島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

化屋大島石棺群

2018-12-30 12:35:36 | 歴史・史跡
知らぬ間に2018年の年の瀬も押し迫り、気付けば明日が大晦日じゃないですか!?
この一年、私は何をやっていたんでしょうかねー。
さて気を取り直して、話は多良見町散策に戻ります。
昨日の解説文章の中にちらっと「塩田は大島の丘の土で〜」と書きましたが、なるほど駅から新興住宅地(シーサイドタウン言うらしい)へ向う手前に10mくらいはありそうな丘があります。
この辺は埋め立て地でしょうから、元々は島だった部分じゃないでしょうか。
その(駅から見て)裏側に旧跡がありました。
どうやら指定の文化財ではないらしい、ですが解説板が建っていました。
「化屋大島石棺群は、弥生時代中期初頭頃のお墓で、約二千百年ほど前につくられたものです。
 昭和四十八年(1973年)に調査が行われ、七基の箱式石棺からなる墓地であることが分かりました。
 平たい石を組み合わせて長方形の棺を作り、平たい石をかぶせる構造になっています。
 石棺の大きさは縦約1m、横40〜50cmくらいですが、埋葬された人はひざを曲げた屈葬といわれる姿で葬られました。
 弥生時代はそれまでの日本では見られなかった『稲作』がはじめておこなわれた時代ですが、化屋大島の近くの低い場所で稲作が始められたのでしょう。
 大村湾沿岸ではこのような石棺がよくみられますが、時代は化屋大島石棺群よりも新しいものです。
 この石棺群は、大村湾地方ではもっとも古い墓地の一つと言えるでしょう。」(諫早市教育委員会)
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