水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「無と空・36」

2009-03-31 20:02:37 | Weblog



人智を超えた相手の理解の仕方。
人間の段階での理解の仕方。
それは「決めつけることが出来ない」という事だ。
当たり前なんだなぁ・・・

人間の法則は当てはまらない。
一部しか理解できない。
ワシ流の表現では「いいかげん」だ。
ワシは「決めつけられない」と表現した。
単に、当たり前の事をいった。

この世界は、常に変化している。
そして、常に安定に向かおうとしている。
変化と安定の同棲生活・・・
それは「調和」という生活方式だ。

             
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「無と空・35」

2009-03-31 11:12:23 | Weblog



「空」という概念。
この世の仕組み。
それは決して「法則」ではない。
「法則好き好き人間」には不満だろうが・・・

何かに気づく時がある。
それは、一つの扉なのだ。
それなのに、全体を観たと勘違いする。
こ、これは!○○の法則だぁ!!!

冷静になってみよう。
確かに人間の段階で理解できる法則がある。
だが、それを人智を遥かに超えたモノに当てはめるかぁ?
この世とは、人智を超えているのだ。
自然や生命や神も超えているのだぜ。

             
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「無と空・34」

2009-03-29 20:49:17 | Weblog



愛とは○○だ。
よく聞くセリフだ。
だけど○○だけじゃない。
人間の心や体や魂も含むが、もっと大きい。
簡単に○○だぁ!と決め付けられない。

「調和(空)」も同じだ。
固定概念の調和では説明できない。
自然と置き換えてもいい。
生命と置き換えてもいい。
その現れ方は「いいかげん」だ。

自然は「いいかげん」なのだ。
生命は「いいかげん」なのだ。
決してデタラメではない。
そして、窮屈な法則にも縛られてない。

             
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「無と空・33」

2009-03-28 22:29:07 | Weblog



その「無」が「愛」だとバレた。
ならば「空」も正体を明かそう。
「いいかげん」の正体だ。
「愛」に匹敵する正体だ。

「空」は、この世の仕組み。
「いいかげん」が、この世の仕組みだ。
別名を「調和」という。
「空」は「調和」のことなのだ。

「愛」は、とてつもなく大きい。
深くて、広い。
あるいは、高くて、厚い。
とても一面だけで説明しきれない。
アリが象を説明するように。

             
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「無と空・32」

2009-03-27 23:01:25 | Weblog



「いいかげん」だから「こだわらない」
空はこの世の仕組み。
無は自分の生き方。
この世の生き方をブッちゃんは伝えたのだ。

正しい生き方を伝えたのではない。
楽な生き方を伝えたのだ。
苦しみが少なくなり、あるいは無くなる方法だ。
それが「無」という生き方だ。

なぜ「無(こだわらない)」という生き方か?
それは、この世の仕組みが「空(いいかげん)」だからだ。
空と無はお似合いの愛人同士。
(夫婦とは違うぞ)
束縛も契約も無いけど、深く理解しあえる間柄だ。

             
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「無と空・31」

2009-03-26 16:15:50 | Weblog



無の話が続いた。
つ、つい、説明してしまった。
ワシは未熟だなぁ・・・
本当はどうでもいいのに・・・

題に空も書いた。
ならば、空についても書こう。
ついでだ・・・。
無と空は深くつながった愛人同士。

ワシは心経の解説をした。
無を「こだわらない」。
空を「いいかげん」と訳した。
だが、無が「愛」の一面だったのだ。
ならば空にももう一つの面がある。

             
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「無と空・30」

2009-03-25 21:08:59 | Weblog



まぁキリちゃんの言葉は誤解されやすい。
でもメンドウクサガリ屋のキリちゃんだ。
いちいち説明しなかっただろう。
理解してもらえる事にも「こだわらない」。
布教なんて思ってもいなかったろうな。

「無」の実践者。
ブッちゃんやキリちゃん。
だから愛の人。
だから無の人。
だから、こだわらない人。

ワシ流の表現なら、いいかげんだ。
デタラメじゃないぜ。
いいかげん。
やわらかく、調和している姿だ。

             
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「無と空・29」

2009-03-24 21:37:19 | Weblog



キリちゃん(キリスト)が言った。
「全て愛しなさい」
生真面目な弟子達はそのまま伝えた。
そのまま教会が教えとした。

愛の意味や内容を理解せずに伝えた。
だから、ほとんど無意味な教えとなった。
「全てを愛する」
固定概念の愛で、それを実行できる人はいない。
無理やり実行に移そうとする人達はいる。
でもなぁ・・・病気になるぜ。

キリちゃんは「こだわらない」実行者だ。
だから出来る。
「全て、いいかげんにやろうぜ」
これなら、意味が通じる。
実際は、そう言ったんじゃないかなぁ。

             
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「無と空・28」

2009-03-23 22:21:48 | Weblog



「愛する」を狭くみていた。
愛する対象に、特別な「何か」を寄せる。
つまり愛する相手には、何らかの「こだわり」を持つ。
愛する人には、愛さない人と差別する。
愛する人には贔屓する。

ところが・・・
「無」が「こだわらない」で「愛する」行いだ。
愛する相手には、何も特別な事はしない。
というよりも・・・
「こだわらない」で関われる相手が「愛する」対象となる。
ワシは目からウロコ状態だ。

今まで「愛する」と思っていたのが浅いと知った。
それも「愛」かもしれないが、浅い愛だ。
何も特別が無い行い。
それが、深く広く高い「愛」なんだなぁ。
い、いや、当たり前の「愛」なんだな。

             
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「無と空・27」

2009-03-22 18:37:52 | Weblog



本妻愛人人妻にこだわらない。
犬猫妖怪幽霊にも(それほど)こだわらない。
政治家詐欺師ヤクザにもこだわらない。
依頼されれば、誰でも同じだ。
ワシは氣功中(仕事中)だけは、無に近い。

だからこそ、依頼されなければ手(氣功)を出さない。
無節操だが、デタラメではない。
ワシの生き方がある。
こだわりじゃないが、プロとして生きている。

多分・・・愛深き人達は24時間だろう。
365日だろう。
誰にも、どんなモノにも、見えないモノにも同じ。
こだわらず、同じく関わっているのだろうなぁ。
ワシには、もちろん出来ないし、そこまでするつもりもない。
仕事中(氣功中)だけで充分満足している。

             
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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