綱」


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家族の話・5

2005-03-28 20:06:40 | Weblog

子(貴方)は何処から生まれたか?

家系図は智慧の応用図だ。
オトコとオナゴの「横の氣綱(絆)」の間からだ。
女親でも男親からでもない。
間から生まれている。

だからワシは「愛」はアイダ!
とシンプルに答える。
「愛」は「間」にのみ発生するし、間の無い物質はない。
この世は「愛」に包まれている。
(ちなみにワシの独善語録には、「恋」はコイダ!
「故意」な「好意」が恋だ、というのもある)

「愛」の無い子は最初から存在しない。
この世の「生きとし生けるモノ」は全て当てはまる。
「愛」から生またもの以外は、この世に存在できない。
今貴方がいるのなら、「愛」から生まれ「愛」に包まれている。
こんなの、当たり前のことなんだ。

ならば子(貴方)の親は誰か?

簡単でしょ。
「両親の氣綱」が本当の親であり、
両親はキッカケを作ったのオトコとオナゴだ。
子(貴方)はオトコとオナゴが介入したが、
本当の創り主(親)は間(愛だ)。
親(愛)のいない子(生物)はこの世にいないのだ。

ワシはキリストの言葉を解説しているわけじゃない。
単純な事実をいっているだけだ。
見えない世界からの事実を書いているだけだ。
キリちゃんは難しい言葉を話したのじゃない。
極当たり前の事実を話しただけだと知った。

親子関係に話を戻す。
子が回復する大きな要素として「縦の氣綱」がある。
「共通の通路」だから瞬時に影響する。
子にとっての親は生きている基盤でもある。

本当の親は(通常の)両親の氣綱の間(アイダ)。
両親の間がしっかりしていれば、
子にとっての基盤がしっかりしている。
不安定なら、子も不安定だろう。
地面が揺れる不安定を想像してみればいい。

これ以上のヒントはいらないだろうが、
肉体的や法律的に片親でも同じ事だ。
母子家庭でも父子家庭でも同じだ。
「氣」は時や空間に左右されない。
間(愛)があったから生まれているのは事実だ。
(心の感情より深い話をしているよ)

親は時を戻せばいい。
その時はしっかりしていたと思い出せばいい。
どんな状況下でも愛し合ったのは事実だ。
子にとっての基盤はその時に戻る。


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家族の話・4

2005-03-27 19:19:42 | Weblog

オトコとオナゴのツガイが一緒に暮らす。
特別な仲間として一緒に歩く。
そこにあるのは「夫婦縁」というやつだ。
(社会的な夫婦という意味ではない)
「愛」や「恋」と別次元の話だ。
愛してなくても、恋してなくても暮らせるし、
憎しみ合っても一緒に歩く事もできる。

更にいえば、一緒でなくても始まる。
一度だけの関係でも家族は始まってしまう。
ワシは「家族のあるべき姿」を指摘しているのではない。
単なる事実を書いている。
好き嫌いと別な仕組みで「家族」は始まるのだ。

「心の結び」と「氣の結び」は違う。
好き嫌いの「感情」や「恋」は心の結びだが、
家族は「氣の結び」で作られるのだ。
ワシももっと美貌な両親の子供が好みだったが、
美貌と貧乏を取り違えられた・・・。
貧乏が嫌でもないが、決して好みじゃない。
それに・・・飽きた・・・。

「氣の結び」での「体の結び」は形を創る。
「氣は万物形成の根源」なのだ。
新たな生命という形を創りだす。
それが「子孫」という未来だ。
今の貴方だ。
それを取り巻くのが「家族」というものだ。

「心の結び」での「体の結び」は、
満足度や幸福感(幸福と区別してね)の確認になるが、
形は創らないし、創れない。
形が出来たなら「氣の結び」があった証拠だ。
もちろん「氣の結び」と「心の結び」の比較は意味がない。
別次元同士を比べる事自体、無理がある。

家族は「氣のつながり」で出来ているが、
必ずしも「心のつながり」があるわけでない。
「心」は不安定な幻のようなモノ。
「氣」は万物の根元となる確かなモノ。

人と人はほとんどが「心で結ぶ関係」だ。
だから別離がある。
だが、家族関係は「氣で結ばれた」特殊な関係だ。
だから別離は出来ない。(心的な別離はある)
出来上がった家族の中で離婚は別離にならない。
嫌かもしれないが、法律や心とは別な次元の関係だ。

確かなモノの証明として「縦の氣綱」がある。
親子の絆(氣綱)は縦の線で表す。
「横の氣綱」は双方の意思によって結ぶ氣綱だが、
「縦の氣綱」は結び目の無い「共通の通路」だ。

最近になり、DNAとして科学が研究しているモノだ。
肉体が無くなっても切れる事のない「氣綱」だ。
古からの智慧に、少し科学が近づいている。
「氣」に科学が近づいてきた。

いつでも不安定の心を信じるわけにはいかない。
人の心は不出来なモノなんだ。
だが、家族は信じていい。
「氣」はウソも裏切りも出来ない。


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家族の話・3

2005-03-26 21:10:18 | Weblog

御筆先様の気が進まない。
ワシも気が進まない。
だからグレた文章でウロウロしている。
テーマの「家族の話」に乗り気にならない。
TVで毎日のようにニュースになっている、
悲惨な家族の話が発端だからだ。

でもねぇ・・・
たまには気の進まん事もしなけりゃなぁ・・・
家族を「氣」の立場から観る人は少ないようだし・・・
しょうがない、少しマトモに書くか・・・
イイカゲンだから時々「マトモ」にもなるのだ・・・

ワシは昨年、茨城県の小学校PTAで講演をした。
その時のテーマが「親子関係における「氣」の話」
閉じこもったり、殺傷するほど荒れる小学生を、
親として見詰めなおすヒントとして「氣」の立場から話した。
基本的には「家族関係の「氣」の話」だ。

「家族」というのは必ず夫婦から始まる。
例外は無い。
法律的な夫婦でなくてもいい。
オトコとオナゴのツガイだ。
途中からどちらか欠ける事もあるが、
始まりはツガイからだ。

家系図などで個人と個人を線で結ぶ。
その線を「氣綱(絆)」という。
あれは「氣」の「綱(通路)」で出来ている。
直線の横線がツガイの「氣綱」だ。
愛人が幾人いても、それぞれがツガイだ。
それぞれが直線の「氣綱」で結ばれている。

「横の氣綱」は結ぶ事でつながっている。
最初からほどけそうなユルイものもある。
嘗てしっかり結ばっていても、ほころびの氣綱もある。
最初ゆるくても、きつく結ばれていく氣綱もある。
細くなってしまったり、傷だらけの氣綱もある。

双方にそれぞれの氣綱があり、
お互いの意思で結んだのが「横の氣綱」だ。
だから意思が消えれば、ほどける事もある(別れ)。
ある意味、とても頼りない氣綱なのだ。
(意思が消えても、底でつながる事もある。
これがオトコとオナゴの不可思議な部分だ)

とても頼りない「横の氣綱」から始まるのが「家族」
「家族」は「一族」につながっている。
「一族」は全ての「人類」につながっている。
「人類」は「哺乳類」につながり、
やがて「生きとし生けるモノ」全てにつながっている。


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家族の話・2

2005-03-25 21:18:53 | Weblog

脳細胞の減少萎縮の話の方が面白いのだが、
今更テーマ変更するのもメンドウだし・・・。
この「メンドウ」という気持ちは萎縮している証拠だ。
脳は体で感じる事を判断し、反応する。
でも萎縮すると判断も反応も放棄する・・・。

ワシのナマケモノは脳の責任だったのだ。
根っからのナマケモノじゃなかったのだ。
少し・・・ガッカリ・・・。
まぁいい。
都合の悪い事は脳が責任とってくれればいいや。
ワシに言わないで、脳に直接言ってね。

脳は体に反応という指令をだすが、
体の行動の進行を随時チェックしながら、次の指令を出す。
ところがそんな細かいチェックは「メンドウ」になる。
すると思わぬ不意打ちのようなアクシデントが起こる。
脳細胞の減少萎縮は他人事じゃない(あ、当たり前か・・・)

オシッコが終わり、一物をパンツの中に収めてチャックを上げる。
ところが脳がサボると、終わり切ってないのに、
「終わったと思うよ」と無責任に収める指令を出す。
収めてから漏れる水分に戸惑うボク・・・
何故か、揺れる眼差し・・・

あるいは一物が収まり切ってないのに、
「多分、大丈夫だよぉ」とチャック上げの指令を出す。
可愛い一物ちゃんはイキナリ柔肌を凶暴なチャックに挟まれる。
ウッ!!い、痛ぇぇぇぇ・・・・
何故か、潤う眼差し・・・

このように脳細胞の減少退縮は冗談事じゃない!
ホントに痛ぇんだぞ。
ナマケモノでいいわけがない!
「いいかげん」でいいわけがない!
しっかり働け!
人生は勤勉と快便が大切なんだ!

ワシの普段の主張など信じるな!
(い、いや、信じる人はいないと思う・・・)
ワシはチャックを挟んだ瞬間から、
「脳細胞、しっかり働け推進キャンペーン」賛同者だ。
リラックスなどと、寝ぼけているんじゃねぇ!!
ワシは鬼コーチになって、脳にムチを入れる事にした。

ピシッ!(ムチの音です・・・)
ますますイジケルなぁ・・・。
どうやら、快感の伴わないシゴキは逆効果だ。
トントン!
力を抜いてムチを入れる。
うん、これなら何とか「その気」になるみたい・・・。

という事で、脳細胞復活刺激法としては、
軽く脳に振動が伝わる程度のムチがいいようです。

今日もテーマの「家族」から外れてしまった・・・。


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家族の話・1

2005-03-24 21:07:23 | Weblog

ワシの家族の話じゃない。
ワシ一人でも充分恥さらしなのに、
一族や家族の恥まで書くつもりは無いぞ。
ワシはオープン系のスケベだがノーマルだ。
露出趣味のマゾじゃない。
(注:政治家に偏見はあるが、性事に偏見はない)

広辞苑だか後楽園だか東京ドームだかで調べると、
「氣は万物形成・森羅万象の根元」と書いてある。
我家より大きなモノが言っているのだから異議は唱えない。
「寄らば怪獣の影」というではないか。
(かなり今日はハチャメチャですぅ・・・)

「氣」が万物・万象を創りだすのなら、
「氣」の立場からなら、何でも言えるし書ける。
どうせ読む人、聞く人だって判断はつかない。
一応プロのワシだって解らないのだから、オアイコだ。
(オアイコって、こういう使い方でいいんだぁ・・・納得!)

物質だけじゃない。
音も心も縁も「氣」の影響下だ。
ワシの性格も首相の無責任も「氣」の影響だ。
話が果てしなく広がって収集がつかなくなるのも、
全て「氣」の影響であり、「氣」が創りだす。
あぁ・・・もう・・・わけがわからない・・・
これも「氣」の影響なんだなぁ・・・(しつこい!)

ワシは遅い晩飯を食べながらTVを見ていた。
ワシは一日二食だ。
本妻は一日四食らしいので、夫婦バランスがとれている。
(夫婦バランスって、そうなんだぁ・・・参考になるね!)
最近は凄惨なニュースが多いが、世の中マヒしているみたい。

殺人事件は現実が小説やドラマを上回っている。
勝負していたら現実の勝ちだが、勝ちに価値は無い。
わけもわからず「勝ち組」編入試験なんて受けない方がいい。
人生に「勝ち」「負け」を持ち込むのは、
ちょっと生き方が狭すぎないか?
それぞれの人生だから、余計なお世話だけど・・・。

話が進まない・・・
何の話だっけ?
人間20歳過ぎから脳細胞は死滅する方が上回るとか。
笑うとある程度復活するが、いずれにしても減少する。

話の途中で言葉が出てこなくなる。
そのうち、話そのものが分からなくなる。
分からなくなった事を悟らせまいと、アレコレ話す。
ますます何の話だか分からなくなる。
「じ、じゃぁ、そ、そういうことで・・・」
人生は勝ち負けじゃなく、老化との順応かもしれないぞ。

そうそう、今日のテーマを見て思い出した。
家族の話だったのね。
でも時間がきたので、また明日・・・。
(明日になれば忘れているなぁ・・・)


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やさしくない話・3

2005-03-23 21:46:33 | Weblog

イラク人虐殺開始から2年経った。
あれは戦争じゃない。
最初から圧倒的な力の差がある。
普通に暮らす生活者を意図的に殺している。
親、子供、赤ちゃん、老人、病人を無差別に爆撃している。
「正義」という虐殺は今もイラクで続いている。

その前年にはアフガン虐殺があった。
そして虐殺参加国は知らん振りをした。
今回のイラク虐殺参加国も同じ振りをし始めた。
「この戦争はマチガイかもしれない」
爆撃してから言うセリフか?

戦争はいつだってマチガイなのだ。
そんな、当たり前さえ判断できぬ国が大声を出す。
子供や老人や病人の上から爆弾を落とす。
「力」を基準とする者達は大声を出す。
「力」で無理やり従わせる後ろめたさを隠す為に。

「力」の無い者達は、いつも小声だ。
その小声を聞く感性が(明るい)未来につながる。
声無き声を聞く「やさしさ」が平和を創る。
そんな、当たり前さえ解らぬ段階の人間達だ。
人類に未来があるか、かなり微妙だぜ。

ワシは根性無しの「いいかげん」な生き方をしている。
だが戦争を支持するような卑怯な生き方は出来ない。
他(人)を犯(侵)す者達の理屈は聞けない。
それで平気で暮らす度胸は無い。

解決、解放は「力」では出来ない。
当たり前だよねぇ・・・。
当たり前なのにねぇ・・・。
「力」は「理屈」で武装する。
どんな「理屈」でも簡単に作れる。
そんな薄っぺらな「理屈」が通る社会だ。

「智慧」でなくては解放できない。
当たり前だよねぇ・・・。
「智慧」は「やさしさ」で行動するもの。
「理屈」に「智慧」は内臓してないのだ。
当たり前だよねぇ・・・。

あの狂(凶)団やあの巨大狂(凶)国達。
共通点は「正しさ」という「理屈」。
「力」という基準での「行い」。
支えているのはマジメな信者だ。
(戦争を支えているのは、いつでも敬虔な○○教信者達だ。
そして卑怯な従者達(日本など)だ)

ワシは信者にケンカを売るつもりも買うつもりもない。
マジメが悪と思っているわけじゃない。
(騙されやすいのは事実だし、マジメを押し付けるのは迷惑だけど)
「やさしさ」が解決だと、小声で書いているだけだ。
自他共に楽に息をしたいから、言う。
争いは「やさしさ」で融(解)ける。

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やさしくない話・2

2005-03-22 21:06:27 | Weblog

独善なワシは常に言い、書く。
マジメ(硬い純粋)は自他を壊す。
あの連中がマジメでなかったら殺戮はしなかった。
事実として、不マジメの信者は存在しない。
狂(凶)人は社会に結構いるし、狂(凶)祖にもなる。
マジメは騙しやすいし、騙されやすい。

人の社会(組織)はどういう仕組みか、
人の社会の常識はどう作られているか、
素直になれば目が観える。
ある意思をもった組織を維持するには、
マジメな者達を利用するのが一番だ。
そしてマジメな者達を作り出す仕組みにする。

戦争はマジメじゃなければ起こらない。
争いはマジメじゃなければ起こらない。
マジメは実にたやすく「正しさ」に従う。
あの狂祖は「正しさ」で信者を集め、
「正しさ」の下で殺戮をしてきたのだ。
「正しさ」なんてどうにでも作れるのだ。

「人間は一時間先も解らんほどアホなんだ」
ならばどう生きるか?
多種多様な生き物、考え、生き方があるんだ。
「正しさ」が判断できないモノ達が集まった星だ。
それでも共生する方法がある。
「正しさ」を軸にしたらとても難しいが、
「やさしさ」ならば解決する。

自分(達)だけが「正しさ」を掴んだと思い込んだら、
他を導こうとし、従わせようとする。
「正しさ」にはその魔力がある。
そう「正しさ」は魔の力なんだぜ。
(こういうことを書くと各宗教組織からは、
ワシはサタンの仲間だと思われるかも・・・)

無血で社会を暮らしよくしようとした聖ガンディーは、
「ヨガ」という方法でインドを独立させた。
あの狂団が行った殺戮とは正反対だ。
「ヨガ」は自他が平和(調和)になる方法だ。
(自分の)能力を高める事を目的としたヨガは、
真髄の抜けたニセモノだと知って欲しい。

本来のヨガは「やさしさ」を学び、
「やさしさ」に変わる。
そこには「やわらぎ」と「やすらぎ」があり、
「正しさ」を求める「厳しさ」は無いのだ。
(段階があるが、ここでは無いとしようね・・・)

ヨガの達人、ブッちゃん(仏陀)のセリフを思い出そう。
「厳しい修行は害にはなるが、他の益にはならない無駄な道だ」
未だに自分(達)の為に厳しく修行している信者がいる。
そのマチガイから多くの人の命を奪ったのに、
未だ気づかないで修行する信者がいる。
TVに映った信者達の顔はマジメだった。
困ったもんだなぁ・・・。


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