水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

貧乏道・2

2005-05-26 20:56:29 | Weblog

ワシには兄も姉もいる。
社会的にマトモな兄もそうでない兄もいる。
もちろん魂の兄弟姉妹もいるが、
その話は怪しく、妖しくなるのでここではしない。

「貧乏道は社会から落ちこぼれる事を旨とせよ」
家訓というものは誰かが守るものでもある。
貧乏道宗家某亜流水上一族末裔のワシだけじゃなく、
幸いにして姉も貧乏道を歩み、世間から外れた。
未だ芽の出ない陶芸家として生きている。
(ワシよりも社会的認知度は高い・・・)

姉は同世代の女性達の悩みや迷いの受け皿になっている。
(ヒマだからだ、などと指摘してはいけない・・・)
同世代は女性の更年期の真っ最中だ。
それぞれ、様々な原因や理由があるようだ。
人と人を同じように比べて論じる事はできない。

その姉と貧乏道について話す事がある。
「貧乏の御蔭でこうしていられる。感謝だわ。」
ある意味、健康で幸せな今の状態を言ったものだ。
女性の更年期なんて係わっているヒマがない。
独身で貧乏だもの・・・。

(一緒にいる老母も貧乏ではボケていられない。
母は社会的常識が確りある性格なので、
息子や娘を安心して見ることができない。
我家では痴呆になる要素さえないのだ
貧乏道を歩む子達は、親不孝であり、親孝行なのだ)

世間から外れる、ということは、
世間的な視線も受け付けないということだ。
世間的には惨めな状況に見られようとも関係ない。
世間を気にしながらでは、幸せを得るのは難しい。
貧乏道は幸せの一方法なのだ。

どんな道もある程度進むと、見方が変わる。
世間的に外れているから評価は気にしないが、
世間の見方が近頃変わってきているようだ。
貧乏な我家を羨ましがる人達が増えてきている。
ワシや姉を羨ましがる言葉が増えてきている。

世間は・・・間違っている。
つくづく、そう思う。
世間が羨ましがるのは、
ワシや姉を取り巻く「幸せ」が欲しいからだ。
その欲しがる姿勢を最初に手放すのが貧乏道なのだ。

「幸せ」であろうと「幸運」であろうと、
「生きがい」であろうと「健康」であろうと、
自分のモノにする事から離れて貧乏になれるのだ。
お金や財産を捨てれば幸せになれるわけではない。
貧乏道はシンプルであるが、難しいのだ。

その姉やワシの一致した意見がある。
「もう、貧乏にも飽きたねぇ~」
棚からぼた餅と抹茶とケーキと珈琲を待っている。
といって、貧乏道から外れたわけではない。
努力して、ケーキと珈琲を買うつもりがないのだ。
(そ、それって、単なるナマケモノじゃん・・・)


(本館は http://iiki.desu.jp/  「氣の空間・氣功療法院」
コメント
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