水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「家族・29」

2008-12-31 20:44:27 | Weblog



何処かの島では村が大家族制だ。
村人全てが家族意識だ。
嘗て、世界中が似たような暮らしだった。
もちろん日本の縄文時代も似ているだろう。
そうでなければ生きていけない環境でもあった。

家族が多い、広い、深いのは幸せに影響する。
家族は血縁じゃないし、契約でもない。
家族意識のことだ。
近代、現代、今。
家族は少なく、狭く、浅くなりつつある。

他を家族と思える意識。
少しでも広がると、もっと暮らしよくなる。
聖人でも悟人でもないから、全て家族にするのは無理だろう。
それでも、好きな人達が増える。
家族、身内に思える人達が増える。
それは、生きていくのに、とても大切な鍵となるだろうなぁ。

                                 
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「家族・28」

2008-12-30 19:44:07 | Weblog



家族は囲われている組織じゃない。
縛られているわけでもない。
親子、兄妹、夫婦という関係はある。
だが、それだから家族というわけじゃない。
親子、兄妹、夫婦がバラバラの家族もあるのだ。
それは、家族とはいえない。

各々が自分の意志で家族の一員となる。
その一員の自覚があって、甘えられるのだ。
自覚が無ければ、甘えは横暴となる。
単なる我侭は、益々貧弱な心になる。
もちろん子供の時期を除く。

甘えられる空間。
それは貴重な場所だ。
人間は弱い心、未完成の心の持ち主だ。
それを隠し、表面に出さずに生活する。
社会生活に甘えは迷惑なのだ。
とはいえ、何処かで甘えを出さなければ歪む。
甘えられる家族は貴重な存在になる。

                                 
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「家族・27」

2008-12-29 22:41:45 | Weblog



家族。
家の一族。
血縁だからじゃない。
結婚したからじゃない。
家族と認めたからだ。

守護し、守護される意志。
身内という意識。
自分の身と同じという意識。
家は心の家。

意識ある限り、絆は切れない。
意志ある限り、離れない。
いつでも、何処でも、繋がっている。
家族は大切なモノじゃない。
家族は大切にするモノなのだ。

                                 
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「家族・26」

2008-12-28 19:45:45 | Weblog



家族が家族意識から生まれる。
血縁で繋がれた縦糸もある。
そのDNAの部分もある。
ある、が・・・
家族は意識が優先するのだ。

血縁が無いオトコとオナゴが元。
だから血縁が無い親子も同じ。
縦糸に血縁を絡ませたのは説明しやすいからだ。
本当は血縁も関係ない。

特にオトコは本当の血縁など解らない。
我が子、と思う意識が親子となる。
我が家族、と思う意識が家族をつくる。
血縁があっても憎しみの関係しかもたない場合も多いのだ。
憎しみ関係は、家族とはいえない。


                                 
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「家族・25」

2008-12-27 18:47:42 | Weblog



家族は確固たる絆だと思われている。
だが、意識で繋いでいる関係だ。
血縁で繋がれているわけじゃない。
家族の崩壊は実に簡単に起こる。

意識は脆い面と強い面がある。
意識が続く限り、何よりも強い。
血縁よりも法よりも理よりも強い。
家族はとてつもなく強固な絆でもある。

縦糸に血縁がある。
横糸に他人がある。
広さに共に暮らす動物達がいる。
家族意識があれば、猫や犬も強固な絆だ。

                                 
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「家族・24」

2008-12-26 21:58:27 | Weblog



家族は家族意識から生まれる。
家族は家族意識が育てる。
家族意識は共にいる時間が生む。
共に暮らす時間が家族を育てる。

血の繋がりが無いオトコとオナゴ。
子供が居なくても家族。
だがオトコとオナゴが居なければ家族が生まれない。
家族の基本は血の繋がりが無い。
この事実は大きな意味を持つ。

共に暮らす。
共に生きる。
その意識が家族の元となる。
家族はある意味、とても脆い関係でもある。

                                 
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「家族・23」

2008-12-25 21:00:06 | Weblog



子供が一人で生きられるまで育てる。
人間はその期間が長い。
約15年。
昔でいう元服の頃。
今は18~20年(社会的な保護期間)だ。

保護、育成期間が家族意識となる。
例えば魚は短い。
家族意識もほとんど無いだろう。
祖父や祖母意識も無いだろう。

例えば象。
成獣になるまで期間がかかる。
その為群れで生活する。
家族意識がある。
祖父や祖母の認識もあるだろう。
(推測でしかないけど・・・)

                                 
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「家族・22」

2008-12-24 21:51:44 | Weblog



家族の核。
出発点。
それが夫婦。
あるいは・・・夫婦同様関係。

今の日本の結婚制度なんて最近だ。
結婚届けなんて最近の時代からだ。
結婚という形態は歴史が浅い。
日本でも世界中でも同じだ。

特定のオトコとオナゴが一緒に住む。
時には一緒にさえ住まない。
それでも家族の核になった。
子供が生まれる。
育てる家や環境が発生する。
オトコとオナゴは協力して守る。

                                 
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「家族・21」

2008-12-23 21:50:02 | Weblog



子孫は誰にでもいる。
だが、固定概念が強いと解り難いかもしれない。
社会的な常識とは違う子孫だ。
生命の広く大きな川を意識すれば解る。
本当の子孫は誰にでもいる。

血が遠くなると身内意識は薄くなる。
先祖も子孫も離れると薄くなる。
核家族化が進むと、ますます小さくなる。
身内意識は、時代や個々で変わるのだ。

血縁が「家族」の大きな柱だ。
だが、柱は一つじゃない。
血縁以外も家族になる。
何よりも、夫婦は血縁じゃないのだ。

                                 
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「家族・20」

2008-12-22 22:44:17 | Weblog



子孫(未来)は誰にでもいる。
子孫とは血の繋がりだ。
大きな川の水の一部が自分なのだ。
自分の前後左右にも同じ血が流れている。

社会的な子孫だけにこだわらない事だ。
真の子孫は誰にでもいるのだ。
アナタに流れる血はこの先も受け継がれている。
アナタは祖先でもあり、子孫でもある。
川は全て身内だ。

祖先のいない生物は存在しない。
同じく、子孫のいない生物も存在しない。
種の全てが絶滅するまで、先祖も子孫も存在する。
「家族」の先祖と子孫。
その中心にいるアナタ。
アナタは大きく広い「家族」に包まれている。

                                 
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