水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・880」

2023-05-31 20:40:36 | Weblog


ある気功師・485

1998年3月、三年間通った龍村道場を卒業した。
遊んでいたわけではないが、収入はほとんど無い期間だった。
いや、今でも収入は無いな・・・
私はお金が入る事に真剣になれない・・・

お金は足りない。
必要だ。
お金は欲しい。
とっても欲しい。

それなのに、真剣になれない理由がある。
元々職人気質だ。
仕事は真剣にやる、が金の為じゃない。
その思いは今でもある。


(本館は、HP「気の空間・氣功療法院」検索
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「迷想中・迷走中・879」

2023-05-30 20:48:15 | Weblog


ある気功師・484

正しさなんてどうでもいい、とは言わない。
だが優先するのは優しさだ。
優しさは易しさであり、柔らかさでもある。
優しさや柔らかさを優先し、基準にする。
すると正しさにこだわらなくなるだけだ。

優しさと柔らかさを優先する。
それは生命を優先する事と同じになる。
世の中で大義を振っているのは正しさ。
それは生命を大切にしていない証拠でもある。

政治も行政も教育も宗教も正しさを前面に押し出す。
マスコミも正しささえ言えばいいと思っている。
戦争も双方で正しさを主張し合っている。
本当に苦しみ、弱い立場はそんな事は求めていない。
輝く未来には正しさなんて必要ないかもしれない。


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「迷想中・迷走中・878」

2023-05-29 20:23:00 | Weblog


ある気功師・483

マザーテレサが正しさよりも優しさを優先した出来事。
毎日だが、一つのエピソードがある。
ある時、多くの国から表彰式があった。
そしてその祝賀会の事だ。

テーブルの上には御馳走が満載。
マザーテレサは言った。
「今日は私の断食の日です」
主賓が食べないのだから、誰も食べられない。

主催者は困った。
「では、飢えている多くの子供達に配って下さい」
そういって、マザーテレサは会場を後にした。
舌を出し、笑って・・・


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「迷想中・迷走中・877」

2023-05-28 23:52:37 | Weblog


ある気功師・482

まぁいいか。
今更私のようなアヤシイのが何を言っても聞かないだろう。
大地震でも起きて、日本が本当に危機になったら。
もしかしたら、立ち上がる生命力が湧くかもしれない。
そういう意味では大地震を経験している東北が一番希望ある。

ストリートチルドレン、ストリートヒューマンが多いインド。
だから子供が多く生まれ、生命力が溢れる国。
見せかけの裕福は生命の衰退につながる。
そんな事もわからないのかなぁ・・・

私は貧乏で厳しく苦労する国になれ、といっているのではない。
夢や希望がある、あるいは求める国ならば、と指摘しているのだ。
楽に稼ぐ事ばかり求めるところに夢や希望が生まれるわけがない。
そのくらいは、気づいてくれよなぁ・・・


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「迷想中・迷走中・876」

2023-05-27 20:03:49 | Weblog


ある気功師・481

少子化の改善は政治家では無理だろう。
御用学者や御用専門家でも無理だろう。
生命の専門家、御用でない専門家。
社会制度も大切だが、基礎は性なのだ。

性の改革は意識の改革。
社会意識の改革であり、本来への回帰だ。
もともと日本は明るい性意識だった。
それが戦争を行う度に抑圧管理した。

そして敗戦しアメリカのキリスト教的道徳。
正しさとか個性より民意とかにシフトした。
その結果が世界でも底辺に近い性の衰弱だ。
性の衰弱は、その民族の衰弱。
未来を作る事を放棄しているのと同じなのだ。


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「迷想中・迷走中・875」

2023-05-26 20:25:37 | Weblog


ある気功師・480

最近流行のコスパ。
そもそも流行を追いかける事自体が生命の衰退につながる。
その上のコストパフォーマンス。
誰かの真似をする事が一番良いと思い込む。

私もアホだが、もしかしたら日本人全体ではマシかも。
コスパ、コスパと何も考えずに追従する。
生命が衰弱すれば、少子化など当たり前だ。
コスパで子作りなどするわけがない。

生命が衰退するのだからセックスも弱くなる。
子供手当などで少子化が改善するわけがない。
子供がどんどん生まれる背景は、生命力の旺盛だ。
戦後の何も無い時の復興の生命力。
手当どころか、食べ物だって不足している頃だ。


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「迷想中・迷走中・874」

2023-05-25 20:28:59 | Weblog


ある気功師・479

生命の活性には特徴がある。
肉体も心も柔らかいほど輝く。
柔らかいとは自由の事だ。
生命は自由が好きなのだ。

法律だろうが常識だろうが縛られるのは嫌いだ。
正しいとか無法とかにも縛られたくない。
デタラメばかりの生き方も真面目といえる。
デタラメにこだわっているからだ。

他にもある。
自分の足で進む事で生命は輝く。
どんなに優れた人の示唆でも、そのままでは衰弱する。
つまり、正しさなんて人真似なのだ。
参考にしても、結局は自分で判断し自分で歩くものだ。


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「迷想中・迷走中・873」

2023-05-24 20:55:03 | Weblog


ある気功師・478

もう一つ。
正しさは、優れた誰かが見つけたモノ。
それを聞く耳は持った方がいい。
だが、そのまま鵜呑みにしていいのか?

それが正しくとも、自分で見つけた道ではない。
この世に生を受けたのは正しき道を歩くのが目的ではない。
正しさを売り物にするのはアヤシイ人や組織だ。
私もそうだが、人は不出来でスケベで欲や嫉妬など満載だ。

そんな人に正しさを押し付けるのは虐待だぁ・・・
正しさは一つの指標だろう。
一応認めても、自分の足で進むのが人生だろう。
人は間違え、後悔し、苦しみ、悲しみ歩く。
だから、嬉しさ、楽しさ、愉しさ、幸せを感じられる。


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「迷想中・迷走中・872」

2023-05-23 21:13:24 | Weblog


ある気功師・477

この説明は言葉不足になりがちだ。
様々な事には道がある。
食でも生き方でも道がある。
先達からの智恵で手本の道がある。

私は道を知り、そのまま歩く事に異を唱えているのではない。
道は千鳥足の方が結果的に愉しい、としているのだ。
生真面目に真っ直ぐ進むと、少しの角度で別な方向にいく。
千鳥足はフラフラしながら、方向を大きくズレない。

生命は正しく真っ直ぐ早く進むよりも愉しい方が輝く。
道を知っても、その道を広げよう、としている。
道の端には結構面白いモノや出来事があるよ、としている。
決してデタラメを勧めているわけではない。


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「迷想中・迷走中・871」

2023-05-22 20:45:37 | Weblog


ある気功師・476

この事に気づいてから柔らかさの大切を話すようにしている。
深い病の人は真面目な人に多い。
私の母もそうだった。
それも正しさにこだわる人に多い。

社会的、世間的には評価される。
科学的や論理的にも正しいだろう。
だが、生命的にはこだわりは害になる。
といって、デタラメは生命的にも害になる。

いや、多少ならいい。
肉体的、精神的、社会的に害のある事。
少しならあったほうがいい。
大事なのは、柔らかく、こだわらず、そっと少しだけ。
デタラメを真面目に実行すれば破滅するのは間違いない。


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