水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
カルテ番号 な・10（7）
翌日、約束時間に現れた院長は思ったよりも若かった。
どうすればいいかと訊いたら、楽な姿勢で横になれればいいという。
同じ姿勢が疲れたら、動いてもいいという。
話はしながら出来るので、何でも質問してかまわないという。
何だか話しやすい感じなので、千代はリラックスして横になった。
そして、今までのいきさつを話した。
「そうですか。急な出来事でしたね。
自分ではそれほどでないと思っていても、やはり負担だったと思いますよ。
心は意識する、しないにかかわらず嘘をつけます。
行いも、表情も作ることができます。
でも、肉体と氣は嘘がつけません。
いえ、詳しくいえば、短い期間は誤魔化せますが、やがて現れてしまいます。
不調はやはり負担だったせいだと思いますし、変な病ではありませんよ」
千代は負担とも思っていなかったが、ひとまず安心した。
「私は子供もできなかったのに、夫には申し訳ない気持ちはあります。
そして今後暮らしていける財産を残してくれたことには感謝しています。
でも先生、私は夫が亡くなっても悲しいとか淋しいとか思えないのです。
私は薄情な人間なのでしょうか？」
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（過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
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カルテ番号 な・10（6）
ある日、友人が訪ねてきて世間話をしていた。
その時、県北の治療院の話が出た。
気功治療だという。
友人の知り合いが治療を受け回復したのだという。
単に元気になっただけでなく、毎日が前向きで明るくなったという。
それを聞いて、千代は興味が湧いた。
出張してくれるので、病の重い人や病室にいる人も受けられるらしい。
千代は重い病ではないが、受けてみたいと思った。
その話に、千代の中の何かが反応しているようだ。
来てくれるなら、連絡したいと言った。
何気ない話に千代が反応した事が、友人を驚かせた。
連絡先を聞くと、千代は自分で連絡すると言った。
予感、のようなもの。
これで変われる、という期待。
何事にも淡々としていた千代が珍しくドキドキして電話をかけた。
「わかりました。明日伺います」
詳しい事も聞かずに、その院長はあっさりと言った。
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カルテ番号 な・10（5）
千代が一人になると、友人や近所の人が訪れるようになった。
夫の介護をしている時は、訪問し難かったのだろう。
そして不幸があった人に、同情や何らかの手助けをする気持ちも自然なのだろう。
人は一人では生きていけない。
だが、社交的ではなかった千代は、有り難いが、うっとうしいとも感じていた。
私は不幸なのだろうか？
私は不運なのだろうか？
確かに夫が亡くなったのは悲しみだろう。
でも私の中では、それほど大きな悲しみとは思えない。
生あるものは必ず死ぬ。
この世は、悲しみの世界なのだろうか？
一人になり、千代はいろいろな事を考えるようになった。
考えるというより、解らなくなった。
とはいえ、今更宗教の問答や悩み事相談も受けようとは思わない。
世間知らずかもしれないが、それらが悩みを解決できるとは思えない。
解決していたら、悩みを持つ人はほとんどいないだろう。
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カルテ番号 な・10（4）
心配だから一応の検査を夫がかかりつけだった病院で受けた。
結果は異常無し。
体重、血液、脳波、尿、すべて理想的な数値であった。
精神的疲れでしょう、と医者は言った。
安定剤をもらったが、飲みたくなかったのでそのままにした。
やはり、夫の急死がこたえているのだろうか？
自分的にはどうしてもしっくりこない。
夫の状態は、いつ急死してもおかしくないと以前から聞かされていた。
何度も、何年も聞かされていたのだ。
精神的には覚悟ができていたと思う。
現に、夫が亡くなった悲しみや淋しさはほとんどない。
夫婦というが、夫婦はそれぞれだと思う。
長年暮らして、精神が溶け合う夫婦もいるだろう。
逆に長年暮らして、精神が離れていく夫婦もいる。
千代の場合は、明らかに後者だった。
夫婦としていろいろな補助は受けるのも、手伝うのも当たり前だと思う。
だから介護も少しも嫌とか思わなかった。
だが、精神が溶け合う、あるいは離れるのは別なことだ。
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カルテ番号 な・10（3）
「平気よ。急にあの人の介護疲れから解放されてとまどっているだけ」
そう言ってみるが、あきらかに体調が悪い。
「こんなに広い家で一人では淋しいわよね」
そうだろうか？
今までも特に心の交流があったとは思えない。
淋しさには慣れていると思っていた。
あいまいに頷いてみせるが、そういうこととは違う。
「私も歳だから疲れも出るわよ」
とはいえ、中田千代は１０歳以上若く見える。
出産経験が無いからだろうか、体型もそれほど崩れていない。
血圧やその他の検査でも、実年齢より２０歳は若いといわれる。
病気や怪我で病院に通ったこともない。
歯もブリッジが一つだけで、入れ歯ではない。
今後についても、経済的には一生心配ない。
健康だけ心配りをしていればいい。
介護で５年間は旅行にも行かなかったが、行きたい所は沢山ある。
何をするにしても自由なのだ。
ただ、一番肝心な体調がすぐれない。
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カルテ番号 な・10（2）
大きな葬儀だった。
元の会社関係者が取り仕切ってくれた。
慌ただしく、様々な用事が通り過ぎた。
気がつけば、３ヶ月経っていた。
やっと、自分が戻ってきた。
だが、以前と違う自分だった。
体調が悪いと思った。
孤食には慣れていたが、食事が美味しくない。
定時には眠くなって、朝まで寝ていられたのが狂っていた。
眠いのだが、上手く寝つけない。
夜中に目が何度も覚める。
朝方、暗いうちからは眠れない。
当然、昼間はだるい。
社交的でない千代には友人が少ない。
本当の友達などいないのかもしれない。
それでも気にかけて連絡してくれる人もいる。
時には訪ねてくれる人もいる。
「大丈夫？」
大丈夫と訊かれて、大丈夫ではないとは言えない。
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カルテ番号 な・10（1）
中田千代、７５歳。
現在独身、一人暮らし。
持家有り。家というより屋敷と表現できる大きさだ。
４ヶ月前に夫が急死した。
布団の中で夜中に心臓が止まったらしい。
朝になって、眠っているままの姿で安らかな表情だった。
夫は大手の会社の役員までして、７3歳で引退した。
会社員時代から宴会その他で毎晩のように飲んでいた。
引退も糖尿病が重くなってきたからだった。
足と目が不自由になり、以来５年間、千代が介護をしていた。
家事や介護は千代に向いている仕事だった。
子供ができなかったせいもあるのか、夫の世話をするのは好きだった。
とはいえ、夫自身が好きかと問われれば、考え込んでしまう。
会社や外では評判が良い夫だったが、家庭では威張っていた。
理不尽な要求もしてきた。
それでも嫌いではなかったが、好きとはいえなかった。
そんな夫だったが、亡くなってしまうと大きな穴が空いたようだった。
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カルテ番号 あ・28 ５度目（8）
ところで、と風間陽水は愛田恵子に訊いた。
「その店、オーナー名義は愛田さんになっているのですか？」
「ダミーは使っているわ。
でも国家権力が本気で調べれば簡単に判るわよ。
私も報告だけ聞いて、顔は出さないでいるわ。
今までのクラブから、ふさわしい人に教えているだけ」
風間陽水は少し考えて言った。
「信頼できる人に売ってしまいましょう。
完全に手を引いた方がいいでしょうね」
「そうする。
立ち上げた時点で私の役目は済んだし。
また、金儲けの好きな銀座の少し変わったママの振りをしているわ」
社会の黒幕達は通常の感覚の人達には目をつけない。
金儲けが好きな振りをしていれば、ある意味安全なのだ。
理想だけ追いかけているだけも、安全なのだ。
理想を現実化できる能力や財力や人脈が怖いのだ。
黒幕達の目指すものの邪魔になる。
だから芽のうちに潰す。
それは危険な抹殺も含まれる。
風間陽水のような人嫌いな貧乏人は、何を考えていても目に留めない。
だが愛田恵子のような存在は、その行動次第で危険なのだ。
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カルテ番号 あ・28 ５度目（7）
現人間の寿命は１００歳が基準だろう。
そして人間社会の権力者達は６０歳以上。
平均は７０歳以上だろう。
人は自分の寿命を基準にして計画を立てる。
まして現実界の欲の対象になるものなら、生きているうちに手に入れたいのだ。
つまり欲得がらみでも５０年先を見ている権力者はマレだ。
口では１００年先、などというが３年先さえ読めぬ者の戯言だ。
愛田恵子の夢物語の会員制の店。
条件を一つだけ加えればいい。
それで権力者達はあきらめる。
５０年以上先の夢物語をすること。
分野トップの研究者達は大丈夫なのだ。
５０年先、１００年先の想像力があるから、未知の夢を語れる。
自分の存命中などという狭い枠にとらわれない。
夢は遠いほど想像力が広がる。
超一流といわれる頭脳というのは、夢を想像できる人達なのだ。
それは壁を作らないからでもある。
超一流の頭脳は集まれば更に夢が広がる人達だ。
ただ、通常は集まれる場所がないだけなのだ。
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カルテ番号 あ・28 ５度目（6）
風間陽水はあっさり言った。
「ま、方針を変えるべきでしょうね」
「それは解っているわ。
このままだと、夢を語る能力者達が悲しい目にあわされる。
それは決して一般人間の夢にならないモノを無理やり作らされる。
一分の特権者が利益を得て、多くの人間が不幸になる。
そんな手伝いはごめんだわ」
風間陽水は考えながら、ゆっくり話した。
「夢は語っていいのですよ。
今回目をつけられたのは、実現可能だと判断されたことにあります。
それも現体制の既得権者が生きているうちに着手できそうだと判断したのでしょう」
ここで風間陽水は愛田恵子の顔をしばらく見てニコリと笑った。
愛田恵子もしばらく見返して、そして、笑った。
「そういうことね。
それなら、方針を変えるといっても少しの条件だけですむわ。
店もこのまま、来る人たちもこのままで大丈夫ね」
風間陽水は言った。
「愛田さんだからこそ、可能なサロンでしょ」
「私達でないと、思いつかないかもしれないわね」
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