水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷説般若心経・147」

2007-12-31 18:17:58 | Weblog



  第十二章(10)
  無智亦無得 以無所得故

物欲は比較的コントロールが出来る。
物質を所得しても、いずれ飽きるのだ。
肉体欲もコントロール出来る方だ。
食欲や性欲なども一定量で満足できる。
物欲、肉体欲に付随する感情も何とかなるだろう。

だが、精神欲は盲点となる。
精神向上だから欲ではないと勘違いする。
精神(魂)を高めるのだから、浄化だから、と理屈する。
学ぶ事はいい事、正しい事だから、と正誤を持ち出す。
生活を離れる事が害になると気づかないまま突っ走る。

ブッちゃんは、落とし穴に陥るタイプに注意した。
魂を進化しようとする人達だ。
八っつぁんやクマさんは心配ないが、救い難いのが修行僧達だ。
そして本気で信者になってしまう、キマジメタイプだ。
他の生物達の調和を乱しているのに気づかない。
正しさを押し付けて、争いをするタイプだ。
結構、困ったちゃん達なのだよ。

             
       
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説般若心経・146」

2007-12-30 18:41:47 | Weblog



  第十二章(9)
  無智亦無得 以無所得故

心は「欲しがる」ように出来ている。
欲しがるな、というのは無理がある。
「無所得」は所得を無しにする、というのと違う。
「無」は無しではなく「こだわらない」だ。
所得にこだわらない。
これなら、何とかなるんじゃないかな。

「欲しがってもいいけど、こだわるなよ。
所得してもいいけど、こだわるなよ。
この世はいつでも無常に出来ているんだ。
必ず変化するんだぜ。
所得しても、し続ける事は絶対出来ない仕組みだぜ。」

「まぁな、形あるモノが所得なんて出来ないけどな。
心ってヤツは勘違いが得意だからよ。
一時的に出来るって思ってもいいけどよ。
ず~と続ける事は出来っこ無ぇぜ。
続けようとすると、苦しみが生まれるんだよ。」

             
       
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説般若心経・145」

2007-12-29 19:21:20 | Weblog



  第十二章(8)
  無智亦無得 以無所得故

「所得」は「自分のモノにしたがる心」だ。
無所得になると、地球は楽に暮らせるようになる。
ネイティブアメリカンの酋長が嘗て言った。
「この地球の何一つ、誰も自分のモノではない。
我々は、少しの間、少しの場所を借りているだけだ。
それを忘れた時から争いが始まる。」

それを忘れた開拓民と称する侵略者が北米大陸に押し寄せた。
今では、その規模を世界中に伸ばしている。
いつでも、争いで「所得」したがる国になった。
腰巾着の某日本という国をしたがえている・・・。

ブッちゃんは言った。
身体も生命も借り物だ。
何一つ所得する事は出来ない。
所得できると勘違いすると「苦」が生まれる。
それは「智恵」も「サトリ」も同じだ。
何一つ、所得は出来ない。

             
       
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説般若心経・144」

2007-12-28 18:21:20 | Weblog



  第十二章(7)
  無智亦無得 以無所得故

サトリに惑わされない。
すると般若が観えてくる。
気づけば、当たり前なんだけどなぁ。
毎日、暮らしているんだぜ。

「般若」と「サトリ」を混同しやすいようだ。
特に精神世界スキスキ人間に多い。
般若はそんなに特殊じゃないぜ。
普通の暮らしの中で活かすモノだ。
誰でも使えるモノだ。

サトリは特殊になりたがる人達用だ。
人それぞれだから、それもいい。
だけど万物向きじゃない。
万物は千差万別だけど特別じゃない。
大切なのは、万物用の方なのだ。
             
       
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「迷説般若心経・143」

2007-12-27 21:06:44 | Weblog



  第十二章(6)
  無智亦無得 以無所得故

修行と称して一般生活を離れる。
特別な場所、特別な方法で修行する。
自分は特別と思い込む。
それらは、生半可の生き方だ。
そこから得るモノは役に立たない。

ブッちゃんは嘗ての修行から学んだのだ。
特殊な修行は無駄であり、害があると学んだのだ。
大切なモノは、暮らしの中から気づくモノだ。
大切なモノは、真偽や正誤とは別なモノだ。
真偽や正誤を追いかけると、暮らしから離れてしまう。

般若といわれる楽な心(智恵)に触れて欲しい。
それは、通常の暮らしの中で活かせるからだ。
特別な立場や層になる為じゃない。
衆生やケモノや妖怪達までが活用できるモノだ。

「サトリを得る、なんてツマラン生き方は止めろよなぁ」
ブッちゃんは、落とし穴にハマる人達に優しく諭したのだ。

             
       
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「迷説般若心経・142」

2007-12-26 19:58:38 | Weblog



  第十二章(5)
  無智亦無得 以無所得故

「所得故」は前の「智得」にかかる。
所得の意味が判れば、言葉として当然前になる。
ブッちゃんやゲンちゃんは優しい。
優しいから、注意点を強調した。
特に弟子達用に語った箇所だ。

「サトリを欲しがる心(所得)にこだわるなよ(無)
そう(こだわらない)なれば(以故)
サトリ(得)とか、至る方法(智)とかにも
こだわらなくて(無)いいのさ」

衆生やケモノや妖怪達には、あまり関係ない箇所だ。
自分が優秀になりたい僧やエリート意識達に語ったのだ。
ブッちゃんは、不肖の弟子達にも優しいんだなぁ・・・。

「サトリ」を得たい、っていう心から離れろよなぁ。
そうでないと、何も、何からも解放でき無ぇぞ。
            
       
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説般若心経・141」

2007-12-25 18:23:22 | Weblog



  第十二章(4)
  無智亦無得 以無所得故

ワナの一つは「得」と「所得」だ。
別々に書いてあるのだから、違うモノだ。
なのに大抵は同じに訳す。
字から判断すれば、同じようなモノだ。
心経は字で判断するとワナにはまるのだ。

なにしろ「サトリ」を「得」と表現しているのだ。
「所得」は通常の所得の意味じゃない。
「所」は(欲)心のことだ。
「所得」は「サトリを求める心」だぜ。
すると、ブッちゃんの言いたい事がよくわかる。

ワナのもう一つは「故」だ。
この後に続く言葉にかけてしまうとワナにはまる。
何故なら、後の言葉にも「故」が付いているのだ。
「~故に」と訳すと、言葉にならない。
ならないのに・・・「~故に~故に」と訳す人が多い・・・。

            
       
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「迷説般若心経・140」

2007-12-24 20:59:49 | Weblog



  第十二章(3)
  無智亦無得 以無所得故

「以無所得故」がヒネってある。
大抵はここでワナにはまる。
ワナを仕掛けたのは、もちろんゲンちゃん(玄奘)だ。
イタズラ坊主というのは、マトモに経を書かない。
マジメが続かないから、時々「遊び」を入れるのだ。

ところが、訳す人達はマジメな人が多い。
しかも、学もある。
当然、ワナにかかりやすい。
知識が多く、マジメな人は騙されやすいのだ。
あまり、学校の勉強ばかりマジメにするなよ・・・。

ワシはラッキーな事に不マジメだった。
しかも学もない(イイカゲンな学はある方だ)。
しかも、しかも、ヒネクレた性格だ。
当然、ワナにかかるほど御人好しではない。
むしろ、ワナを仕掛けて書くのは好きな方だぜ。
だからゲンちゃんやブッちゃんのワナにはかからない。

           
       
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「迷説般若心経・139」

2007-12-23 23:43:46 | Weblog



  第十二章(2)
  無智亦無得 以無所得故

「得」は「サトリ」を指す。
それがどんなモノかは、誰も知らない・・・。
(ワシ的には「ヤキトリ」の方が役に立つと思う
「シャッキントリ」は嫌われる鳥だ・・・)
誰も知らないけど、あこがれる人達は多い。
得た、と断言する人もたまにいる。
ほぼ間違いなく、勘違いか詐欺だろう。

どんなモノか知らなくても、想像は出来る。
「サトリ」を得たなら、何もしないだろう。
人間ではいられないかもしれない。
少なくても、それを利用して組織など作らない。

「サトリで皆さんを助けたい」などとは言わない。
そういう事を言う人は、腹が黒いものだ。
腹が黒いと・・・金儲けが上手くなる。
ワシも毎日黒くなるように努力している。
しかし・・・努力の才能が無ぇからなぁ・・・

          
       
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「迷説般若心経・138」

2007-12-22 19:08:34 | Weblog



  第十二章(1)
  無智亦無得 以無所得故

無智では何も得られない。
だから財産(所得)も無い貧乏だ。
・・・ワシの事か・・・ 
というような安易な解説はやめよう・・・

「智も無く、それを得る事も無い。
得る事が無いから、得るモノも無い」
こういう解釈は小学生に対しても恥ずかしい・・・。
ワシの前記の解説より酷いと思うのはワシだけか?

この「智」は普段の生活に使う智恵ではない。
「サトリ」という鳥を捕まえる為の智恵だ。
精神世界スキスキ人間が、やたら欲しがるようだ。
極めて、マニアックなレアものの鳥だ。
毎日、生きていくには、ほとんど、役に立たない智恵だ。
ブッちゃんも若気の至りの頃、追いかけた・・・。

          
       
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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